君との婚約を破棄する!と言われましたが、見つめ返してもよろしいですか?

ツナ

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「……閣下、あちらですわ! あの不気味に発光している藪の奥に、伝説の甘味が眠っていますの!」

私は夜の森を、まるでピクニックに出かけるような軽やかさで突き進んでいた。
ここ『死の森』は、凶暴な魔獣が跋扈し、並の冒険者なら足を踏み入れた瞬間に遺書を書くと言われる禁域だ。

だが、今の私には恐れるものなど何もない。
なぜなら、私の隣には「ドーナツ・ハイ」によってリミッターの外れた、王国最強の捏ね機(中将)がついているのだから。

「……待て、チュロス。……来るぞ」

ベーグル中将が、私の前に腕を出して制した。
闇の中から現れたのは、三つの頭を持つ巨大な魔犬、ケルベロスだ。
滴る涎が地面を焼き、六つの瞳が飢えた獣の光を放っている。

「グルルル……ッ!」

「まあ、なんて行儀の悪いワンちゃん。閣下、サクッと揚げて……いえ、片付けてくださいませ!」

「了解した。……我が剣は、甘美なる円環を守るために」

中将が腰の長剣を引き抜く。
だが、その構えは騎士団の流儀とは明らかに違っていた。
低く腰を落とし、まるで……巨大な生地の塊を迎え撃つかのような、独特の旋回運動。

「ハァッ!!」

閃光。
中将の剣が、ケルベロスの突進を受け止める。
だが彼は斬るのではなく、剣の腹を使い、流れるような円運動で魔獣の力を「受け流し、丸めた」。

「……!? 今のは……?」

「親父から教わった、粘りの強い生地をいなす技……『ハード流・螺旋捏ね』の応用だ」

「剣技にパン作りの極意を混ぜないでいただけます!? ……でも、流石ですわ!」

翻弄されたケルベロスは、自分が何をされたのかも分からぬまま、文字通り「お団子状」に丸まって地面を転がっていった。

私たちはさらに森の奥へと進み、ついに目的の場所に辿り着いた。
そこには、青白い月光を浴びて、透き通るような花弁を広げる『月光花』が群生していた。

「見つけましたわ! この花の芯にある蜜こそ、砂糖の百倍の甘みを持ちながら、血管をシルクのように美しく保つという究極の天然甘味料……!」

私は駆け寄ろうとしたが、花から発せられる強烈な魔力の障壁に弾き飛ばされそうになった。

「うっ……! この花、身を守るために魔力の膜を張っていますのね。無理に触れれば、蜜が苦味に変わってしまう……」

「……繊細な素材だな。……チュロス、下がっていろ。私がやる」

中将が前に出る。
彼は剣を置き、その太い指先をゆっくりと花に近づけた。

「閣下、力技ではダメですわよ! その花は、愛を込めて優しく、かつ正確なリズムで刺激を与えないと、蜜を差し出してくれないのです!」

「……愛と、正確なリズムか。……ふっ、私の得意分野だ」

中将の大きな手が、月光花に触れる。
その瞬間、彼の指先が驚くべき速度で動き始めた。

トントン、スッ。クルッ、トン。

それは、パン職人が生地の気泡を潰さぬよう、極限の集中力で行う「ベンチタイム」の指捌き。
あるいは、発酵途中の繊細な生地を優しく丸め直す、慈愛のタッチ。

「……おお……っ、見てください! 月光花が……とろけていますわ!」

鋼の筋肉を持つ男が行う、あまりにも繊細な愛撫(パン作り技術)。
その「捏ね」の波動に当てられたのか、月光花はうっとりと花弁を震わせ、中心から琥珀色の輝く液体を溢れ出させた。

「……取れたぞ。チュロス、瓶を」

「は、はい! ……閣下、あなたってもしかして、騎士よりもマッサージ師かパン屋の方が向いているのではありませんの?」

「……余計なことを言うな。私はただ、お前がドーナツを揚げられないと、私の筋肉の使い道がなくなるのが困るだけだ」

中将はそっけなく言ったが、その耳は少しだけ赤かった。
私たちは、たっぷりと採取した『月光花の蜜』を抱え、意気揚々と森を後にした。

翌朝。
『ベーカリー・ハード』の厨房には、再び勝利の予感が漂っていた。

「さあ、仕上げですわ! 全粒粉の生地に、この月光花の蜜を練り込み……仕上げに、軽く熱を通した蜜を表面にコーティングします!」

揚げ油の中で踊るドーナツは、もはや宝石のようだった。
砂糖を一切使っていないのに、立ち昇る香りは高貴なキャラメルよりも甘美で、それでいて草原のような爽やかさを併せ持っている。

「……できたわ。これこそが、サラダ教授への宣戦布告……『月光のヘルシー・リング』ですわ!」

私は、完成したばかりのドーナツを高く掲げた。

「おい、小娘! 準備しろ! 店の前に、例の教授とお前の親父が来やがったぞ!」

ハード氏の声に、私は不敵な笑みを浮かべた。
手には黄金のトング。
横には、完徹で生地を捏ね続けて血管が浮き出た最強の騎士。

「お迎えしましょう。……私たちの『穴』の向こう側にある、新しい真実を見せて差し上げますわ!」
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