泣いていると思いました? 残念、断罪を回避いたしますわ。

どんぶり

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「……なんですの、この耳障りな報告書は」


 王立監査部。ポルカは、差し出された警備隊からの『苦情申立書』を指先でつまみ上げ、不快そうに眉を寄せた。


 書類には、地下牢から昼夜を問わず響き渡る罵声と泣き声により、看守たちのメンタルヘルスが著しく低下している旨が記されていた。


「ああ、例の二人のことですね。どうやら、お互いの罪をなすりつけ合うフェーズに突入したようです」


 カイルが、淹れたてのコーヒーをポルカの机に置きながら、他人事のように微笑んだ。


「シリウス様は『お前に唆された』と言い、ルル様は『殿下が強引に誘った』と主張しているとか。語彙のバリエーションが少ないため、聞かされる側としては苦痛以外の何物でもないでしょうね」


「……公共の場での騒音。これは立派な『王宮資源の浪費』ですわ。カイル様、彼らの叫び声による衛兵のストレス値を、治癒魔法の利用料金に換算して損害賠償に上乗せしておいてください」


「承知いたしました。……ところで、ポルカ。彼らが『直接ポルカに会って謝罪したい』と、一分間に一回のペースで喚いているのですが、どうされますか?」


 ポルカは、ペンを置いて立ち上がった。


「謝罪? いいえ、彼らが求めているのは『許し』ではなく、自分たちが楽になるための『言い訳』の場でしょう。……ですが、このまま騒ぎ続けられては私の作業効率に響きますわ。一度、現場の環境改善(だまらせる)に行って参ります」


 地下牢へ向かうポルカの足取りは、まるで観劇にでも行くかのように軽やかだった。


 石造りの廊下を進むにつれ、確かにヒステリックな男女の声が反響して聞こえてくる。


「この嘘つき女! 私の地位と財産を目当てに近づいたんだろう!」


「ひどいですわ殿下! あんなに『ポルカより君の方が可愛い』なんて言って、私をその気にさせておいて! 私は被害者ですわ!」


 鉄格子を挟んで向かい合った二人の独房は、今や醜い罵り合いの戦場と化していた。


 ポルカは、その中央でピタリと足を止めると、扇でパチンと音を立てて閉じた。


「……お静かに。測定の結果、ただいまの音量は八十五デシベル。これは大型犬の吠え声、あるいは工事現場の騒音に匹敵しますわよ」


 ポルカの声は低く、しかし驚くほどよく通った。


 シリウスとルルが、弾かれたように鉄格子に縋り付く。


「ポルカ! ポルカ、聞いてくれ! この女が、この女が全部仕組んだんだ!」


「ポルカ様! お助けください! 私は殿下に命令されて、お茶にゴーヤを入れただけなんです!」


 二人の醜態を見つめるポルカの目は、極寒の地の湖のように冷ややかだった。


「案件番号15『醜い責任転嫁による時間の浪費』。お二人に一つ、事務的なアドバイスを差し上げますわ」


 ポルカはファイルを開き、グラフが描かれた一枚の紙を二人に提示した。


「こちら、お二人の供述の『矛盾点抽出チャート』です。ルル様が『命令された』とおっしゃる時刻、シリウス様は別の女性に愛の詩を贈るための推敲に没頭されていました。……つまり、どちらの言い分も整合性が取れておりません」


「あ……」


「い、いや、それは……」


「お互いを攻撃すればするほど、お二人の『信頼性スコア』はマイナスへと転落し、結果として刑期が延びる仕組みになっております。……理解できましたかしら? 貴方たちが今すべきなのは、叫ぶことではなく、静かに自分の人生の収支決算(はんせい)を行うことですわ」


 ポルカは扇の先で、鉄格子をコツンと叩いた。


「これ以上、騒音を撒き散らすようでしたら、この地下牢に『高性能集音魔法具』を設置いたします。お二人の罵り合いをすべて録音し、王都の中央広場で二十四時間垂れ流す『不忠者のデュエット』として公開いたしますけれど、よろしいかしら?」


 その言葉に、シリウスとルルは同時に口を噤んだ。


 もしそんなものが公開されれば、貴族としての名誉どころか、人間としての尊厳すら残らない。


「……理解が早くて助かりますわ。では、今後一言でも許可なく発言するたびに、夕食のパンを一口分ずつ没収させていただきます。……カイル様、記録を」


「はい。既に『発言監視魔法』の発動準備は整っております。……さあ、殿下。沈黙という名の贅沢を存分に味わってください」


 カイルが冷たく微笑むと、地下牢には墓場のような静寂が訪れた。


 ポルカは満足げに頷き、身を翻した。


「さて、カイル様。騒音問題が解決したところで、本日のメインディッシュに取り掛かりましょう」


「メインディッシュ、ですか?」


「ええ。シリウス様の実家……王家の直轄領における『使途不明金』の追跡調査ですわ。……どうやら、彼一人の浪費では説明がつかないほど、大きな穴が開いているようですの」


 ポルカの瞳に、知的な興奮が宿る。


 それは、失われた愛への未練などではなく、未解決の謎を解き明かそうとする調査官の輝きだった。


「……面白い。どうやらこの『婚約破棄』、単なる痴話喧嘩以上の巨大な不祥事へと繋がっているようですね」


 カイルがポルカの手をそっと取り、エスコートするように歩き出す。


「ええ。徹底的に洗い出しますわよ。一円の誤差も、一人の黒幕も逃しませんわ」


 地下牢を後にする二人の背中には、一切の迷いも、無駄な感情もなかった。


 ただ、公正なる「数字」という剣を携え、彼らは国家の闇へと切り込んでいく。
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