異世界転移した俺は大賢者様に食われる運命らしい

蓮見

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27.王子と騎士

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「いいと言うのに」
「そういうわけには……!」

 王子の声はうんざりしている。表情は、なぜだか焦点が合わなくて、見えない。
 ヴィルヘルムは、俺の拳を握っていないほうの手で、俺の肩を強く掴んだ。
 その顔も、見えない。

「卿、およしなさい」

 クローセルの声に、ヴィルヘルムの動きが止まる。俺の手を強く握ったその手の甲に、雫が落ちた。

 ああ、なんてことだ。
 泣いてしまった。

 俺の騎士じゃないヴィルヘルムを目の当たりにして。馬鹿みたいにショックを受けて。
 さっきまで安心しきっていた自分の居場所が、とたんに失われた気がして。
 ひどく、寒くて。

 流れ落ちる涙だけ、どうしてこんなに熱いのだろう。

「アンリ」

 肩からヴィルヘルムの手が離れた。騎士はそのまま椅子を降り、床に膝をついた。
 涙が落ちた瞬間だけクリアになる視界は、表情を曇らせたヴィルヘルムを映し、またすぐに滲む。

「ごめん、なんか、目が……」
「すまない。君も消耗していただろうに、強い言いかたを……」

「まったくだ。私の前で《箒星の旅人》と悶着を起こすな」
 不機嫌な王子の声。ヴィルヘルムは立ち上がり、そちらに向き直る。

「申し訳……」
「待っ――」

 悪いのは俺だ。ヴィルヘルムに謝罪させまいと、俺は慌てて手のひらで涙を拭う。
 しかし、目を開いたそこは、むせかえるような植物の匂いに包まれた庭園のような場所だった。

 緑の蔦が覆い隠さんばかりに茂っている白い東屋。白いテーブルと椅子の上には、さきほどの茶会の席にあったティーカップと焼き菓子が並んでいる。
 俺の手を握っていたヴィルヘルムの感触は、きれいさっぱり消えていた。

 また移動させられたのか。だとしたら犯人は――

「なに、慰めてやろうと思ってな。日本人はこうした花や樹木に癒やされるのだろう?」

 王子だ。名前は覚えていない。

 テーブルの向かいでティーカップを持つその姿は、どんな場所でも麗しく、完成された絵になる。緑の宝石が、楽しそうに笑っていた。

「す、すみません。俺が、話を聞いてませんでした」
「ああ、知っているさ。ヴィルヘルムは私を睨みつけるのに忙しくてな。お前の様子に気付かなんだ。許してやれ」

 王子の言葉に、頭を下げた俺はすぐに、弾かれたように顔を上げた。

「え、睨み……? どうして」
「この屋敷に到着したお前を、私が初手で攫ったであろう? それ以降、あいつは激怒しておるぞ。なんだ、お前も気付かなんだか?」

 お前たちはお互い、見ているようで見ていないのだな、と面白そうに王子が微笑んだ。

「でも、騎士は王子……王家に、忠誠を誓ってるものなんじゃないですか?」
「そういう時期もあったな。だが、カラハン領を失った現状において、あいつになんの爵位も、責任も義務もあるものか」
「でも、でも! ヴィルは真面目な騎士なので! さっきだって王子に敬意を払って……」

 屋敷でのヴィルヘルムの美しい跪礼と、忠臣のようなやりとりを思い出す。しかし、王子に激怒して睨んでいたのだったか? 混乱する俺に、王子は苦笑する。

「無礼を許されている、と言っているのだ。逸るな」

 王子は形の良い指を組んで、首を傾げた。

「はっきりと言葉にしたほうが良いか? ヴィルヘルムはお前の騎士だ。カラハン領を取り戻したのちは、お前を日本へ還すため国を離れる、と、そう私に言い放ちおった。懇願や嘆願などの可愛げのあるものではなく、断言だ。いかに私が寛容であろうとも、そのような騎士を配下には置かぬわ」

 ――俺の騎士。

 良かった。ヴィルヘルムは俺の騎士。

 もうすっかり心の拠り所になったそれはとても嬉しい言葉で、俺は熱を感じる頬を押さえた。現金なもので、胸もほわほわと暖かくなる。泣いたり喜んだりと忙しいことだ。

 しかし、王子の台詞の後半はなんだろう。
 ヴィルヘルムは真面目で、仕事熱心な騎士のはずだ。その彼が任務を離れるということは、よほどの大事なのではないだろうか。

「カラハンを捨てられるのならばそれも良かろう、と承認してやったぞ。私は臣下に寄り添う王族だからな。おおいに感謝するが良い……その顔はどうした。赤くなったと思えばもう青くなっておる」

 俺はたいそうおかしな顔をしていたのだろう。それはそうだ。

「ヴィルはカラハンを、とても大事にしてるんだと……」
「当然だ。生まれ育った愛すべき故郷、そして己が背負う領地なのだから」

「背負う? 護る、んじゃなく……?」

「護るも背負うもヴィルヘルムには同義よ。カラハン辺境伯の忘れ形見として……ん? もしや、まだ聞いておらぬのか?」

 王子は、あっという顔をしたが、もう遅い。
 俺の顔からはすっかり血の気が引いていた。

「辺境伯、の……?」

 それはつまり、カラハン領主の息子ということではないのか。

 思わず、テーブルに手をついて立ち上がる。

「す、捨てられるわけ、ないじゃないですか! こんな、ついこないだ他所から来た俺のためなんかに……!」

 そういえば、あの屋敷はカラハン辺境伯の別邸だと言っていた。
 ヴィルヘルムが手をかざすだけで開いた門。そして王子は、ヴィルヘルムがいなくては使えない、と……。

 いや、そんなこと、推理できないだろう! それだけで気付けるわけがない……!

 カラハン卿、の本当の意味を知って慌てる俺に、王子は半眼を向ける。

「《箒星の旅人》にはそれだけの価値があるが……まあ、お前の言わんとすることもわかる。ヴィルヘルム・カラハンは先の戦で家族も領地もなにもかも喪ったが、折れることなく同胞を鼓舞し、帝国の仕打ちに耐えここまできた素晴らしい騎士だ。私も惜しいとは思う。だが」

 そこで王子は、ほう、と艶めいた溜め息を吐く。

「《箒星の旅人》とは、まさに流星のような奇跡の存在なのだ」

 王子の瞳がとつぜん、うっとりと溶けた。

 同時に、東屋を覆う蔦に、色とりどりの花が咲いた。どこからともなく集まった鳥たちがさえずり始め、鮮やかな色の蝶が舞う。

 なんだろうこれ。
 空気が変わったことを悟った俺は、そっと椅子に腰かける。

「我が国には既に《箒星の旅人》がいる。お前と同じ日本人だ。眉目秀麗、文武に優れ、物言いは強くしたたかな心根の持ち主で、行動力の化身だった。残念ながら今はどこを放浪しているかわからぬが、扱いは学んだつもりだ。日本人を判別する先程の呪文とかな」

 東京特許許可局か。それは正直、もっと他にあっただろうと思う。
 遠い目をしかけた俺に、王子は微笑む。

「私は、お前にとって最も安全な男だ、と言ったであろう?」

 そういえば、最初に顔を見た時にそんなことを言っていた気がする。

「お前よりも少し前に訪れたその《箒星の旅人》に、私は求婚したいのだよ」
「はあ」

 この過剰な演出効果で、なんとなくそんな気はしていた。

「しかし、高貴な私を理解してもらうのは難しかったようだ。一度は国を去られてしまったが、以降私は《箒星の旅人》に最大限の温情を与えることにしている。私の評判を聞いて、あの者が帰ってきてくれることを祈っているのだ……」

 王子は更にうっとりしている。

「ロマンチックですね」
 棒読みで応える俺。

「それゆえ、私は何があってもお前を喰わない」

 なるほどそこに帰結するのか。安全とはつまり、貞淑の誓いを示しているらしい。
 悪い人物ではないようだが、これが王族のスタンダードなのかはまだ判断してはいけない気がする。

「別に、ヴィルだって俺を喰ったりはしませんよ」

 せいぜいが、抱き着かれて“吸われた”程度だし。
 トーラス村でのあれも、やむにやまれぬ状況での処置でしかないし。
 少し愚痴っぽくなったのを隠すように、俺はティーカップに口をつける。

 王子は、首をかしげた。

「……お前、あいつに喰われたことがないと言うのか?」
「ないです」
「今までに、一度も?」
「ないです」

 悲しくなるからもうやめてくれないだろうか。

「護衛対象と、護衛騎士です。ずっと」

 ちびちびと紅茶をすする俺に、王子は絶望と悲愴をまとめて背負ったような大げさな顔をしてみせた。

「そんな馬鹿な。お前は、明らかにあいつを好いておるだろう。初対面の私にもわかるほどだぞ。それなのに、私の愛する《旅人》ほどではないにしろ十分に愛らしいお前のような《旅人》に、あいつは何もしていない、と……?」

 また泣いてやろうか。

「そうか……ヴィルヘルムはお前を“還す”と言ったのだものな……私を差し置いて《旅人》と駆け落ちし、国外で暮らすつもりなのだろうと業腹だったが、そんな方便を使う男でもなかった」

 なぜ追い打ちをかけるんだこの王子は。

「なんというか……哀れよの」

 腹が立ってきたので、泣くのはやめた。
 消沈した王子に呼応するように、東屋の蔦は一気に枯れていた。


「……応援してやろうか」

 ほっといてほしい。
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