「婚約破棄、万歳!本日をもって『完璧な淑女』は廃業いたしますわ!」

どんぶり

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王宮を後にした馬車の中で、私はようやく背中の「淑女スイッチ」を切りました。


「……ふぅ。疲れたわ。あんなに背筋を伸ばしたのは数日ぶりですもの。やっぱり人間、無理をするのは体に毒だわ」


私は馬車のシートに深々と沈み込み、行儀悪く足を投げ出しました。


「お嬢様、まだ屋敷に着いていません。窓の外から見られたら、せっかくの『強そうな元婚約者』のイメージが台無しですよ」


ミーナが呆れ顔で私の足を戻そうとしますが、私は抵抗しました。


「いいのよ、もう一生王宮には行かないんだから。イメージなんて、揚げ油の中に放り込んでやるわ!」


「………カナタ」


向かいに座るオズワルド様が、いつになく真剣な、それでいて熱を帯びた瞳で私を見つめていました。


「……はい? なんです、オズワルド様。もしかして、さっきの私の食べっぷりが汚すぎて、流石に引きました?」


「……逆だ。感動した」


「……感動?」


オズワルド様は、窓の外を流れる景色を一度見やり、それから決意を固めたように私の目を見据えました。


「私は今まで、多くの騎士や貴族を見てきた。だが、あのような絶望的な状況下で、揚げドーナツを武器に戦う者を見たのは初めてだ。貴女のあの姿……。あれこそが、真の『自由』の象徴だと言えるだろう」


「………あの、ただお腹が空いていただけなんですけど」


「いや、それだけではない。貴女は、己を縛る過去の鎖を、自らの顎(あぎと)で噛み砕いたのだ。……私は、そんな貴女の生き方に、魂を揺さぶられた」


オズワルド様の言葉が、どんどん重くなってきます。心なしか、馬車の中の温度が上がっているような気がします。


「………カナタ。私は決めたぞ」


「何を、です?」


「私の国……ノースランド公国は、寒冷な気候ゆえに、食文化が非常に質素で形式的だ。国民は皆、味の薄い保存食を黙々と食べている。……だが、今日確信した。我が国に必要なのは、軍備でも金銀でもない。……『味の暴力』だ」


オズワルド様が、ぐっと身を乗り出しました。


「貴女のその……ズボラで、食いしん坊で、欲望に忠実なエネルギー。……それを、我が国の国民にも分け与えてほしいのだ。……私の隣で」


(……えっ。ええっ!?)


私は固まりました。


今、この「氷の公爵」は、何を言いました?


『私の隣で』……。それって、つまり……。


(……新しい『メニューの提案』ってこと!?)


「……閣下、それはつまり、私をあなたの国の『公式フードプロデューサー』として雇いたい、ということでしょうか!?」


私が期待に目を輝かせると、オズワルド様は一瞬だけ、ポカンとした顔をしました。


「……あ、ああ。まあ、役割としてはそれに近いかもしれないが……」


「素晴らしいわ! ノースランド公国といえば、寒い分だけお酒も強いんでしょう? そこにあの『炭火焼きの内臓料理』を持ち込んだら、革命が起きますわよ!」


「………そうだな。革命、だろうな。色々な意味で」


オズワルド様は少しだけ複雑そうな、それでいてどこか嬉しそうな、不思議な笑みを浮かべました。


「……お嬢様。……多分、今の公爵様のお言葉は、そういう意味だけではないと思いますよ」


ミーナが横から耳打ちしてきましたが、私は聞き流しました。


「それよりオズワルド様! 決意を固めたのなら、お祝いが必要ですわ! 馬車を止めてください! そこ、その路地の角です!」


「………あそこか。炭が、良い匂いを発しているな」


「そうです! 今夜のターゲットは、内臓料理専門屋台『鉄の胃袋』ですわ!」


馬車が止まるなり、私はドレスの裾をまくり上げて飛び降りました。


そこは、モウモウと立ち上がる煙の中に、怪しく赤い炭火が光る、下町でも一際「ハード」な店でした。


「おじさん! 一番脂の乗ったやつを、タレ特盛りで四本! あ、こっちの公爵様には、一番辛いやつを!」


「あいよ! お嬢ちゃん、いい男連れてるねぇ。公爵様がこんな汚ねぇ店で食うのかい?」


店主の言葉に、オズワルド様は無表情のまま、しかし力強く頷きました。


「………汚いのではない。これは、歴史の重みだ。……早くしてくれ。私の決意が、空腹で揺らいでしまう前に」


「ははっ、粋だねぇ! ほら、焼き立てだよ!」


差し出されたのは、独特の弾力と、甘辛いタレが絡みついた「内臓」の串。


私はそれを、オズワルド様に手渡しました。


「さあ、閣下。これを食べたら、もう引き返せませんわよ。ノースランド公国の未来は、この一切れの脂身にかかっているんですの!」


「……受けて立とう」


オズワルド様は、覚悟を決めた騎士のような顔で、串にかぶりつきました。


……そして。


「…………っ!!」


「どうです!? この、噛むほどに溢れ出す『臓物の旨味』! そして、鼻を抜ける炭の香り!」


「………あ、熱い。……だが、……なんだ、この弾力は。私の今までの人生にはなかった、未知の抵抗感だ。……噛み締めるたびに、生きている実感と、塩分への渇望が同時に押し寄せてくる……」


オズワルド様の頬に、一筋の汗が伝わりました。


「……美味い。……美味すぎる。カナタ、私は確信した。……君を、絶対に離さない。……たとえ我が国の伝統が、このタレの匂いで塗り替えられることになってもだ」


「ええ、塗り替えちゃいましょう! 明日からは、ノースランド公国の国章を『串焼き』にしてもいいくらいですわ!」


「……それは流石に、国王が黙っていないだろうが……検討はしてみよう」


私たちは、煙に巻かれながら、肩を並べて串を頬張りました。


オズワルド様の「決意」が、本当はどんな意味を持っていたのか。


食い気勝りの私は、この時まだ、これっぽっちも気づいていなかったのでした。
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