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26.ジオールの審判
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数日後、ジオール本国からの連絡を受け、ヴィルヘルムと俺はトーラス村を後にした。
「また顔を見せてくれよなァ!」と熱い気持ちを伝えてくれたあの壮年の男性には、ヴィルヘルムが力強い握手で応えていた。何かが豪快に砕ける音と悲鳴が聞こえたが、俺はジャンの母に頭をなでられていたのでよくわからなかった……ということにしておこうと思う。俺の護衛が過保護で申し訳ない。
「怖がらせても負担になるばかりだろうとこれまで詳細を伏せていたが、塔での君の人気はこれ以上だったからな」
釘をさすように告げられた言葉に、俺は前言を撤回する。過保護で助かっています。
もともと何も持たずに訪れた村だったので、出立する際も俺たちに荷物はなかった。
最低限の携帯食だけをポケットに、俺たちは道なき道を歩き出す。
塔を出た後のヴィルヘルムの足取りを思い出して、これは夜までかかるのではと覚悟をしていたのだが、村を出てほどなく、細い街道に出たところでヴィルヘルムはあたりを見渡した。
俺もつられて首をめぐらせたが、道の両側には森しかない。
「ヴィル?」
「帝国の探知魔法が途切れた。飛ぶぞ」
「え?」
ぐいっと手を引かれたとたんに、景色が変わった。
「――え?」
延々と続いていた森は整えられた並木に。土と砂利と草だらけだった小さな道は、石畳の続く立派な街道に。
そして、俺たちの視線の先には、木々と塀に囲まれた立派な邸宅があった。
これが転移魔法か。すごいな。
「ここが、ジオール?」
「まあ、気持ちの上ではそうだが」
驚きで口を開けたままの間抜けな顔で尋ねた俺に、ヴィルヘルムはレンガ造りの屋敷を仰いだ。
「ジオール国カラハン辺境伯の、別邸だ」
高い壁はツタに覆われ、建材の石はところどころ苔むしている。まるで、帝国に攻め取られたときから誰も訪れていないかのように。
立派な門扉は、ヴィルヘルムが手をかざしただけで軋みながら開いた。
わざわざ魔法で開けるということは。
「ここ、封印されてたのか?」
「そこまで大層なものではないが、帝国への目くらましは機能している。この屋敷の裏の森を抜ければ、ジオール中央へ続く大きな街道まですぐそこだ。我々にとっても要所であるし」
ヴィルヘルムは、そこで小さく息を吐いた。
「帝国に踏み荒らされたくは、ないな」
その横顔は、俺があまり見たことのないものだった。カラハン卿、と呼ばれる騎士なのだから並々ならぬ想いがあって当然だろう。気軽に踏み込んでいい話題でもないだろうと、俺はヴィルヘルムから目をそらした。
そのとき。
「ちと、気を抜き過ぎではないか?」
すぐ後ろで男の声がした、と思ったときにはまた景色が変わっていた。
「え!?」
深い朱の壁紙、濃茶の柱、白い天井。足の下には毛足の長い深紅のカーペット。
豪華な室内に俺は立っていた。
「え、え……?」
小さな音とともに豪奢な扉が開いて、トレイを手に部屋に入ってきた肩眼鏡の男と目が合う。
「おや」
「――クローセル!?」
なんだなんだなんだ!?
「おやおや、趣味が悪いですね。若者をからかうのはおやめになって下さい。嫌われますよ?」
クローセルの空色の瞳は、混乱する俺の後ろを見ていた。
「何を言う。この《旅人》にとって、私はこの国でいちばん安全な男だぞ?」
さっきよりは離れた場所から、さっきと同じ声がする。
俺が振り返った先には、重そうな紅白の布地を金糸で飾った、とても派手な服の美青年が立っていた。大きな窓を背に、男は楽しそうに緑の目を細める。
「ようやく顔を見れたな。大河庵里」
ヴィルヘルムよりもずっと鮮やかに光る金髪を窓からの風になびかせ、満足そうに笑う派手な男。
まさか。
「……大賢者?」
俺の声に、男はますます目を細めた。
「ふ、ははははは!」
えっ。
なんだかイメージが違う。
「そんなわけがあるか。阿呆が」
派手男は、ぴしゃりと笑いを止めた。
ですよね。良かった。この人に何度も身体を差し出していたとか、思いたくない。
さっと窓を閉めたクローセルが、男の斜め前に歩み出る。
「申し訳ございません。私が席を外したものですから、暇を持て余した主があなたにたいへんなご迷惑を」
「主……?」
「こちらはマリージェイル・ロワ・ジオール第一王子。私めは従者のクローセルと申します」
「あっ、はい」
良かった本当に知らない人だ、と安心した俺に、王子は明らかに不機嫌になった。
「そう、それよ。貴き王族の血に敬意を払うことを知らぬ《旅人》の反応よ」
「はぁ……」
どうしたらいいですか? とクローセルを見ると、目礼を返された。
「それでは殿下。この方を正真正銘の《旅人》とお認めになられるのですね?」
「……魔力を見れば疑うまでもないが、折角の機会を無にすることもあるまい。アレをしよう」
王子はひたと俺を見据えた。美形の雰囲気に圧され、思わず身構える俺。
俺が本物の《箒星の旅人》かどうかなんて、どうやって見極めるって言うん……
「続いて唱えよ! ――トウキョウトッキョ!」
は?
「……許可局?」
「よろしい。本物の日本人だ」
……は?
満面の笑みを浮かべる王子。俺の後方で、再び扉が開いた。
「殿下」
「遅かったな、ヴィルヘルム」
そこには、疲れた顔をした騎士が立っていた。
「ヴィル!」
ヴィルヘルムはまっすぐにこちらに――俺を追い越し、王子の前に立った。
それは俺を護る位置ではなく、貴き存在に拝謁するための距離。
「お前がおらぬではこの屋敷の機構も使えぬからな」
「ご不便をおかけしまして申し訳もございません」
不満そうに息を漏らした王子の前で、迷いなく膝を折る騎士。
「殿下のご滞在に掛かる術式はすべて開放してまいりました。これにて万事、準備整いましてございます」
陽光を背に金の髪を輝かせる王族にひざまずき、頭を垂れる美しい騎士。
それは、一枚の絵のように完璧な構図で。
あまりにも、きれいだった。
「帝都の次席賢者による《旅人》への汚辱行為。真面目なお前が役目を放り出すに十分な理由だ。しかしなぁ……」
おそらく、屋敷の応接室なのだろう。椅子もテーブルも茶器も、何もかもが豪華な茶会が始まった。というか、気付いたら始まっていた。
「塔の機能はようやく回復したが、こちらの計画の修正が追いついておらぬわ」
「申し開きのしようもございません」
「お前はまたそれか」
王子の向かい側に、俺とヴィルヘルムは並んで腰を下ろしている。クローセルは王子の斜め後ろに立ち、給仕をしていた。
ヴィルヘルムの瞳はまっすぐ王子に向けられていて、俺はただ華奢なティーカップにたゆたう深い朱を眺めていた。
「ならば、……と……う」
「殿下、……は、……」
「なに……、……というのか」
ぎゅう、と、膝の上の拳が大きな手に握り込まれた。
「えっ」
びっくりして、手の持ち主を見上げる。ヴィルヘルムが俺を見て、眉をひそめていた。
何故か、室内に沈黙が落ちている。
「な、なに?」
しまった。完全に話を聞いていなかった。
俺が聞いても仕方ないとか、勝手に思い込んで。
いや、そうじゃなくて。俺は。
――俺は。
「なに。答え難いことなら無理にとは言わぬが?」
気のない王子の言葉に、ヴィルヘルムの表情が険しくなる。
「アンリ。答えるんだ」
きっと、王子が俺に何かを尋ねたのだ。俺はそれを聞いていなかったのだから、答えられるはずもない。完全に俺の態度が悪い。王子に謝罪して、もう一度問いを聞かせてもらうべきだ。
そんなことはわかっている。わかっているけれど。
「アンリ」
どうしてヴィルヘルムが俺に、そんな顔をするんだよ。
「答えられないのか? アンリ!」
俺はたぶん、初めてヴィルヘルムに叱られている。
「また顔を見せてくれよなァ!」と熱い気持ちを伝えてくれたあの壮年の男性には、ヴィルヘルムが力強い握手で応えていた。何かが豪快に砕ける音と悲鳴が聞こえたが、俺はジャンの母に頭をなでられていたのでよくわからなかった……ということにしておこうと思う。俺の護衛が過保護で申し訳ない。
「怖がらせても負担になるばかりだろうとこれまで詳細を伏せていたが、塔での君の人気はこれ以上だったからな」
釘をさすように告げられた言葉に、俺は前言を撤回する。過保護で助かっています。
もともと何も持たずに訪れた村だったので、出立する際も俺たちに荷物はなかった。
最低限の携帯食だけをポケットに、俺たちは道なき道を歩き出す。
塔を出た後のヴィルヘルムの足取りを思い出して、これは夜までかかるのではと覚悟をしていたのだが、村を出てほどなく、細い街道に出たところでヴィルヘルムはあたりを見渡した。
俺もつられて首をめぐらせたが、道の両側には森しかない。
「ヴィル?」
「帝国の探知魔法が途切れた。飛ぶぞ」
「え?」
ぐいっと手を引かれたとたんに、景色が変わった。
「――え?」
延々と続いていた森は整えられた並木に。土と砂利と草だらけだった小さな道は、石畳の続く立派な街道に。
そして、俺たちの視線の先には、木々と塀に囲まれた立派な邸宅があった。
これが転移魔法か。すごいな。
「ここが、ジオール?」
「まあ、気持ちの上ではそうだが」
驚きで口を開けたままの間抜けな顔で尋ねた俺に、ヴィルヘルムはレンガ造りの屋敷を仰いだ。
「ジオール国カラハン辺境伯の、別邸だ」
高い壁はツタに覆われ、建材の石はところどころ苔むしている。まるで、帝国に攻め取られたときから誰も訪れていないかのように。
立派な門扉は、ヴィルヘルムが手をかざしただけで軋みながら開いた。
わざわざ魔法で開けるということは。
「ここ、封印されてたのか?」
「そこまで大層なものではないが、帝国への目くらましは機能している。この屋敷の裏の森を抜ければ、ジオール中央へ続く大きな街道まですぐそこだ。我々にとっても要所であるし」
ヴィルヘルムは、そこで小さく息を吐いた。
「帝国に踏み荒らされたくは、ないな」
その横顔は、俺があまり見たことのないものだった。カラハン卿、と呼ばれる騎士なのだから並々ならぬ想いがあって当然だろう。気軽に踏み込んでいい話題でもないだろうと、俺はヴィルヘルムから目をそらした。
そのとき。
「ちと、気を抜き過ぎではないか?」
すぐ後ろで男の声がした、と思ったときにはまた景色が変わっていた。
「え!?」
深い朱の壁紙、濃茶の柱、白い天井。足の下には毛足の長い深紅のカーペット。
豪華な室内に俺は立っていた。
「え、え……?」
小さな音とともに豪奢な扉が開いて、トレイを手に部屋に入ってきた肩眼鏡の男と目が合う。
「おや」
「――クローセル!?」
なんだなんだなんだ!?
「おやおや、趣味が悪いですね。若者をからかうのはおやめになって下さい。嫌われますよ?」
クローセルの空色の瞳は、混乱する俺の後ろを見ていた。
「何を言う。この《旅人》にとって、私はこの国でいちばん安全な男だぞ?」
さっきよりは離れた場所から、さっきと同じ声がする。
俺が振り返った先には、重そうな紅白の布地を金糸で飾った、とても派手な服の美青年が立っていた。大きな窓を背に、男は楽しそうに緑の目を細める。
「ようやく顔を見れたな。大河庵里」
ヴィルヘルムよりもずっと鮮やかに光る金髪を窓からの風になびかせ、満足そうに笑う派手な男。
まさか。
「……大賢者?」
俺の声に、男はますます目を細めた。
「ふ、ははははは!」
えっ。
なんだかイメージが違う。
「そんなわけがあるか。阿呆が」
派手男は、ぴしゃりと笑いを止めた。
ですよね。良かった。この人に何度も身体を差し出していたとか、思いたくない。
さっと窓を閉めたクローセルが、男の斜め前に歩み出る。
「申し訳ございません。私が席を外したものですから、暇を持て余した主があなたにたいへんなご迷惑を」
「主……?」
「こちらはマリージェイル・ロワ・ジオール第一王子。私めは従者のクローセルと申します」
「あっ、はい」
良かった本当に知らない人だ、と安心した俺に、王子は明らかに不機嫌になった。
「そう、それよ。貴き王族の血に敬意を払うことを知らぬ《旅人》の反応よ」
「はぁ……」
どうしたらいいですか? とクローセルを見ると、目礼を返された。
「それでは殿下。この方を正真正銘の《旅人》とお認めになられるのですね?」
「……魔力を見れば疑うまでもないが、折角の機会を無にすることもあるまい。アレをしよう」
王子はひたと俺を見据えた。美形の雰囲気に圧され、思わず身構える俺。
俺が本物の《箒星の旅人》かどうかなんて、どうやって見極めるって言うん……
「続いて唱えよ! ――トウキョウトッキョ!」
は?
「……許可局?」
「よろしい。本物の日本人だ」
……は?
満面の笑みを浮かべる王子。俺の後方で、再び扉が開いた。
「殿下」
「遅かったな、ヴィルヘルム」
そこには、疲れた顔をした騎士が立っていた。
「ヴィル!」
ヴィルヘルムはまっすぐにこちらに――俺を追い越し、王子の前に立った。
それは俺を護る位置ではなく、貴き存在に拝謁するための距離。
「お前がおらぬではこの屋敷の機構も使えぬからな」
「ご不便をおかけしまして申し訳もございません」
不満そうに息を漏らした王子の前で、迷いなく膝を折る騎士。
「殿下のご滞在に掛かる術式はすべて開放してまいりました。これにて万事、準備整いましてございます」
陽光を背に金の髪を輝かせる王族にひざまずき、頭を垂れる美しい騎士。
それは、一枚の絵のように完璧な構図で。
あまりにも、きれいだった。
「帝都の次席賢者による《旅人》への汚辱行為。真面目なお前が役目を放り出すに十分な理由だ。しかしなぁ……」
おそらく、屋敷の応接室なのだろう。椅子もテーブルも茶器も、何もかもが豪華な茶会が始まった。というか、気付いたら始まっていた。
「塔の機能はようやく回復したが、こちらの計画の修正が追いついておらぬわ」
「申し開きのしようもございません」
「お前はまたそれか」
王子の向かい側に、俺とヴィルヘルムは並んで腰を下ろしている。クローセルは王子の斜め後ろに立ち、給仕をしていた。
ヴィルヘルムの瞳はまっすぐ王子に向けられていて、俺はただ華奢なティーカップにたゆたう深い朱を眺めていた。
「ならば、……と……う」
「殿下、……は、……」
「なに……、……というのか」
ぎゅう、と、膝の上の拳が大きな手に握り込まれた。
「えっ」
びっくりして、手の持ち主を見上げる。ヴィルヘルムが俺を見て、眉をひそめていた。
何故か、室内に沈黙が落ちている。
「な、なに?」
しまった。完全に話を聞いていなかった。
俺が聞いても仕方ないとか、勝手に思い込んで。
いや、そうじゃなくて。俺は。
――俺は。
「なに。答え難いことなら無理にとは言わぬが?」
気のない王子の言葉に、ヴィルヘルムの表情が険しくなる。
「アンリ。答えるんだ」
きっと、王子が俺に何かを尋ねたのだ。俺はそれを聞いていなかったのだから、答えられるはずもない。完全に俺の態度が悪い。王子に謝罪して、もう一度問いを聞かせてもらうべきだ。
そんなことはわかっている。わかっているけれど。
「アンリ」
どうしてヴィルヘルムが俺に、そんな顔をするんだよ。
「答えられないのか? アンリ!」
俺はたぶん、初めてヴィルヘルムに叱られている。
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