婚約破棄? お構いなく。私は私らしく生きていきますわ

どんぶり

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「……うーん。やはり、この蜜の入り具合が足りませんわね」


秋の気配が濃くなってきたある日の午後。私は庭に置いた火鉢の前で、深刻な顔をして「焼き芋」の断面を見つめていました。


「ニュール。あんたは、先ほどから国を揺るがすような顔をして何を悩んでいるんだ」


テラスから、ギルベルト様が呆れたような声をかけてきました。


「深刻な問題ですわ。このお芋、外見は完璧なのに、中のホクホク感が私の理想より三ミリほど深いんですの。火加減の微調整が必要ですわね」


「……。三ミリの差でそこまで悩めるのは、あんたか宮廷料理長くらいだろうな」


ギルベルト様が苦笑しながら、私の隣に腰を下ろしました。


その時です。静かな下町の路地に、重々しい鎧の擦れる音と、多数の馬の足音が響き渡りました。


「……チッ。また殿下か? いや、この気配は……」


ギルベルト様が鋭い目つきで立ち上がりました。


門を潜り抜けて入ってきたのは、王宮直属の騎士団――それも、重鎮たちの護衛を務める精鋭たちでした。


その中心には、一人の老齢な貴族が立っていました。王国の内政を司る、保守派の筆頭・バルガス侯爵です。


「これはこれは、宰相閣下。こんな薄汚れた場所に引きこもって、何をしておられるのかと思えば……」


バルガス侯爵は、嫌悪感を隠そうともせずに私を指差しました。


「その『毒婦』と名高い没落令嬢に、骨抜きにされているというのは本当だったようですな」


「……言葉を慎め、バルガス。彼女は私の知人であり、有能な補佐官だ」


ギルベルト様の声が、一瞬で氷点下まで下がりました。


しかし、バルガス侯爵は鼻で笑いました。


「有能? ほう、焼き芋の火加減を測るのが、宰相の補佐官の仕事ですかな? 殿下からもお聞きしておりますぞ。この女は、殿下を誘惑し、断られると逆上して不敬なビラを撒き散らしたとか」


「事実を歪曲するのも大概にしろ。ビラを撒いたのが誰かは、調査済みだ」


「言い逃れは見苦しい! 王都の秩序を乱す不浄な女を、このまま閣下の側に置くわけにはいかん。……者共! その女を捕らえよ。王宮の地下牢で、じっくりと罪を数えさせてやる」


騎士たちが一斉に剣を抜き、私の方へ歩み寄ってきました。


普通なら、ここで悲鳴を上げて逃げ出す場面でしょう。


けれど、私は手の中の焼き芋が冷めてしまうことの方が心配でなりませんでした。


「あ、あの。バルガス様とおっしゃいましたか? 捕まえるのは構いませんが、このお芋、今が一番美味しい食べ頃なのです。一口召し上がってからにしませんか?」


「……何を言っている、この狂女が!」


騎士の一人が私の腕を掴もうとした、その瞬間。


ドォォォォンッ!


凄まじい風圧と共に、ギルベルト様が私の前に立ちはだかりました。


彼の周囲には、目に見えるほどの魔力と威圧感が渦巻いています。


「……私の言葉が聞こえなかったのか? 彼女に触れるなと言ったはずだ」


「な、閣下!? 賊を庇うおつもりか!」


「賊だと? 笑わせるな」


ギルベルト様は、腰に下げていた細剣を抜き放ち、その先端をバルガス侯爵の喉元に突きつけました。


その動きは、瞬きをする暇もないほど速く、正確でした。


「いいか、よく聞け。……この女、ニュール・ササールは、私の庇護下にある。彼女に対する非礼は、私への宣戦布告と見なす」


会場……いえ、庭中が静まり返りました。


ギルベルト様は、冷徹な声で言葉を継ぎました。


「彼女を魔女と呼ぶなら、私はその魔女に魂を売った悪魔にでもなろう。彼女を連れて行きたいのなら、まずは私の首を撥ねてからにしろ」


「……っ! ほ、本気ですか、閣下! たかが没落令嬢一人のために、その地位を賭けるというのですか!」


「たかが、ではない。……彼女は、私の退屈な日常に色を与えてくれた唯一の存在だ」


ギルベルト様が、チラリと私の方を振り返りました。


その瞳には、先ほどまでの冷徹さとは正反対の、ひどく不器用で、それでいて熱い光が宿っていました。


「ニュール。……あんたは、そこで芋を食べていろ。邪魔者は私がすべて片付ける」


「……。ギルベルト様、とってもかっこいいですわ」


私は正直な感想を述べました。


「でも、そんなに怒っていると、お顔にシワが増えてしまいますわよ? ほら、このお芋の真ん中の部分。ここが一番甘いんですの。はい、あーん」


「………………」


緊迫した空気の中、私は焼き芋の芯をギルベルト様の口元に差し出しました。


ギルベルト様は、抜いたばかりの剣を構えたまま、数秒間硬直しました。


そして、観念したように、小さく口を開けてお芋を食しました。


「……熱い。だが、甘いな」


「でしょう?」


この光景を見ていたバルガス侯爵と騎士たちは、戦意を喪失したのか、あるいはあまりのシュールさに脳が追いつかなかったのか、毒気を抜かれたように立ち尽くしていました。


「……お、覚えておれ! このことは国王陛下に報告させていただく!」


捨て台詞を残して、騎士団は嵐のように去っていきました。


静かになった庭で、ギルベルト様は大きな溜息をつき、剣を鞘に収めました。


「……ニュール。あんたな、今の状況でよくあんなことができたな」


「だって、ギルベルト様が『芋を食べていろ』とおっしゃったではありませんか。美味しいものは、大好きな人と共有するのが一番ですもの」


私は満足げに、最後の一口を自分の口に運びました。


ギルベルト様は、私の頭を乱暴にかき回すと、小さな声で呟きました。


「……全く。守ってやるつもりが、結局あんたに救われている気がするよ」


「あら。私はお芋を差し上げただけですわ」


「……それがいいんだ。あんたは、そのままでいろ」


ギルベルト様の手が、私の頬を優しく撫でました。


一国の宰相が、一人の没落令嬢のために世界を敵に回すと宣言した日。


当の本人は、お芋の甘さに感動して、幸せな鼻歌を歌っていたのでした。
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