13 / 28
13
しおりを挟む
「……娘をノースランド公国へ、『食文化交流の特使』として派遣してほしいだと?」
翌朝、フォルセティ公爵邸の重厚な書斎にて。
お父様は、いつになく真剣な顔で、対面に座るオズワルド様を睨みつけていました。
傍らで控える私は、お父様の手元に置かれた「ノースランド公国・移住要請書(仮)」をチラチラと盗み見ては、胸を高鳴らせていました。
(……北の国。そこは、まだ見ぬ揚げ物と、未知の脂身が眠るフロンティア……。行きたい。絶対に行きたいわ!)
「……左様です、フォルセティ公爵。我が国は今、深刻な『食の停滞期』にあります。カナタ嬢の、あの……既存の概念を打ち破る強靭な胃袋と、食に対する飽くなき探求心。……それこそが、我が国民に必要なのです」
オズワルド様が、一分の隙もない完璧な姿勢で頭を下げました。
「……建前はいい。オズワルド殿、本音はどうなのだ」
「………彼女のいない食卓は、砂を噛むように味気ない。私は、彼女と生涯、揚げ物の油を分かち合いたいと考えています」
「……!!」
お父様が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
ミーナが隣で「あらあら、実質的な求婚ですね」と小さく呟きましたが、私の耳には「生涯、揚げ物を分かち合う」という部分しか入っていませんでした。
(……それって、つまり……一生食いっぱぐれない、永久食べ放題プランの契約ってこと!?)
「……いいだろう。だが、条件がある」
お父様は、ずいと身を乗り出し、オズワルド様の鼻先に人差し指を突きつけました。
「……条件?」
「我が娘を……この『カロリーの申し子』をやる代わりに、貴国の秘伝である『極寒地用・高脂肪熟成肉』の製法を我が家に開示せよ! そして、年に一度、貴国の最高級バターを樽で十個、我が家に送ることを約束するのだ!」
「………取引成立だ。必要なら、バターは二十個に増やそう。さらに、我が領地の特産である『スモークベーコンの原木』も付け加えよう」
「……交渉成立だ!!」
二人の公爵が、ガシッと固い握手を交わしました。
娘の将来が、バターとベーコンの取引で決まった瞬間でした。
「……お嬢様。……ツッコミを入れるのは諦めて、もう荷造りを始めた方がよろしいかと」
「そうね、ミーナ! ノースランド公国には、どんなソースがあるのかしら……」
私が期待に胸を膨らませていた、その時です。
バァァァァァン!! という、品のない音と共に、書斎の扉が蹴破られました。
「……カナタ!! 貴様のせいで、リリアが、リリアが大変なことになったぞ!!」
現れたのは、肩で息をし、髪を振り乱したリュカオン殿下でした。
「………また貴方ですか、殿下。お父様の書斎を蹴破るなんて、マナーの教科書の一ページ目に『やってはいけないこと』として書いてあったはずですが?」
私は、紅茶を一口啜り、冷ややかに殿下を視界の端で捉えました。
「そんなことはどうでもいい! リリアが……あの日、貴様に言われた『妃の食事作法』を忠実に守ろうとして、空腹のあまり倒れたのだぞ! おまけに、三代前の国王の愛称を覚えようとして、知恵熱まで出して寝込んでいる!」
「………あら、それは大変。……つまり、彼女は『完璧な淑女』になるための最初の試練で、あっさり脱落したということですね?」
「何を他人事のように! リリアは『カナタ様が言った通りにしているのに、ちっとも幸せじゃない! お腹が空いて死んじゃう!』と泣き叫んでいるんだぞ! 今すぐ王宮に来て、彼女に謝罪し、もっと楽な教育法を教えろ!」
殿下の叫びに、書斎に冷たい沈黙が流れました。
私は、ゆっくりと立ち上がりました。
「……殿下。一つ、教えて差し上げますわ」
「なんだ!?」
「私が十年間、一度も倒れず、一度も泣き言を言わずにその教育に耐え抜いたのは、なぜだと思います?」
「それは……貴様が冷酷で、感情のない人形だったからだろう!」
「……いいえ。……いつか自由になって、美味しいものを山ほど食べてやるという『復讐心』だけをガソリンにして、心の中に猛獣を飼っていたからですわ」
私は、殿下の目の前まで歩み寄り、扇をパチンと閉じました。
「愛だけでお腹は膨れませんわよ、殿下。リリア様に伝えてください。……『真実の愛』があるなら、カスミでも食べて生きていけばよろしいのでは? と」
「き、貴様……!」
「……それから、殿下。不法侵入はこれぐらいにしていただけますか?」
後ろから、オズワルド様が静かに、しかし抗いようのない威圧感を持って歩み寄りました。
「……カナタ嬢は、先ほどノースランド公国の『美食外交特使』に任命された。……貴国の王太子といえど、我が国の最重要人物をこれ以上愚弄するならば、国際問題として対処させていただくが……よろしいか?」
オズワルド様の瞳は、昨日の「内臓料理」を食べていた時と同じ、あるいはそれ以上の真剣さに満ちていました。
「……な……、ノースランド公国だと……!? あんな、雪と氷しかない辺境に、カナタが行くだと!?」
「ええ。雪と氷……そして、最高のベーコンが待つ約束の地ですわ! ……さようなら、殿下。お花畑のリリア様と、一生味のしないお茶会でも楽しんでいてくださいな」
私は、唖然とする殿下を放置して、オズワルド様とお父様に向き直りました。
「……さあ、皆様! お話はまとまりましたわね! 移住のお祝いに、今すぐ厨房へ向かいましょう! お父様が隠し持っていた『熟成生ハム』、全部切っちゃいますわよ!」
「……おう、やれやれ! もはや隠す必要もない! 今日は祭りだ!」
「………私も、全力で手伝おう」
こうして、リュカオン殿下は衛兵によって引きずり出され、私たちは新しい門出を祝う「肉の饗宴」へと突入したのでした。
翌朝、フォルセティ公爵邸の重厚な書斎にて。
お父様は、いつになく真剣な顔で、対面に座るオズワルド様を睨みつけていました。
傍らで控える私は、お父様の手元に置かれた「ノースランド公国・移住要請書(仮)」をチラチラと盗み見ては、胸を高鳴らせていました。
(……北の国。そこは、まだ見ぬ揚げ物と、未知の脂身が眠るフロンティア……。行きたい。絶対に行きたいわ!)
「……左様です、フォルセティ公爵。我が国は今、深刻な『食の停滞期』にあります。カナタ嬢の、あの……既存の概念を打ち破る強靭な胃袋と、食に対する飽くなき探求心。……それこそが、我が国民に必要なのです」
オズワルド様が、一分の隙もない完璧な姿勢で頭を下げました。
「……建前はいい。オズワルド殿、本音はどうなのだ」
「………彼女のいない食卓は、砂を噛むように味気ない。私は、彼女と生涯、揚げ物の油を分かち合いたいと考えています」
「……!!」
お父様が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
ミーナが隣で「あらあら、実質的な求婚ですね」と小さく呟きましたが、私の耳には「生涯、揚げ物を分かち合う」という部分しか入っていませんでした。
(……それって、つまり……一生食いっぱぐれない、永久食べ放題プランの契約ってこと!?)
「……いいだろう。だが、条件がある」
お父様は、ずいと身を乗り出し、オズワルド様の鼻先に人差し指を突きつけました。
「……条件?」
「我が娘を……この『カロリーの申し子』をやる代わりに、貴国の秘伝である『極寒地用・高脂肪熟成肉』の製法を我が家に開示せよ! そして、年に一度、貴国の最高級バターを樽で十個、我が家に送ることを約束するのだ!」
「………取引成立だ。必要なら、バターは二十個に増やそう。さらに、我が領地の特産である『スモークベーコンの原木』も付け加えよう」
「……交渉成立だ!!」
二人の公爵が、ガシッと固い握手を交わしました。
娘の将来が、バターとベーコンの取引で決まった瞬間でした。
「……お嬢様。……ツッコミを入れるのは諦めて、もう荷造りを始めた方がよろしいかと」
「そうね、ミーナ! ノースランド公国には、どんなソースがあるのかしら……」
私が期待に胸を膨らませていた、その時です。
バァァァァァン!! という、品のない音と共に、書斎の扉が蹴破られました。
「……カナタ!! 貴様のせいで、リリアが、リリアが大変なことになったぞ!!」
現れたのは、肩で息をし、髪を振り乱したリュカオン殿下でした。
「………また貴方ですか、殿下。お父様の書斎を蹴破るなんて、マナーの教科書の一ページ目に『やってはいけないこと』として書いてあったはずですが?」
私は、紅茶を一口啜り、冷ややかに殿下を視界の端で捉えました。
「そんなことはどうでもいい! リリアが……あの日、貴様に言われた『妃の食事作法』を忠実に守ろうとして、空腹のあまり倒れたのだぞ! おまけに、三代前の国王の愛称を覚えようとして、知恵熱まで出して寝込んでいる!」
「………あら、それは大変。……つまり、彼女は『完璧な淑女』になるための最初の試練で、あっさり脱落したということですね?」
「何を他人事のように! リリアは『カナタ様が言った通りにしているのに、ちっとも幸せじゃない! お腹が空いて死んじゃう!』と泣き叫んでいるんだぞ! 今すぐ王宮に来て、彼女に謝罪し、もっと楽な教育法を教えろ!」
殿下の叫びに、書斎に冷たい沈黙が流れました。
私は、ゆっくりと立ち上がりました。
「……殿下。一つ、教えて差し上げますわ」
「なんだ!?」
「私が十年間、一度も倒れず、一度も泣き言を言わずにその教育に耐え抜いたのは、なぜだと思います?」
「それは……貴様が冷酷で、感情のない人形だったからだろう!」
「……いいえ。……いつか自由になって、美味しいものを山ほど食べてやるという『復讐心』だけをガソリンにして、心の中に猛獣を飼っていたからですわ」
私は、殿下の目の前まで歩み寄り、扇をパチンと閉じました。
「愛だけでお腹は膨れませんわよ、殿下。リリア様に伝えてください。……『真実の愛』があるなら、カスミでも食べて生きていけばよろしいのでは? と」
「き、貴様……!」
「……それから、殿下。不法侵入はこれぐらいにしていただけますか?」
後ろから、オズワルド様が静かに、しかし抗いようのない威圧感を持って歩み寄りました。
「……カナタ嬢は、先ほどノースランド公国の『美食外交特使』に任命された。……貴国の王太子といえど、我が国の最重要人物をこれ以上愚弄するならば、国際問題として対処させていただくが……よろしいか?」
オズワルド様の瞳は、昨日の「内臓料理」を食べていた時と同じ、あるいはそれ以上の真剣さに満ちていました。
「……な……、ノースランド公国だと……!? あんな、雪と氷しかない辺境に、カナタが行くだと!?」
「ええ。雪と氷……そして、最高のベーコンが待つ約束の地ですわ! ……さようなら、殿下。お花畑のリリア様と、一生味のしないお茶会でも楽しんでいてくださいな」
私は、唖然とする殿下を放置して、オズワルド様とお父様に向き直りました。
「……さあ、皆様! お話はまとまりましたわね! 移住のお祝いに、今すぐ厨房へ向かいましょう! お父様が隠し持っていた『熟成生ハム』、全部切っちゃいますわよ!」
「……おう、やれやれ! もはや隠す必要もない! 今日は祭りだ!」
「………私も、全力で手伝おう」
こうして、リュカオン殿下は衛兵によって引きずり出され、私たちは新しい門出を祝う「肉の饗宴」へと突入したのでした。
1
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる