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「……お嬢様。お嬢様。本日は、お嬢様が『国家転覆を目論む反逆の魔女』として指名手配されかかっているという、エキサイティングなニュースをお持ちしました」
アンの声が、安眠の聖域に響き渡る。
私は「極上の眠りを提供するアロマ枕」に顔を埋めたまま、低音で呻いた。
「……アン。エキサイティングの意味、間違えてない? それは一般的に『面倒くさい』って言うのよ……」
「そう仰ると思いまして。ですが、王都のセドリック殿下が広めている噂がなかなか奮っています。『エスターは隣国の軍事力を私物化し、公爵を色香でたぶらかし、王国への進軍準備を整えている』だそうですよ」
私は這いずるような動作で枕から顔を剥がし、三白眼をアンに向けた。
「進軍? そんな歩くのが前提のイベント、私がやるわけないじゃない。……色香? 私のどこにそんなものがあるのよ。ドライアイで充血した目しかないわよ」
「お嬢様にとってはドライアイでも、殿下にとっては『血に飢えた狂気』に見えるのでしょう。さらに、先ほどアルベルト様が隣国の精鋭騎士団百名を呼び寄せました」
「……は? 何やってるのよ、あの変な公爵」
私はガウンを羽織り、不機嫌の塊となってリビングへ向かった。
そこには、銀髪を輝かせながら、軍事地図……ではなく、分厚い「最新スイーツお取り寄せカタログ」を広げているアルベルトがいた。
彼の背後には、重装備の騎士たちが整然と並び、なぜか全員が「慎重に」大きな箱を抱えている。
「エスター! おはよう! 君の朝食のために、隣国で最も評価の高いクロワッサンを、輸送中の振動で形が崩れないよう、我が国最強の重装騎士団に運ばせてきたよ!」
騎士団長らしき男が、真剣な面持ちで一歩前に出た。
「エスター様! このクロワッサンは、我が団の命を懸けて死守いたしました! バターの層一つたりとも、乱れはございません!」
「……何してるのよ、貴方たち。もっと、国を守るとか、そういう大事なことに命を使いなさいよ」
私は三白眼をギリリと細め、騎士たちを睨みつけた。
騎士たちは一瞬で直立不動になり、顔を紅潮させた。
「……っ! 今の眼差し……! 『パン一つ運ぶのに手間取ってんじゃねえぞ』という、身を切るような叱咤激励……! 一生ついていきます、エスター様!」
(……違う。誰もそんなこと言ってないわよ)
私は溜息をつき、クロワッサンを受け取った。
「アルベルト。貴方がこんなことをするから、王都で私が軍を動かしてるなんてデマが流れるのよ。セドリック殿下が震えてるらしいじゃない」
アルベルトは、優雅に紅茶を啜りながら不敵に笑った。
「デマではないよ、エスター。君が望むなら、この騎士団を使って王都をパン屋に改装してきてもいいんだぞ? セドリックの鼻先に、毎日焼き立てのハードパンを投げつけてやるのも一興だ」
「嫌よ。そんなことしたら、私が王妃の代わりにパン屋の店主をやらされるじゃない。絶対にお断りよ」
私はソファに倒れ込み、クロワッサンを口に運んだ。
(……悔しいけれど、命懸けで運ばれただけあって、震えるほど美味しいわね)
アンが、手紙を読み上げながら私の隣に立った。
「お嬢様。その王都の動きですが、どうやら王家はエスター様の『私設軍隊』を恐れて、和解のための特使を送る準備をしているそうです。特使のメンバーには、マリア様も名乗りを上げているとか」
「マリア様……。また彼女が来るの? いいわよ、彼女ならお菓子を置いていってくれるから。でも、その特使っていうのが、私の昼寝を邪魔するようなら……」
私は三白眼をさらに鋭くし、窓の外の空を見つめた。
「……その特使の馬車の車輪を、全部マカロンに変えてやるわ」
「……素晴らしい! エスター、その『甘美なる制裁』という発想、まさに王者の風格だ!」
アルベルトが勝手に盛り上がり、騎士たちに「マカロンの強度テストを開始せよ!」と無茶な命令を下し始めた。
「……アン。もういいわ。私は食べるだけ食べて、寝る」
「はい。お嬢様、今日も立派な『反逆の魔女』ですね」
エスター・ド・ヴァリエールの評判は、ついに「物理的な軍事力」を伴ったものとして大陸を揺るがし始めた。
しかし、本人はただ、クロワッサンの破片をこぼさないように食べることに、全神経を集中させているだけなのであった。
アンの声が、安眠の聖域に響き渡る。
私は「極上の眠りを提供するアロマ枕」に顔を埋めたまま、低音で呻いた。
「……アン。エキサイティングの意味、間違えてない? それは一般的に『面倒くさい』って言うのよ……」
「そう仰ると思いまして。ですが、王都のセドリック殿下が広めている噂がなかなか奮っています。『エスターは隣国の軍事力を私物化し、公爵を色香でたぶらかし、王国への進軍準備を整えている』だそうですよ」
私は這いずるような動作で枕から顔を剥がし、三白眼をアンに向けた。
「進軍? そんな歩くのが前提のイベント、私がやるわけないじゃない。……色香? 私のどこにそんなものがあるのよ。ドライアイで充血した目しかないわよ」
「お嬢様にとってはドライアイでも、殿下にとっては『血に飢えた狂気』に見えるのでしょう。さらに、先ほどアルベルト様が隣国の精鋭騎士団百名を呼び寄せました」
「……は? 何やってるのよ、あの変な公爵」
私はガウンを羽織り、不機嫌の塊となってリビングへ向かった。
そこには、銀髪を輝かせながら、軍事地図……ではなく、分厚い「最新スイーツお取り寄せカタログ」を広げているアルベルトがいた。
彼の背後には、重装備の騎士たちが整然と並び、なぜか全員が「慎重に」大きな箱を抱えている。
「エスター! おはよう! 君の朝食のために、隣国で最も評価の高いクロワッサンを、輸送中の振動で形が崩れないよう、我が国最強の重装騎士団に運ばせてきたよ!」
騎士団長らしき男が、真剣な面持ちで一歩前に出た。
「エスター様! このクロワッサンは、我が団の命を懸けて死守いたしました! バターの層一つたりとも、乱れはございません!」
「……何してるのよ、貴方たち。もっと、国を守るとか、そういう大事なことに命を使いなさいよ」
私は三白眼をギリリと細め、騎士たちを睨みつけた。
騎士たちは一瞬で直立不動になり、顔を紅潮させた。
「……っ! 今の眼差し……! 『パン一つ運ぶのに手間取ってんじゃねえぞ』という、身を切るような叱咤激励……! 一生ついていきます、エスター様!」
(……違う。誰もそんなこと言ってないわよ)
私は溜息をつき、クロワッサンを受け取った。
「アルベルト。貴方がこんなことをするから、王都で私が軍を動かしてるなんてデマが流れるのよ。セドリック殿下が震えてるらしいじゃない」
アルベルトは、優雅に紅茶を啜りながら不敵に笑った。
「デマではないよ、エスター。君が望むなら、この騎士団を使って王都をパン屋に改装してきてもいいんだぞ? セドリックの鼻先に、毎日焼き立てのハードパンを投げつけてやるのも一興だ」
「嫌よ。そんなことしたら、私が王妃の代わりにパン屋の店主をやらされるじゃない。絶対にお断りよ」
私はソファに倒れ込み、クロワッサンを口に運んだ。
(……悔しいけれど、命懸けで運ばれただけあって、震えるほど美味しいわね)
アンが、手紙を読み上げながら私の隣に立った。
「お嬢様。その王都の動きですが、どうやら王家はエスター様の『私設軍隊』を恐れて、和解のための特使を送る準備をしているそうです。特使のメンバーには、マリア様も名乗りを上げているとか」
「マリア様……。また彼女が来るの? いいわよ、彼女ならお菓子を置いていってくれるから。でも、その特使っていうのが、私の昼寝を邪魔するようなら……」
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「……その特使の馬車の車輪を、全部マカロンに変えてやるわ」
「……素晴らしい! エスター、その『甘美なる制裁』という発想、まさに王者の風格だ!」
アルベルトが勝手に盛り上がり、騎士たちに「マカロンの強度テストを開始せよ!」と無茶な命令を下し始めた。
「……アン。もういいわ。私は食べるだけ食べて、寝る」
「はい。お嬢様、今日も立派な『反逆の魔女』ですね」
エスター・ド・ヴァリエールの評判は、ついに「物理的な軍事力」を伴ったものとして大陸を揺るがし始めた。
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