悪役令嬢ですらないのに婚約破棄?そもそも私、影が薄すぎてモブなんですけど!

ツナ

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「ミューモ・アズベル伯爵令嬢! 貴様のような薄汚い心を持った女との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!」


王立学院の卒業パーティー。
シャンデリアの光が眩しく降り注ぐ大ホールの中心で、第一王子シグルド様が朗々と声を張り上げました。


その傍らには、守護欲をそそるような儚げな美少女、男爵令嬢のララ様が寄り添っています。
周囲の貴族たちは何事かと足を止め、私たちをぐるりと取り囲みました。


私はと言えば、手に持っていた小皿の上の「白身魚のムース」をどうすべきか、真剣に悩んでいました。
今食べたら行儀が悪いし、かといってこのまま持っているのも妙にシュールです。


「……あの、シグルド様。お言葉ですが、もう一度お名前を呼んでいただけますか?」


「ふん、罪を自覚して恐怖で耳が聞こえなくなったか! いいだろう、何度でも言ってやる。ミューモ・アズベル! 貴様のことだ!」


「……ああ、やっぱり私でしたか。微妙にイントネーションが違ったので、別の方を呼んでいらっしゃるのかと」


「そんな瑣末なことはどうでもいい! 貴様がララに対して行ってきた数々の悪逆非道な振る舞い、すべて証拠は上がっているのだぞ!」


シグルド様はビシッと指を差してきました。
私は小皿をそっと近くの給仕のテーブルに置き、首を傾げます。
悪逆非道。
その言葉の響きに見合うようなことを、これまでの人生で一度でもした覚えがあったでしょうか。


「悪逆非道、ですか。例えばどのような?」


「とぼけるな! まずはこれだ。先月、ララの教科書をすべて隠し、彼女を授業に出られないようにしただろう!」


「……それは、図書室の『忘れ物箱』に入っていたもののことでしょうか」


「何だと?」


「あの日、ララ様が中庭で居眠りをして放置されていた教科書を、雨が降りそうだったので私が回収して図書室の受付に届けたのです。司書の先生にも確認していただければ、私の署名が残っているはずですが」


私は努めて冷静に答えました。
そもそも、彼女の教科書を隠すメリットが私にありません。
彼女の成績が下がったところで、私の成績が上がるわけではないのですから。


「……ララ、これはどういうことだ?」


シグルド様が隣のララ様に視線を向けると、彼女は大きな瞳に涙を溜めてプルプルと震えだしました。


「……だ、だってぇ、教科書がなくなって、私、とっても悲しくて……。ミューモ様が持っていったって、誰かが言ってたんですぅ」


「誰か、とは具体的にどなたですか? その方をここに呼んでいただけますか?」


「それは……ええと、誰だったかなぁ……」


ララ様は視線を泳がせます。
この時点で、周囲の生徒たちの間に「あれ?」という空気が流れ始めました。
しかし、シグルド様は止まりません。


「教科書は序の口だ! 貴様、ララの靴に、生きたカエルを入れただろう! 彼女はショックで三日間も寝込んだのだぞ!」


これには流石の私も、深い溜息を禁じ得ませんでした。


「シグルド様。私は重度の両生類恐怖症です。カエルを素手で捕まえて靴に入れるなど、国家転覆を企てるより不可能な所業です。そもそも、カエルの写真を見るだけで気絶する私に、そんな真似ができるとお思いですか?」


「……だが、ララは確かに緑色のヌルヌルしたものが入っていたと言っていた!」


「それは、私が差し入れとして彼女の机に置いておいた『ずんだ餅』ではないでしょうか。故郷の名産で、とても美味しいのですよ。ただ、少しばかり餡が柔らかすぎたかもしれません。まさか靴の中に入れたわけではありませんよね?」


「ず、ずんだ……もち……?」


ララ様の顔が引きつります。
まさか、お菓子をカエルと見間違えて三日間寝込んだのでしょうか。
だとしたら、彼女の想像力は豊かすぎるという他ありません。


「貴様……! そうやっていつも屁理屈を捏ねてララを追い詰める! そういう陰険な性格が、悪役令嬢そのものだと言っているのだ!」


「……悪役令嬢、ですか」


私は自分の胸元を見下ろしました。
派手さのない淡い水色のドレス。
流行りからは一歩遅れたデザイン。
髪型だって、精一杯着飾っても「目立たないようにまとめられた」程度のものです。


私のような、どこにでもいる、いてもいなくても気づかれないような「モブ」が、華やかな悪役令嬢を名乗るなど、本物の悪役令嬢の方々に失礼というものです。


「シグルド様、私には悪役令嬢を務められるほどの美貌も、財力も、そして人を惹きつけるような悪のカリスマ性もございません。私はただの、影の薄い伯爵令嬢です」


「黙れ! 影が薄いのをいいことに、裏でコソコソと立ち回るその様こそが醜いと言っているのだ! 私は決めた。貴様との婚約を破棄し、真に心優しいララを新たな婚約者として迎える!」


会場がどよめきました。
王子の婚約破棄は、国家間の問題にも発展しかねない大事件です。
本来なら、私はここで泣き崩れたり、あるいは怒り狂ってララ様に平手打ちを見舞ったりすべきなのでしょうか。


でも、私の心に湧き上がってきたのは、驚くほど純粋な「解放感」でした。


王太子妃になるための厳しい教育。
王家の行事に出席するための過酷なマナー。
そして、自分を愛してもいない男性の機嫌を伺う毎日。
それらすべてから、今、解き放たれようとしているのです。


「……承知いたしました」


「なっ……あっさり認めるとは、やはりやましいことがあったのだな!」


「いえ、シグルド様がそこまでおっしゃるのであれば、私のような者に引き留める権利はございません。婚約破棄、喜んでお受けいたします」


「よ、喜んでだと……?」


シグルド様が毒気を抜かれたような顔をしました。
もっと縋り付かれるとでも思っていたのでしょうか。
残念ながら、私にはそこまでの執着心はありません。


「つきましては、婚約解消に伴う諸手続き、および慰謝料の請求に関しては、後ほど我がアズベル伯爵家より正式に文書を送らせていただきます。卒業パーティーの最中にこのような公の場で宣言されたのですから、証人は大勢いらっしゃいますものね」


私は周囲を見渡して、にっこりと微笑みました。
普段目立たない私の微笑みに、なぜか周囲の騎士様たちが「お、おう……」と気圧されたような声を漏らします。


「それでは、私はこれにて失礼いたします。ララ様、シグルド様をお幸せに。彼は……その、とても思い込みが激しい方ですので、お世話は大変かと思いますけれど」


「ちょっと、ミューモ様! 捨て台詞なんてひどいですぅ!」


ララ様の叫びを背中に受けながら、私は軽やかな足取りでホールを後にしました。
夜風が心地よく、夜空に浮かぶ月がいつもより綺麗に見えます。


「さあ、帰ったらまずはお父様に報告しなきゃ。それから、明日からはお昼寝し放題ね!」


私は誰もいない廊下で、小さくスキップをしました。
悪役令嬢にすらなれなかったモブ令嬢の、輝かしい第二の人生が、今始まったのです。
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