泣いていると思いました? 残念、断罪を回避いたしますわ。

どんぶり

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「……はぁ。これだから素人の粉飾決算は見ていられませんわ」


 王立監査部、ポルカに与えられた真新しい執務室。


 彼女は、山のように積まれた帳簿を猛烈な勢いで捲りながら、深い溜息をついた。


 その手には、お気に入りの「公爵家特注・速記用万年筆」が握られており、紙の上を走るたびに心地よい音を立てている。


「お疲れのようですね、ポルカ。休憩にしましょう。本日のメンテナンス・メニューは、王宮御用達のパティスリーが焼いた新作のガレットと、最高級のアッサムティーです」


 カイルが絶妙なタイミングでワゴンを押して入ってきた。


 彼は流れるような動作でティーカップを机の端に置く。


「カイル様、ありがとうございます。……ですが、これをご覧ください。休憩の前に、この『国家の膿』を共有しておかないと、寝付きが悪くなりそうですわ」


 ポルカが指し示したのは、シリウスが管理していた「王室馬術部・維持費」の項目だった。


「馬術部の予算……。確か、シリウス殿下が部長を務めていたはずですが、何か不審な点でも?」


「不審な点しかありませんわ。見てください、この『馬の蹄鉄代』。一ヶ月に一頭あたり百枚の蹄鉄を消費している計算になっています。……この国の馬は、一体何本の足が生えているのかしら? 八本足のスレイプニルでも飼っているつもりかしら?」


「……なるほど。余剰分をどこかに流していますね」


「ええ。そして、その流し先がこの『S.E.L.L.ファンド』という謎の口座です。カイル様、この名称に心当たりは?」


 カイルは顎に手を当て、少しだけ眉根を寄せた。


「いえ、公式な投資機関にはそのような名前はありませんが……」


「ふふ、代筆を三年間務めた私には分かりますわ。シリウス殿下のネーミングセンスは、常に直感的で、そして救いようがないほど稚拙です。……おそらくこれ、『シリウス・エトワール・ルル・らぶらぶファンド』の略ですわね」


 カイルが飲んでいた紅茶を、危うく吹き出しそうになった。


「……らぶらぶ、ファンド?」


「はい。殿下が授業中に描いていた落書きのサインと同じ筆跡ですわ。案件番号08『王太子による公金横領および私的流用』。この口座の裏付けを取れば、彼はもう二度と表舞台には戻れませんわね」


 ポルカは冷徹な笑みを浮かべ、ガレットを一口齧った。


「サクサクして美味しいですわ。……さて、このらぶらぶファンド、中身を精査したところ、ルル様のドレス代だけでなく、なんと隣国のカジノでの負け補填にも使われていましたわ」


「カジノ……。それはもう、個人の不祥事では済みませんね。外交問題、あるいは国家反逆罪に相当する可能性があります」


「あら、素敵。罪状が増えるたびに、私の仕事へのやりがいも増していきますわ」


 ポルカは再びペンを執ると、さらさらと調査指示書を書き上げた。


「カイル様、この口座に関連する商人のリストアップをお願いします。それから、ルル様の私物から『購入時期が不明な高額宝飾品』をすべて没収してください。……彼女、今頃地下牢で豆を数えているはずですが、宝石より豆の方が彼女にはお似合いですわ」


「承知いたしました。……それにしても、ポルカ。あなたはなぜ、そこまで正確に殿下の隠し事を見抜けるのですか? 愛が憎しみに変わった……という感傷的な理由ではないのでしょう?」


 カイルが試すように目を細める。


 ポルカはペンを止め、至極真面目な顔で彼を見返した。


「愛? 失礼ね、カイル様。私は三年間、彼を『観察対象』として、あるいは『処理すべき未済案件』として見ていただけですわ。……いつか彼が私を裏切るその時のために、最大効率で反撃できるよう、すべてのデータを蓄積しておく。それが公爵令嬢としての嗜みだと思いませんこと?」


「……くくっ。はははは! 素晴らしい! やはりあなたは、私が思っていた通りの最高の女性だ!」


 カイルは声を上げて笑い、ポルカの机に両手をついた。


「ポルカ、私は決めた。あなたを一生、この監査部の奥深くに閉じ込めておきたい。……もちろん、私の愛という名の『完璧なセキュリティ』付きでね」


「カイル様、その冗談は二回目ですわ。……あと、至近距離での発言は、私の吐息による羊皮紙の乾燥具合に影響しますので、三十センチほど下がってください」


「相変わらず手厳しい。……ですが、今の言葉は半分本気ですよ。国王陛下も、あなたのこの『らぶらぶファンド報告書』を見れば、腰を抜かされるでしょう。……そして、シリウスを正式に廃嫡する決意を固めるはずだ」


「陛下の腰痛が心配ですけれど、真実は残酷なものですわ」


 ポルカは紅茶を飲み干すと、満足げに背伸びをした。


「さあ、カイル様。次の案件は『隣国から贈られた友好の証(という名のワイロ)の行方』です。……夜は長いですわよ。覚悟はできていらっしゃいますか?」


「ええ。あなたの隣にいられるのなら、夜通しの書類仕事も、私にとっては最高の贅沢ですから」


 二人のペンが、深夜の王宮に小気味よいリズムを刻み続ける。


 その頃、地下牢では、ルルが泣きながら豆を数え間違え、看守に「やり直し」を命じられていた。


「ああああん! ポルカ様のバカぁ! 豆なんて大嫌いですわぁぁ!」


 その悲鳴は、誰に届くこともなく、冷たい石壁に吸い込まれていった。
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