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あわゆき 誠四郎の一分 第5話
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その何日か後、道場の稽古が、終わり家路に就こうとした私は、どうにも気持ちが晴れずにいた。「今日は、少し寄り道を、したい気分だな」そんな独り言を言って、ぼんやりと、歩いていると、向こうから、医師の玄庵が「滝川の若旦那、道場の帰りですか」と、声を掛けてきた。「ああ、里子か、往診の帰りか。」「嫌ですよ、若旦那、里子だなんて。」「ああ、すまない、つい昔の寺子屋時代からの癖で、玄庵殿。」里子こと玄庵とは、幼なじみで、同じ寺子屋に通い、よく遊んだ仲だった。「玄庵こそ、その若旦那というのは、やめてくれ、首の後ろが痒くなる、誠四郎で良い」それから、今大黒屋のお絹の体の具合が優れず、往診に行って来たのだと、話しはじめた。「それで、お絹さんは、何か重い病にでも、患っているのかね。」「私の見立てだと、おそらく、体ではなく、心を患っているように見えるのだが。とにかく今は、滋養のある食べ物を食べさせ、心が、回復するのを、見守って行くしかないな。」「そうか」「こういう時、誰かさんが、心の支えになってやればいいだけなのに。昔から、あの男は」玄庵の言葉は、私の胸に、矢のように突き刺さった。苦笑いをして私は、それ以上何も話さないまま、辻の別れ道で、玄庵と別れた。胸に苦い気持ちが、残った私は、提灯の灯りが、灯っている、一軒の店の暖簾をくぐった。「いらっしゃい」威勢の良い声の後に、間髪入れず「熱燗と煮しめ」と言うと、奥の座敷に上がって、ぼんやりと酒を待った。少し、酒の酔いが回ってきた頃「滝川の旦那」と声を掛けてきた男がいた。顔を、上げると、懐かしい男の顔が、目に入った。「おう、銀次じゃねえか、久しいの、息災であったか」「へい、お陰様で、旦那も、お変わりなく」「こっちへ、一人で飲んでいて、つまらないと、思っていたのだ。」「こっちに、熱燗と煮しめ。それから焼き鳥頼む」遠慮する銀次の盃に酒を注ぐと「さあ、ぐっと飲め」そう言った私の顔を、怪訝そうに見つめ。「あっしは、旦那とは随分、付き合いが長うございますが、旦那が、ご酒を飲む所は、初めて見ました。どちらかと言えば、旦那は、甘酒とヨモギ饅頭を召し上がっている。そちらの姿の方が、印象に、残っているもので。」「なあに、屋敷では、兄上とよく、酒を酌み交わしておる。銀次は私が、酒も飲めない、下戸だと思っておったのか。私は、あえて、外では飲まなかっただけなのだ。」酒が入り、いつもより、饒舌になった私は、おどけるように、笑って言った。
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