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5 音楽夜会
5-1 新しいドレス
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音楽夜会の日、見慣れない自分の姿にアナイスはため息が出た。
新しいドレスは水色。給仕の事故のお詫びにとラグランジュ伯爵夫人から贈られた。凝った髪形に流行の化粧も伯爵夫人が手配してくれて、外見は立派な貴婦人に仕立て上がった。
アナイスはまた大きくため息をついて、手に持った手袋を折りたたんだり広げたりした。
アナイスの手にあるのはは白色の手袋。水色の手袋も一つ、持ってはいたが、先日の舞踏会でドレスと共にパンチ酒を浴びていて使い物にならなかった。ドレスは新調されたが手袋までは気が回らなかった。
どうせなら手袋も伯爵夫人にお願いすればよかったと、アナイスは思った。伯爵夫人から贈られたドレスと手持ちの手袋とでは、色が違うと言うだけでなく、あまりにもつり合いが取れていないような気がした。
「色が合わないのが、気になっているのね」
ジュリーは浮かない様子の親友を心配そうに見守っていたが、思いついて自分の別の手袋を差し出した。水色の手袋だった。アナイスがジュリーの顔を見ると、ジュリーは微笑んだ。
「私のでよかったら、使って。同じ色だと思うのだけど」
先日の舞踏会ではアナイスもジュリーも同じ水色のドレスを着ていた。二人とも同色の手袋を持っていた。しかし今夕の音楽夜会ではジュリーは若草色のドレスを着たので、水色の手袋は使わないのだった。
「ありがとう……」
アナイスはあまり気乗りがしないままジュリーの手袋を受け取り、それに腕を通した。指の先が少し余って、それ以外はぴたりと腕に合った。色もドレスと同色で、身に着けると全く違和感がなかった。
「よかった、よく似合うわ」
ジュリーはアナイスを見て、両手を合わせて喜んだ。アナイスも自分に少し自信を取り戻した。
***
アナイスとジュリーが二階の広間に降りていくと、ラグランジュ伯爵夫人が目ざとく気づいて二人を呼び寄せた。山荘の女主人であり、今日の音楽夜会の主催者である伯爵夫人の周りには、男女を問わず大勢の取り巻きが、話し、笑い合っていた。
伯爵夫人はジュリーのことは、
「こちらはジュリー。私の遠縁にあたるお嬢さん。親しくさせていただいているわ」
と周囲に紹介した。ジュリーは紹介に合わせ膝を折って挨拶をした。
アナイスについては、
「この方はジュリーのお友達ね。私のドレスを着てくださったの。ねえ、よくお似合いになるでしょう?」
言うが早いか、好奇と称賛の目がアナイスを取り囲んだ。
セドリックが二人の前に現れた。彼も音楽夜会の招待客だった。彼は一人だった。いつも連れ立っている友人の姿はなかった。
「ごきげんよう」
セドリックはまずジュリーの手を取って丁重に接吻し、次にアナイスにも同じようにして挨拶をした。
「少し、ジュリーと話をしても?」
セドリックはアナイスに言った。
「ええ、もちろんよ」
ジュリーはアナイスの顔をうかがい見たが、アナイスは「大丈夫よ」と軽く首を振った。
セドリックがジュリーを促し、ジュリーはそれに従っての彼の腕をとった。二人は顔を見交わして微笑んだ。並ぶと美男美女で似合いの二人に見えた。
アナイスはじっと、人の中に埋もれていく彼らの後ろ姿を見送った。
一人になってたたずむアナイスに、称賛者は次から次へと現れた。彼らが決まって言うことは同じだった。
「ごきげんよう、今日の音楽夜会は、良き日に恵まれましたね」
「あなたの今日の装いは一段と素敵です」
「本当にお美しい」
誉め言葉はアナイスにではなく、アナイスを飾り立てた伯爵夫人に対し向けられていた。アナイスはどこか冷めた目で相手を見つめた。それに、今日は音楽夜会だと言うのに、誰も音楽の話をしなかった。
「こんばんは」
次にアナイスに声をかけてきたのは髭の若い男だった。まだ若いのに妙に威風堂々としたところがあり、瀟洒で気障っぽい着こなしが嫌味なく似合う男だった。
「私はグラモン侯爵です。」
彼が名乗る前から、女たちの噂に聞いて彼の名前は知っていた。
「ずっとあなたとお近づきになる機会をうかがっていたのですが、あなたは賛美の的だったので、なかなか私まで順番が回って来ませんでした。でも、待った甲斐がありましたよ」
これはお世辞と聞き流した。アナイスは儀礼的に微笑んでその場を離れようとしたが、いつの間にかグラモン侯爵が手を握っていた。アナイスは戸惑って、自分の隣に並んでいる人の顔を見た。
彼は満面の笑顔でアナイスに話しかけた。
「私はロベールという筆名を使って音楽評論を書いていましてね、それで今日の音楽会も楽しみにしていました。あなたは音楽はお好きですか?」
「ええ……」
アナイスは適当に応えた。グラモン侯爵はうなずくと、アナイスの腕をとって促した。
「それはよかったです。ああ、音楽会が始まりますね、座りましょう……」
否を言う隙が全く無かった。それに彼の態度は図々しいが、開けっ広げで、どこか憎めない所があった。アナイスはグラモン侯爵と意図せず腕を組んで、彼に引かれるようにして音楽会の会場である大広間に向かった。
グラモン侯爵に連れられてアナイスが座ったのは、ピアノの真正面、会場の最前列だった。最前列の顔ぶれを確認し、アナイスは音楽夜会の場から逃げ出したい気分になった。
正面の最前列に座るのは、中央にラグランジュ伯爵夫人とベルシー女公爵、公爵令嬢。その左隣にはセドリックとジュリー。右隣りにグラモン侯爵と自分という位置関係。
ちょうど昨日の昼餐に出席していたと聞く、格の高い人々が並んでいた。全員が親しい間柄なのだとセドリックは言っていたし、彼女らが会話を交わす様子からもそれは分かる。ジュリーがアナイスに気づいて目で合図を送ってくれたが、それでも自分だけが隔絶していると感じた。
そういえば昼餐ならばエヴァンも出ていたはずだが、彼はこの列には並んでいない。今日はまだ彼の姿を見ていない。音楽夜会に来ていないのだろうか。
彼がいないと思うと、アナイスはひどく寂しかった。
新しいドレスは水色。給仕の事故のお詫びにとラグランジュ伯爵夫人から贈られた。凝った髪形に流行の化粧も伯爵夫人が手配してくれて、外見は立派な貴婦人に仕立て上がった。
アナイスはまた大きくため息をついて、手に持った手袋を折りたたんだり広げたりした。
アナイスの手にあるのはは白色の手袋。水色の手袋も一つ、持ってはいたが、先日の舞踏会でドレスと共にパンチ酒を浴びていて使い物にならなかった。ドレスは新調されたが手袋までは気が回らなかった。
どうせなら手袋も伯爵夫人にお願いすればよかったと、アナイスは思った。伯爵夫人から贈られたドレスと手持ちの手袋とでは、色が違うと言うだけでなく、あまりにもつり合いが取れていないような気がした。
「色が合わないのが、気になっているのね」
ジュリーは浮かない様子の親友を心配そうに見守っていたが、思いついて自分の別の手袋を差し出した。水色の手袋だった。アナイスがジュリーの顔を見ると、ジュリーは微笑んだ。
「私のでよかったら、使って。同じ色だと思うのだけど」
先日の舞踏会ではアナイスもジュリーも同じ水色のドレスを着ていた。二人とも同色の手袋を持っていた。しかし今夕の音楽夜会ではジュリーは若草色のドレスを着たので、水色の手袋は使わないのだった。
「ありがとう……」
アナイスはあまり気乗りがしないままジュリーの手袋を受け取り、それに腕を通した。指の先が少し余って、それ以外はぴたりと腕に合った。色もドレスと同色で、身に着けると全く違和感がなかった。
「よかった、よく似合うわ」
ジュリーはアナイスを見て、両手を合わせて喜んだ。アナイスも自分に少し自信を取り戻した。
***
アナイスとジュリーが二階の広間に降りていくと、ラグランジュ伯爵夫人が目ざとく気づいて二人を呼び寄せた。山荘の女主人であり、今日の音楽夜会の主催者である伯爵夫人の周りには、男女を問わず大勢の取り巻きが、話し、笑い合っていた。
伯爵夫人はジュリーのことは、
「こちらはジュリー。私の遠縁にあたるお嬢さん。親しくさせていただいているわ」
と周囲に紹介した。ジュリーは紹介に合わせ膝を折って挨拶をした。
アナイスについては、
「この方はジュリーのお友達ね。私のドレスを着てくださったの。ねえ、よくお似合いになるでしょう?」
言うが早いか、好奇と称賛の目がアナイスを取り囲んだ。
セドリックが二人の前に現れた。彼も音楽夜会の招待客だった。彼は一人だった。いつも連れ立っている友人の姿はなかった。
「ごきげんよう」
セドリックはまずジュリーの手を取って丁重に接吻し、次にアナイスにも同じようにして挨拶をした。
「少し、ジュリーと話をしても?」
セドリックはアナイスに言った。
「ええ、もちろんよ」
ジュリーはアナイスの顔をうかがい見たが、アナイスは「大丈夫よ」と軽く首を振った。
セドリックがジュリーを促し、ジュリーはそれに従っての彼の腕をとった。二人は顔を見交わして微笑んだ。並ぶと美男美女で似合いの二人に見えた。
アナイスはじっと、人の中に埋もれていく彼らの後ろ姿を見送った。
一人になってたたずむアナイスに、称賛者は次から次へと現れた。彼らが決まって言うことは同じだった。
「ごきげんよう、今日の音楽夜会は、良き日に恵まれましたね」
「あなたの今日の装いは一段と素敵です」
「本当にお美しい」
誉め言葉はアナイスにではなく、アナイスを飾り立てた伯爵夫人に対し向けられていた。アナイスはどこか冷めた目で相手を見つめた。それに、今日は音楽夜会だと言うのに、誰も音楽の話をしなかった。
「こんばんは」
次にアナイスに声をかけてきたのは髭の若い男だった。まだ若いのに妙に威風堂々としたところがあり、瀟洒で気障っぽい着こなしが嫌味なく似合う男だった。
「私はグラモン侯爵です。」
彼が名乗る前から、女たちの噂に聞いて彼の名前は知っていた。
「ずっとあなたとお近づきになる機会をうかがっていたのですが、あなたは賛美の的だったので、なかなか私まで順番が回って来ませんでした。でも、待った甲斐がありましたよ」
これはお世辞と聞き流した。アナイスは儀礼的に微笑んでその場を離れようとしたが、いつの間にかグラモン侯爵が手を握っていた。アナイスは戸惑って、自分の隣に並んでいる人の顔を見た。
彼は満面の笑顔でアナイスに話しかけた。
「私はロベールという筆名を使って音楽評論を書いていましてね、それで今日の音楽会も楽しみにしていました。あなたは音楽はお好きですか?」
「ええ……」
アナイスは適当に応えた。グラモン侯爵はうなずくと、アナイスの腕をとって促した。
「それはよかったです。ああ、音楽会が始まりますね、座りましょう……」
否を言う隙が全く無かった。それに彼の態度は図々しいが、開けっ広げで、どこか憎めない所があった。アナイスはグラモン侯爵と意図せず腕を組んで、彼に引かれるようにして音楽会の会場である大広間に向かった。
グラモン侯爵に連れられてアナイスが座ったのは、ピアノの真正面、会場の最前列だった。最前列の顔ぶれを確認し、アナイスは音楽夜会の場から逃げ出したい気分になった。
正面の最前列に座るのは、中央にラグランジュ伯爵夫人とベルシー女公爵、公爵令嬢。その左隣にはセドリックとジュリー。右隣りにグラモン侯爵と自分という位置関係。
ちょうど昨日の昼餐に出席していたと聞く、格の高い人々が並んでいた。全員が親しい間柄なのだとセドリックは言っていたし、彼女らが会話を交わす様子からもそれは分かる。ジュリーがアナイスに気づいて目で合図を送ってくれたが、それでも自分だけが隔絶していると感じた。
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