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「……着きましたわ。ここが、私の『第二の戦場』ね」
馬車の窓から見えるのは、銀色に輝く雄大な「銀氷城」。
ノースランド公国の王都は、石造りの街並みが雪に美しく映え、まるでお伽話の世界のようでした。
「お嬢様、うっとりしている暇はありませんよ。あちらをご覧ください。……あれこそが、お嬢様の『ラスボス』です」
ミーナが指差す先、城の正門の階段に、一人の女性が立っていました。
白銀の髪をきつく結い上げ、氷のように冷徹な瞳。豪華な毛皮を纏ったその姿は、まさに雪の女王そのものです。
「……我が母、ヒルデガルド大公妃だ。カナタ、覚悟してくれ。母上は、我が国の『伝統』と『規律』を象徴するようなお方だ」
オズワルド様が、少しだけ緊張した面持ちで私の耳元で囁きました。
(……なるほど。あのお方は『ニンニク増し増し』なんて言葉を、生涯で一度も口にしたことがなさそうな雰囲気ね)
私は馬車を降り、淑女としての仮面を三分間だけ装着しました。
「……あなたが、フォルセティ公爵家のカナタ嬢ね?」
ヒルデガルド様が、私を頭の先から爪先まで、品定めするように見つめました。
「はい。カナタ・フォルセティと申します。ノースランド公国の食文化特使として、この地を訪れることができ、大変光栄に存じますわ」
私は完璧なカーテシーを披露しました。かつての妃教育が、ここで無駄に役立ちます。
「……ふむ。所作は悪くないわね。ですが、私の耳には不穏な噂が届いていますわよ。……オズワルドを連れ回して、下町の卑俗な食べ物を貪り歩いているとか」
「……あー、それは、ええと、その……」
「『美食外交』という名目であれば、それ相応の格式が必要なはず。……今夜、歓迎の晩餐会を開きます。そこで貴女が我が国の……いえ、ノースランド公爵家にふさわしい淑女かどうか、判断させていただきますわ」
ヒルデガルド様は、ツンと鼻を鳴らして背を向け、城の中へと消えていきました。
「…カナタ、すまない。母上は非常に……健康意識が高く、厳格なのだ」
「いいえ、オズワルド様。面白いじゃありませんか。……晩餐会、受けて立とうじゃありませんの」
……しかし。
その日の夜、私の前に出された「歓迎」の食事を見て、私は目の前が真っ暗になりました。
「……ヒルデガルド様。……これ、は何でしょうか?」
私の前に置かれたのは、透き通るような、というより「向こう側が完全に見える」ほど薄い野菜のスープ。
そして、茹でただけの味のない白い魚が一切れ。付け合わせは、一切の味付けを拒絶したような生野菜です。
「ノースランド公国の伝統的な長寿食ですわ。素材の味を活かし、塩分と油分を極限まで削ぎ落とした、精神を研ぎ澄ませるためのメニューです。……さあ、召し上がれ」
ヒルデガルド様が、優雅に、まるで空気を食べるような所作でスープを口に運びました。
私は隣のオズワルド様を見ました。彼は、死んだ魚のような目をして、無言でそのスープを見つめていました。
(………これだ。これが、オズワルド様をあの『内臓料理』の沼に突き落とした原因ね)
私は一口、そのスープを飲んでみました。
「………お湯、ですわね」
「なんですって?」
「いいえ、なんでもございません。……ただ、これでは雪を溶かすほどの『生命の情熱』が感じられないというか……」
私は、ヒルデガルド様の顔をまじまじと見つめました。
お美しい。確かにお美しいですが、その頬は少し痩け、肌にはツヤがありません。
「………ヒルデガルド様。失礼ながら、お尋ねします。……あなた、夜中にこっそり冷蔵庫を開けて、何かを貪り食いたくなる衝動に駆られたことはありませんか?」
「な……!? 何を無礼なことを! 私は、この食生活こそが貴族の誇りだと信じて……」
「…………嘘をついてはいけません。あなたの瞳、それは『本当は、こってりしたものが食べたい』と叫んでいる、飢えた狼の瞳ですわよ!」
私は、バァン! とテーブルを叩いて立ち上がりました。
「カナタ! 母上に何ということを……!」
オズワルド様が慌てて止めに入りますが、私は止まりません。
「閣下、どいてください! ……ヒルデガルド様! 今夜の晩餐会、私に五分だけ時間をください! あなたの『魂』を揺さぶる一品を、今ここで作って差し上げますわ!」
「………面白いわね。もし私を満足させられなかったら、今すぐそのボロボロの私服と一緒に、国境まで追い返してあげますわよ」
「望むところですわ!」
私は、ドレスの袖をまくり上げ(淑女失格!)、厨房へと猛ダッシュしました。
ターゲットは、先ほどの味のない「白い魚」です。
「………ミーナ! 私のトランクから、隠し持ってきた『三年熟成の背徳味噌』と、あの『大量のバター』を出して!」
「………お嬢様。……姑(候補)をいきなり殺しにかかるのは、いかがなものかと」
「いいのよ、これは救済よ!!」
私は厨房のシェフたちを「オズワルド様の権限です!」と騙し……いえ、説得し、フライパンを握りました。
たっぷりのバターを熱し、そこに白い魚を投入。表面をカリッと焼き上げたら、秘密の味噌とニンニク、そして蜂蜜を混ぜたソースをドロリとかけます。
「仕上げに、追いバターよ! 熱々のやつを、ジュワッとかけるの!!」
数分後。
私は、暴力的なまでの芳醇な香りを纏った一皿を、ヒルデガルド様の前に置きました。
「………な、何なの、この鼻を突く下品な匂いは……」
ヒルデガルド様が、嫌悪感を示すように鼻を覆いました。
しかし、彼女の喉が、ゴクリと大きく動くのを私は見逃しませんでした。
「………さあ。一口、食べてみてください。……地獄への扉が開きますわよ」
ヒルデガルド様は、震える手でナイフとフォークを取りました。
一口、その黄金色に輝く魚を口に運んだ、その瞬間。
「…………っ!!!!」
彼女の手から、銀のフォークがカラン、と音を立てて落ちました。
その氷のように冷たかった瞳に、一気に……情熱のマグマが溢れ出したのです。
馬車の窓から見えるのは、銀色に輝く雄大な「銀氷城」。
ノースランド公国の王都は、石造りの街並みが雪に美しく映え、まるでお伽話の世界のようでした。
「お嬢様、うっとりしている暇はありませんよ。あちらをご覧ください。……あれこそが、お嬢様の『ラスボス』です」
ミーナが指差す先、城の正門の階段に、一人の女性が立っていました。
白銀の髪をきつく結い上げ、氷のように冷徹な瞳。豪華な毛皮を纏ったその姿は、まさに雪の女王そのものです。
「……我が母、ヒルデガルド大公妃だ。カナタ、覚悟してくれ。母上は、我が国の『伝統』と『規律』を象徴するようなお方だ」
オズワルド様が、少しだけ緊張した面持ちで私の耳元で囁きました。
(……なるほど。あのお方は『ニンニク増し増し』なんて言葉を、生涯で一度も口にしたことがなさそうな雰囲気ね)
私は馬車を降り、淑女としての仮面を三分間だけ装着しました。
「……あなたが、フォルセティ公爵家のカナタ嬢ね?」
ヒルデガルド様が、私を頭の先から爪先まで、品定めするように見つめました。
「はい。カナタ・フォルセティと申します。ノースランド公国の食文化特使として、この地を訪れることができ、大変光栄に存じますわ」
私は完璧なカーテシーを披露しました。かつての妃教育が、ここで無駄に役立ちます。
「……ふむ。所作は悪くないわね。ですが、私の耳には不穏な噂が届いていますわよ。……オズワルドを連れ回して、下町の卑俗な食べ物を貪り歩いているとか」
「……あー、それは、ええと、その……」
「『美食外交』という名目であれば、それ相応の格式が必要なはず。……今夜、歓迎の晩餐会を開きます。そこで貴女が我が国の……いえ、ノースランド公爵家にふさわしい淑女かどうか、判断させていただきますわ」
ヒルデガルド様は、ツンと鼻を鳴らして背を向け、城の中へと消えていきました。
「…カナタ、すまない。母上は非常に……健康意識が高く、厳格なのだ」
「いいえ、オズワルド様。面白いじゃありませんか。……晩餐会、受けて立とうじゃありませんの」
……しかし。
その日の夜、私の前に出された「歓迎」の食事を見て、私は目の前が真っ暗になりました。
「……ヒルデガルド様。……これ、は何でしょうか?」
私の前に置かれたのは、透き通るような、というより「向こう側が完全に見える」ほど薄い野菜のスープ。
そして、茹でただけの味のない白い魚が一切れ。付け合わせは、一切の味付けを拒絶したような生野菜です。
「ノースランド公国の伝統的な長寿食ですわ。素材の味を活かし、塩分と油分を極限まで削ぎ落とした、精神を研ぎ澄ませるためのメニューです。……さあ、召し上がれ」
ヒルデガルド様が、優雅に、まるで空気を食べるような所作でスープを口に運びました。
私は隣のオズワルド様を見ました。彼は、死んだ魚のような目をして、無言でそのスープを見つめていました。
(………これだ。これが、オズワルド様をあの『内臓料理』の沼に突き落とした原因ね)
私は一口、そのスープを飲んでみました。
「………お湯、ですわね」
「なんですって?」
「いいえ、なんでもございません。……ただ、これでは雪を溶かすほどの『生命の情熱』が感じられないというか……」
私は、ヒルデガルド様の顔をまじまじと見つめました。
お美しい。確かにお美しいですが、その頬は少し痩け、肌にはツヤがありません。
「………ヒルデガルド様。失礼ながら、お尋ねします。……あなた、夜中にこっそり冷蔵庫を開けて、何かを貪り食いたくなる衝動に駆られたことはありませんか?」
「な……!? 何を無礼なことを! 私は、この食生活こそが貴族の誇りだと信じて……」
「…………嘘をついてはいけません。あなたの瞳、それは『本当は、こってりしたものが食べたい』と叫んでいる、飢えた狼の瞳ですわよ!」
私は、バァン! とテーブルを叩いて立ち上がりました。
「カナタ! 母上に何ということを……!」
オズワルド様が慌てて止めに入りますが、私は止まりません。
「閣下、どいてください! ……ヒルデガルド様! 今夜の晩餐会、私に五分だけ時間をください! あなたの『魂』を揺さぶる一品を、今ここで作って差し上げますわ!」
「………面白いわね。もし私を満足させられなかったら、今すぐそのボロボロの私服と一緒に、国境まで追い返してあげますわよ」
「望むところですわ!」
私は、ドレスの袖をまくり上げ(淑女失格!)、厨房へと猛ダッシュしました。
ターゲットは、先ほどの味のない「白い魚」です。
「………ミーナ! 私のトランクから、隠し持ってきた『三年熟成の背徳味噌』と、あの『大量のバター』を出して!」
「………お嬢様。……姑(候補)をいきなり殺しにかかるのは、いかがなものかと」
「いいのよ、これは救済よ!!」
私は厨房のシェフたちを「オズワルド様の権限です!」と騙し……いえ、説得し、フライパンを握りました。
たっぷりのバターを熱し、そこに白い魚を投入。表面をカリッと焼き上げたら、秘密の味噌とニンニク、そして蜂蜜を混ぜたソースをドロリとかけます。
「仕上げに、追いバターよ! 熱々のやつを、ジュワッとかけるの!!」
数分後。
私は、暴力的なまでの芳醇な香りを纏った一皿を、ヒルデガルド様の前に置きました。
「………な、何なの、この鼻を突く下品な匂いは……」
ヒルデガルド様が、嫌悪感を示すように鼻を覆いました。
しかし、彼女の喉が、ゴクリと大きく動くのを私は見逃しませんでした。
「………さあ。一口、食べてみてください。……地獄への扉が開きますわよ」
ヒルデガルド様は、震える手でナイフとフォークを取りました。
一口、その黄金色に輝く魚を口に運んだ、その瞬間。
「…………っ!!!!」
彼女の手から、銀のフォークがカラン、と音を立てて落ちました。
その氷のように冷たかった瞳に、一気に……情熱のマグマが溢れ出したのです。
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