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あわゆき 誠四郎の一分 第7話
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滝川の屋敷に着いた私は、門の木戸を叩き「夜分に、御免、あっしは銀次と申す者、誠四郎様を、お連れ申した、門を開けられよ」すると、木戸から、中元の六兵衛が、顔を出し「銀次さん、これは若旦那様。さあ、誠四郎様のお部屋へ」私は誠四郎を部屋の布団の上に、そっと寝かせ、帰ろうとした時、廊下のむこうから「六兵衛、誰か来たのか。」と言って、兄の誠一郎が、現れた。「銀次さんが、誠四郎様を屋敷まで、連れていらしたのです。」「夜分に、お邪魔しておりやす。実は、先程まで、誠四郎様と、酒を酌み交わしておりやして、若旦那が、酔い潰れてしまったので、お連れ致しやした。」「そうであったか。銀次、手数を掛けたな、また今度、父上も在宅の時に、遊びにまいれ。」「はっ、今宵はこれにて、失礼致しやす。」「うん、六兵衛、銀次に提灯を持て。遠慮致すな、最近、城下は、何かと物騒だからのう」「へい、ありがとうごぜえやす、では、おやすみなさいませ。」私は誠一郎様に、丁寧に礼を言って屋敷を、後にした。兄の誠一郎は、誠四郎の部屋へ様子を見に行った。「珍しいのう、誠四郎が正体を無くすほど、酔い潰れてしまうとは、何が、あったのかのう。」誰に言うとはなしに、そう言って、静かに襖を閉めた。翌日、銀次は昨夜借りた、提灯を滝川の屋敷に、返しに行った。中元の六兵衛に提灯と、若旦那に渡すように、手紙を預けて、帰って来た。誠四郎が、目覚めたのは、昼近い時間であった。母のふゆは、何も言わず、黙って熱いお茶と、梅干しを出し、「さっき、銀次さんが来て、手紙を預かっていますよ」と、目の前に置いた。私は、封を切って、文を読んだ。そこには、今、寄席で三遊亭金馬師匠が芝浜をやっているから、お絹さんを連れて行ったらどうか。との事だった。中には、寄席の切符が二枚入っていた。若蔵の自分には、思いもつかぬ、粋な事だなと、誠四郎は思い、きっと、お絹を誘おうと、心に誓うのだった。
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