悪役令嬢ですらないのに婚約破棄?そもそも私、影が薄すぎてモブなんですけど!

ツナ

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「……完璧だ。これならば、誰一人として俺がこの国の第一王子、シグルド・フォン・バルトシュであるとは気づくまい」


城下町の路地裏。
汚れた茶色のマントを深く被り、度の強い眼鏡をかけた男が、鏡代わりの水溜まりを覗き込んでニヤリと笑いました。


その傍らで、同じく地味な服を着せられた側近の騎士が、今にも泣き出しそうな顔で天を仰いでいます。


「殿下。……いえ、シグ様。申し上げにくいのですが、その金色の髪がマントから盛大にはみ出しています。あと、その隠しきれない高貴なオーラが、逆に不審者として目立っております」


「黙れ。これは『あえて』だ。カモフラージュというやつだ。……それより、ターゲットはどこだ?」


「ターゲットって……。元婚約者のミューモ様ですよね? あちらのカフェのテラス席にいらっしゃいますよ。騎士団長閣下と一緒に」


シグルド様は、路地の陰からスッと首を伸ばしました。
その視線の先には、街で一番人気のカフェで、優雅にお茶を楽しむ……というか、大量のスコーンを無心で頬張っているミューモの姿がありました。


「……ふん、見てみろ。あの地味な女、カインにエスコートされているというのに、色気も何もない食べ方をしている。あんなものはただの『餌付け』だ」


「殿下、そうはおっしゃいますが……。カイン閣下のあの表情を見てください。まるで聖母でも拝んでいるような、慈愛に満ちた顔ですよ。あんな顔、戦場でも見たことがありません」


「チッ、カインの奴、目が腐ったのか? それとも、ミューモが強力な魅了の魔導具でも使っているのか……。ああ、そうに違いない! あいつは俺を振り向かせるために、禁忌の魔術に手を染めたのだ!」


シグルド様の脳内では、今日も独自のファンタジーが絶好調で上映されていました。
現実に起きているのは、カイン様がミューモの口元に付いたジャムを、自らの指で優しく拭い取っているという、砂糖を吐きそうなほど甘い光景なのですが。


「……おい、見たか!? 今、カインが指を……! 汚い、汚すぎるぞミューモ! 俺ですら一度も触れなかったその頬に、他人の指を許すとは!」


「殿下が触れなかったのは、いつも『視界に入らない』とおっしゃって避けていたからでは……」


「うるさい! 俺は視察に来たのだ。あいつがどれほど惨めな思いをしているかを確認し、もし反省しているようなら、慈悲の心でララの侍女として雇ってやろうと思っていたのに!」


シグルド様はギリリと歯噛みしました。
すると、カフェのテーブルで何やら動きがありました。
カイン様が立ち上がり、ミューモの前に跪いたのです。


「……なっ、なんだ!? 今度は何だ!?」


「お、お静かに! ……どうやら、プレゼントを渡しているようですよ」


カイン様が取り出したのは、小さな、けれど一目で最高級品だと分かる美しい細工の小箱でした。
中には、ミューモの瞳の色と同じ、深い青色の魔石が埋め込まれたブローチが収められています。


「ミューモ。……これは、ただの飾りではない。私の魔力を込めてある。君に危険が迫った時、この石が私に知らせてくれる。……そして、君を害しようとする不届き者を、自動的に追尾して雷を落とす仕様だ」


「……閣下。あの、機能が過激すぎませんか? 雷って」


「君を守るためなら、天変地異すら利用するのが私の流儀だ」


「流儀が怖いです……。でも、ありがとうございます。大切にしますね」


ミューモが、少しだけ照れたように微笑みました。
その笑顔は、かつて王子の前で見せていた「無機質な事務処理スマイル」とは全く別物で。


「…………あ」


シグルド様は、一瞬だけ言葉を失いました。
胸の奥を、熱い鉄の棒で突き刺されたような、奇妙な痛みが走ります。


「……殿下? どうされました?」


「……いや。……なんでもない。ただ、あいつのあんな顔、俺は一度も……」


シグルド様は、自分の胸元をぎゅっと掴みました。
後悔。
その二文字が、彼のプライドという名の厚い壁を、少しずつ削り始めます。
しかし、彼はまだ止まりません。


「……認めん。認めんぞ! あんなのは、カインがミューモの『可哀想な境遇』に同情しているだけだ! ミューモも、俺への未練を断ち切るために、必死でカインに縋っているのだ! 可哀想に、本当は俺に抱きしめてほしいはずなのに!」


「殿下、そのポジティブすぎる思考、ある意味尊敬しますよ……」


その時です。
カフェのテラス席にいたカイン様が、フッと視線をこちらに向けました。
鋭い、凍てつくような眼光。


「……ひっ!?」


シグルド様は反射的に、ゴミ箱の陰に隠れました。


「……誰か、不快な視線を送っているな。ミューモ、少し待っていてくれ。害虫を駆除してくる」


「あ、閣下! 待ってください、ただの野次馬ですよ! 剣を抜かないで!」


ミューモが必死にカイン様を制止しました。
もし彼女が止めていなければ、シグルド様は今頃、ゴミ箱ごと一刀両断されていたことでしょう。


「……逃げるぞ! 今日のところは、これくらいにしておいてやる!」


「逃げるんですか!? というか、バレる前に帰りましょう!」


シグルド様は、情けない声を上げながら路地の奥へと消えていきました。


その後。
カフェでは、ミューモが再びスコーンに手を伸ばしていました。


「……? 閣下、どうかしましたか?」


「いや。……ドブネズミが二匹、慌てて逃げていくのが見えただけだ。気にするな」


「そうですか。……あ、このクロテッドクリーム、お代わりしてもいいですか?」


「ああ。店ごと買い取ろうか?」


「お代わりだけでいいです!」


二人の穏やかな(?)時間は続き、シグルド様の「視察」は、ただ自分のメンタルを削るだけで終わったのでした。
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