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「……娘をノースランド公国へ、『食文化交流の特使』として派遣してほしいだと?」
翌朝、フォルセティ公爵邸の重厚な書斎にて。
お父様は、いつになく真剣な顔で、対面に座るオズワルド様を睨みつけていました。
傍らで控える私は、お父様の手元に置かれた「ノースランド公国・移住要請書(仮)」をチラチラと盗み見ては、胸を高鳴らせていました。
(……北の国。そこは、まだ見ぬ揚げ物と、未知の脂身が眠るフロンティア……。行きたい。絶対に行きたいわ!)
「……左様です、フォルセティ公爵。我が国は今、深刻な『食の停滞期』にあります。カナタ嬢の、あの……既存の概念を打ち破る強靭な胃袋と、食に対する飽くなき探求心。……それこそが、我が国民に必要なのです」
オズワルド様が、一分の隙もない完璧な姿勢で頭を下げました。
「……建前はいい。オズワルド殿、本音はどうなのだ」
「………彼女のいない食卓は、砂を噛むように味気ない。私は、彼女と生涯、揚げ物の油を分かち合いたいと考えています」
「……!!」
お父様が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
ミーナが隣で「あらあら、実質的な求婚ですね」と小さく呟きましたが、私の耳には「生涯、揚げ物を分かち合う」という部分しか入っていませんでした。
(……それって、つまり……一生食いっぱぐれない、永久食べ放題プランの契約ってこと!?)
「……いいだろう。だが、条件がある」
お父様は、ずいと身を乗り出し、オズワルド様の鼻先に人差し指を突きつけました。
「……条件?」
「我が娘を……この『カロリーの申し子』をやる代わりに、貴国の秘伝である『極寒地用・高脂肪熟成肉』の製法を我が家に開示せよ! そして、年に一度、貴国の最高級バターを樽で十個、我が家に送ることを約束するのだ!」
「………取引成立だ。必要なら、バターは二十個に増やそう。さらに、我が領地の特産である『スモークベーコンの原木』も付け加えよう」
「……交渉成立だ!!」
二人の公爵が、ガシッと固い握手を交わしました。
娘の将来が、バターとベーコンの取引で決まった瞬間でした。
「……お嬢様。……ツッコミを入れるのは諦めて、もう荷造りを始めた方がよろしいかと」
「そうね、ミーナ! ノースランド公国には、どんなソースがあるのかしら……」
私が期待に胸を膨らませていた、その時です。
バァァァァァン!! という、品のない音と共に、書斎の扉が蹴破られました。
「……カナタ!! 貴様のせいで、リリアが、リリアが大変なことになったぞ!!」
現れたのは、肩で息をし、髪を振り乱したリュカオン殿下でした。
「………また貴方ですか、殿下。お父様の書斎を蹴破るなんて、マナーの教科書の一ページ目に『やってはいけないこと』として書いてあったはずですが?」
私は、紅茶を一口啜り、冷ややかに殿下を視界の端で捉えました。
「そんなことはどうでもいい! リリアが……あの日、貴様に言われた『妃の食事作法』を忠実に守ろうとして、空腹のあまり倒れたのだぞ! おまけに、三代前の国王の愛称を覚えようとして、知恵熱まで出して寝込んでいる!」
「………あら、それは大変。……つまり、彼女は『完璧な淑女』になるための最初の試練で、あっさり脱落したということですね?」
「何を他人事のように! リリアは『カナタ様が言った通りにしているのに、ちっとも幸せじゃない! お腹が空いて死んじゃう!』と泣き叫んでいるんだぞ! 今すぐ王宮に来て、彼女に謝罪し、もっと楽な教育法を教えろ!」
殿下の叫びに、書斎に冷たい沈黙が流れました。
私は、ゆっくりと立ち上がりました。
「……殿下。一つ、教えて差し上げますわ」
「なんだ!?」
「私が十年間、一度も倒れず、一度も泣き言を言わずにその教育に耐え抜いたのは、なぜだと思います?」
「それは……貴様が冷酷で、感情のない人形だったからだろう!」
「……いいえ。……いつか自由になって、美味しいものを山ほど食べてやるという『復讐心』だけをガソリンにして、心の中に猛獣を飼っていたからですわ」
私は、殿下の目の前まで歩み寄り、扇をパチンと閉じました。
「愛だけでお腹は膨れませんわよ、殿下。リリア様に伝えてください。……『真実の愛』があるなら、カスミでも食べて生きていけばよろしいのでは? と」
「き、貴様……!」
「……それから、殿下。不法侵入はこれぐらいにしていただけますか?」
後ろから、オズワルド様が静かに、しかし抗いようのない威圧感を持って歩み寄りました。
「……カナタ嬢は、先ほどノースランド公国の『美食外交特使』に任命された。……貴国の王太子といえど、我が国の最重要人物をこれ以上愚弄するならば、国際問題として対処させていただくが……よろしいか?」
オズワルド様の瞳は、昨日の「内臓料理」を食べていた時と同じ、あるいはそれ以上の真剣さに満ちていました。
「……な……、ノースランド公国だと……!? あんな、雪と氷しかない辺境に、カナタが行くだと!?」
「ええ。雪と氷……そして、最高のベーコンが待つ約束の地ですわ! ……さようなら、殿下。お花畑のリリア様と、一生味のしないお茶会でも楽しんでいてくださいな」
私は、唖然とする殿下を放置して、オズワルド様とお父様に向き直りました。
「……さあ、皆様! お話はまとまりましたわね! 移住のお祝いに、今すぐ厨房へ向かいましょう! お父様が隠し持っていた『熟成生ハム』、全部切っちゃいますわよ!」
「……おう、やれやれ! もはや隠す必要もない! 今日は祭りだ!」
「………私も、全力で手伝おう」
こうして、リュカオン殿下は衛兵によって引きずり出され、私たちは新しい門出を祝う「肉の饗宴」へと突入したのでした。
翌朝、フォルセティ公爵邸の重厚な書斎にて。
お父様は、いつになく真剣な顔で、対面に座るオズワルド様を睨みつけていました。
傍らで控える私は、お父様の手元に置かれた「ノースランド公国・移住要請書(仮)」をチラチラと盗み見ては、胸を高鳴らせていました。
(……北の国。そこは、まだ見ぬ揚げ物と、未知の脂身が眠るフロンティア……。行きたい。絶対に行きたいわ!)
「……左様です、フォルセティ公爵。我が国は今、深刻な『食の停滞期』にあります。カナタ嬢の、あの……既存の概念を打ち破る強靭な胃袋と、食に対する飽くなき探求心。……それこそが、我が国民に必要なのです」
オズワルド様が、一分の隙もない完璧な姿勢で頭を下げました。
「……建前はいい。オズワルド殿、本音はどうなのだ」
「………彼女のいない食卓は、砂を噛むように味気ない。私は、彼女と生涯、揚げ物の油を分かち合いたいと考えています」
「……!!」
お父様が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
ミーナが隣で「あらあら、実質的な求婚ですね」と小さく呟きましたが、私の耳には「生涯、揚げ物を分かち合う」という部分しか入っていませんでした。
(……それって、つまり……一生食いっぱぐれない、永久食べ放題プランの契約ってこと!?)
「……いいだろう。だが、条件がある」
お父様は、ずいと身を乗り出し、オズワルド様の鼻先に人差し指を突きつけました。
「……条件?」
「我が娘を……この『カロリーの申し子』をやる代わりに、貴国の秘伝である『極寒地用・高脂肪熟成肉』の製法を我が家に開示せよ! そして、年に一度、貴国の最高級バターを樽で十個、我が家に送ることを約束するのだ!」
「………取引成立だ。必要なら、バターは二十個に増やそう。さらに、我が領地の特産である『スモークベーコンの原木』も付け加えよう」
「……交渉成立だ!!」
二人の公爵が、ガシッと固い握手を交わしました。
娘の将来が、バターとベーコンの取引で決まった瞬間でした。
「……お嬢様。……ツッコミを入れるのは諦めて、もう荷造りを始めた方がよろしいかと」
「そうね、ミーナ! ノースランド公国には、どんなソースがあるのかしら……」
私が期待に胸を膨らませていた、その時です。
バァァァァァン!! という、品のない音と共に、書斎の扉が蹴破られました。
「……カナタ!! 貴様のせいで、リリアが、リリアが大変なことになったぞ!!」
現れたのは、肩で息をし、髪を振り乱したリュカオン殿下でした。
「………また貴方ですか、殿下。お父様の書斎を蹴破るなんて、マナーの教科書の一ページ目に『やってはいけないこと』として書いてあったはずですが?」
私は、紅茶を一口啜り、冷ややかに殿下を視界の端で捉えました。
「そんなことはどうでもいい! リリアが……あの日、貴様に言われた『妃の食事作法』を忠実に守ろうとして、空腹のあまり倒れたのだぞ! おまけに、三代前の国王の愛称を覚えようとして、知恵熱まで出して寝込んでいる!」
「………あら、それは大変。……つまり、彼女は『完璧な淑女』になるための最初の試練で、あっさり脱落したということですね?」
「何を他人事のように! リリアは『カナタ様が言った通りにしているのに、ちっとも幸せじゃない! お腹が空いて死んじゃう!』と泣き叫んでいるんだぞ! 今すぐ王宮に来て、彼女に謝罪し、もっと楽な教育法を教えろ!」
殿下の叫びに、書斎に冷たい沈黙が流れました。
私は、ゆっくりと立ち上がりました。
「……殿下。一つ、教えて差し上げますわ」
「なんだ!?」
「私が十年間、一度も倒れず、一度も泣き言を言わずにその教育に耐え抜いたのは、なぜだと思います?」
「それは……貴様が冷酷で、感情のない人形だったからだろう!」
「……いいえ。……いつか自由になって、美味しいものを山ほど食べてやるという『復讐心』だけをガソリンにして、心の中に猛獣を飼っていたからですわ」
私は、殿下の目の前まで歩み寄り、扇をパチンと閉じました。
「愛だけでお腹は膨れませんわよ、殿下。リリア様に伝えてください。……『真実の愛』があるなら、カスミでも食べて生きていけばよろしいのでは? と」
「き、貴様……!」
「……それから、殿下。不法侵入はこれぐらいにしていただけますか?」
後ろから、オズワルド様が静かに、しかし抗いようのない威圧感を持って歩み寄りました。
「……カナタ嬢は、先ほどノースランド公国の『美食外交特使』に任命された。……貴国の王太子といえど、我が国の最重要人物をこれ以上愚弄するならば、国際問題として対処させていただくが……よろしいか?」
オズワルド様の瞳は、昨日の「内臓料理」を食べていた時と同じ、あるいはそれ以上の真剣さに満ちていました。
「……な……、ノースランド公国だと……!? あんな、雪と氷しかない辺境に、カナタが行くだと!?」
「ええ。雪と氷……そして、最高のベーコンが待つ約束の地ですわ! ……さようなら、殿下。お花畑のリリア様と、一生味のしないお茶会でも楽しんでいてくださいな」
私は、唖然とする殿下を放置して、オズワルド様とお父様に向き直りました。
「……さあ、皆様! お話はまとまりましたわね! 移住のお祝いに、今すぐ厨房へ向かいましょう! お父様が隠し持っていた『熟成生ハム』、全部切っちゃいますわよ!」
「……おう、やれやれ! もはや隠す必要もない! 今日は祭りだ!」
「………私も、全力で手伝おう」
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