夏の日の歌 (完結済)

井中エルカ

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4 新たな客

4-5 ワイン

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 グラモン侯爵が、ラグランジュ伯爵夫人に対して異をとなえた。
「伯爵夫人、レヴィエ作のピアノでしたら、私もずいぶん前に譲っていただきたいとお願いしておりましたのに。その時には、所在が分からないとのことでしたが」
「あらあらそうだったわね、ごめんなさい。でも、本当にどこにあるのか、分からなくなってたのよ」
 ラグランジュ夫人は悪びれずに応えた。
「エリザベットからお手紙をもらって、そういえばあそこにあるかも、と突然思い出したの。私は伯爵の蒐集品には興味はありませんし、差し上げること自体は何の問題もないのだけど」
 グラモン侯爵はなおも不満そうだった。
「では、公平を期して、こういたしましょう。この屋敷のどこかにあるから、最初に見つけた人に差し上げるわ」

 伯爵夫人の言葉にうなずいたものの、今度はエリザベットが不満そうだった。自分だけがグラモン侯爵と争う気にはなれず、セドリックを巻き込んだ。
「セドリック、あなたもピアノを探すのよ」
「え、私は別に……」
 セドリックには探す気はなかった。彼はピアノをめぐって争う二人ほどには、音楽を崇拝していなかった。でもそれはエリザベットが許してくれなかった。
「何言っているよの、当然でしょ。でもエヴァン、あなたはだめよ。だってあなたはそれがどういうピアノなのかよく知ってるから、あなたが出てきたら、不公平でしょ」
「言われなくても、探さないですよ。興味ないですから」
 エヴァンは言って、ワイングラスに口を付けた。
「聞いたわよ。そのピアノ、調律は難しくてすぐに音程が狂うんですってね。でも我が国の大使が連れて来たピアノ奏者が、狂ったままで見事に弾きこなした、というのよ。エヴァン、さすがね」
「いちいち覚えていません」
 ジュリーは目を見張った。エヴァンが大使に従ってフォーグル国に赴いていたということも、彼がピアノを弾くということも、初耳だった。でもジュリーの他には、誰も驚いた様子はなかった。
 エリザベットは話を続けた。
「それと、大使は最近その楽師に逃げられて大変不機嫌なんですって。楽師は恋人のために演奏したいと言って、祖国に帰ってしまったそうよ。代わりの楽師を雇ったけれど長続きしなくて、三人続けて首になったとか。その逃げ帰った当人がこんなところで油を売っているなんて知ったら、エスカール伯爵もびっくりね」
 エスカール伯爵というのが、フォーグル国大使の名前だった。つまり、エヴァンはフォーグル国大使をしているエスカール伯爵の楽師ということになる。
「それはすごく悪意のある言い方です。僕は休暇中なんですから」
「否定しないのね」
 エリザベットは料理を口に運び、エヴァンは肩をすくめた。
 セドリックは心配しながら二人の会話を聞いていた。しかしエヴァンがその恋人に振られたという話は出て来なかった。エヴァンはエリザベットに何を言われても全く気にしていないようだった。

 その後も話題はあちこちに飛んだ。全員が忌憚なく意見を交わすのだが、ジュリーは全くついていけなくなっていた。会話に参加できないので、手持ち無沙汰のまま、少しワインを飲み過ぎてしまったかもしれない。

 伯爵夫人がジュリーに声をかけた。
「ジュリー、いいワインがあるのだけれど、いかが」
「いただきます」
 伯爵夫人が合図をすると、人数分のグラスが運ばれてきた。
「みなさまもどうぞ。セドリックから贈られたの」
「私たちの領地のなかでも、一番よい時期のワインです。皆様の健康を願って」
「とてもいい香りです……」
 ジュリーはワインを楽しんだ。セドリックはジュリーのうるんだ瞳を見つめた。
「よかった。お気に召したのなら、この次はぜひブドウ園の方にもおいでください。収穫の様子を見るのも、また楽しいものですよ」
「セドリックは本当は、収穫前に、あなたを連れて行きたいんじゃないの?」
「エリザベット!」
「ブドウの出来具合を見て収穫開始を宣言するのは、領主夫人の役目なのよ。彼はその役割をしてくれる人を探しているの」
 ジュリーは既にセドリックのワインを飲み干していた。今までの相当の量と合わせて、そこでちょうど気分がおかしくなって、彼女は椅子から立ち上がった。
「ジュリー?」
「すみません、あまりにもいい気持で……少し失礼させていただきます」
 止める間もなく、給仕たちの脇をすり抜け、ジュリーは出て行ってしまった。残された人々は、ジュリーが気を悪くして行ってしまったのだと思った。
 セドリックは急に胸が締め付けられた。気が動揺して、彼の肘がワイングラスを引き倒した。それは隣にいたエヴァンに災難として降り掛かった。
「すまない……」
「大したことない。君の方こそ、大丈夫か」
 ワインは少しエヴァンの袖を濡らした程度だった。セドリックはすっかり落ち込んでしまったように見えた。
 給仕頭が声をかけた。
「エヴァン様、上着をお預かりしましょうか」
ジュリーに続いて、エヴァンが正餐を中座することになった。
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