「婚約破棄、万歳!本日をもって『完璧な淑女』は廃業いたしますわ!」

どんぶり

文字の大きさ
15 / 28

15

しおりを挟む
「……着きましたわ。ここが、私の『第二の戦場』ね」


馬車の窓から見えるのは、銀色に輝く雄大な「銀氷城」。


ノースランド公国の王都は、石造りの街並みが雪に美しく映え、まるでお伽話の世界のようでした。


「お嬢様、うっとりしている暇はありませんよ。あちらをご覧ください。……あれこそが、お嬢様の『ラスボス』です」


ミーナが指差す先、城の正門の階段に、一人の女性が立っていました。


白銀の髪をきつく結い上げ、氷のように冷徹な瞳。豪華な毛皮を纏ったその姿は、まさに雪の女王そのものです。


「……我が母、ヒルデガルド大公妃だ。カナタ、覚悟してくれ。母上は、我が国の『伝統』と『規律』を象徴するようなお方だ」


オズワルド様が、少しだけ緊張した面持ちで私の耳元で囁きました。


(……なるほど。あのお方は『ニンニク増し増し』なんて言葉を、生涯で一度も口にしたことがなさそうな雰囲気ね)


私は馬車を降り、淑女としての仮面を三分間だけ装着しました。


「……あなたが、フォルセティ公爵家のカナタ嬢ね?」


ヒルデガルド様が、私を頭の先から爪先まで、品定めするように見つめました。


「はい。カナタ・フォルセティと申します。ノースランド公国の食文化特使として、この地を訪れることができ、大変光栄に存じますわ」


私は完璧なカーテシーを披露しました。かつての妃教育が、ここで無駄に役立ちます。


「……ふむ。所作は悪くないわね。ですが、私の耳には不穏な噂が届いていますわよ。……オズワルドを連れ回して、下町の卑俗な食べ物を貪り歩いているとか」


「……あー、それは、ええと、その……」


「『美食外交』という名目であれば、それ相応の格式が必要なはず。……今夜、歓迎の晩餐会を開きます。そこで貴女が我が国の……いえ、ノースランド公爵家にふさわしい淑女かどうか、判断させていただきますわ」


ヒルデガルド様は、ツンと鼻を鳴らして背を向け、城の中へと消えていきました。


「…カナタ、すまない。母上は非常に……健康意識が高く、厳格なのだ」


「いいえ、オズワルド様。面白いじゃありませんか。……晩餐会、受けて立とうじゃありませんの」


……しかし。


その日の夜、私の前に出された「歓迎」の食事を見て、私は目の前が真っ暗になりました。


「……ヒルデガルド様。……これ、は何でしょうか?」


私の前に置かれたのは、透き通るような、というより「向こう側が完全に見える」ほど薄い野菜のスープ。


そして、茹でただけの味のない白い魚が一切れ。付け合わせは、一切の味付けを拒絶したような生野菜です。


「ノースランド公国の伝統的な長寿食ですわ。素材の味を活かし、塩分と油分を極限まで削ぎ落とした、精神を研ぎ澄ませるためのメニューです。……さあ、召し上がれ」


ヒルデガルド様が、優雅に、まるで空気を食べるような所作でスープを口に運びました。


私は隣のオズワルド様を見ました。彼は、死んだ魚のような目をして、無言でそのスープを見つめていました。


(………これだ。これが、オズワルド様をあの『内臓料理』の沼に突き落とした原因ね)


私は一口、そのスープを飲んでみました。


「………お湯、ですわね」


「なんですって?」


「いいえ、なんでもございません。……ただ、これでは雪を溶かすほどの『生命の情熱』が感じられないというか……」


私は、ヒルデガルド様の顔をまじまじと見つめました。


お美しい。確かにお美しいですが、その頬は少し痩け、肌にはツヤがありません。


「………ヒルデガルド様。失礼ながら、お尋ねします。……あなた、夜中にこっそり冷蔵庫を開けて、何かを貪り食いたくなる衝動に駆られたことはありませんか?」


「な……!? 何を無礼なことを! 私は、この食生活こそが貴族の誇りだと信じて……」


「…………嘘をついてはいけません。あなたの瞳、それは『本当は、こってりしたものが食べたい』と叫んでいる、飢えた狼の瞳ですわよ!」


私は、バァン! とテーブルを叩いて立ち上がりました。


「カナタ! 母上に何ということを……!」


オズワルド様が慌てて止めに入りますが、私は止まりません。


「閣下、どいてください! ……ヒルデガルド様! 今夜の晩餐会、私に五分だけ時間をください! あなたの『魂』を揺さぶる一品を、今ここで作って差し上げますわ!」


「………面白いわね。もし私を満足させられなかったら、今すぐそのボロボロの私服と一緒に、国境まで追い返してあげますわよ」


「望むところですわ!」


私は、ドレスの袖をまくり上げ(淑女失格!)、厨房へと猛ダッシュしました。


ターゲットは、先ほどの味のない「白い魚」です。


「………ミーナ! 私のトランクから、隠し持ってきた『三年熟成の背徳味噌』と、あの『大量のバター』を出して!」


「………お嬢様。……姑(候補)をいきなり殺しにかかるのは、いかがなものかと」


「いいのよ、これは救済よ!!」


私は厨房のシェフたちを「オズワルド様の権限です!」と騙し……いえ、説得し、フライパンを握りました。


たっぷりのバターを熱し、そこに白い魚を投入。表面をカリッと焼き上げたら、秘密の味噌とニンニク、そして蜂蜜を混ぜたソースをドロリとかけます。


「仕上げに、追いバターよ! 熱々のやつを、ジュワッとかけるの!!」


数分後。


私は、暴力的なまでの芳醇な香りを纏った一皿を、ヒルデガルド様の前に置きました。


「………な、何なの、この鼻を突く下品な匂いは……」


ヒルデガルド様が、嫌悪感を示すように鼻を覆いました。


しかし、彼女の喉が、ゴクリと大きく動くのを私は見逃しませんでした。


「………さあ。一口、食べてみてください。……地獄への扉が開きますわよ」


ヒルデガルド様は、震える手でナイフとフォークを取りました。


一口、その黄金色に輝く魚を口に運んだ、その瞬間。


「…………っ!!!!」


彼女の手から、銀のフォークがカラン、と音を立てて落ちました。


その氷のように冷たかった瞳に、一気に……情熱のマグマが溢れ出したのです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

処理中です...