白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第七話「灯る宿命」 その三

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 熱を持った身体を浴室で鎮め、侍女の用意した軍務用の肌着を纏う。
 筋肉の動きを助けるために身体にぴったりと張り付き、身体の線が浮き出るために昔はあまり好きではなかったことを思い出し、しかし今の彼女は姿見の前で自らの身体を誇る。
 細い、しかし仕草と組み合わせることで、一際艶を出すことのできる肢体。
 彼女はその上から鎧下を着用し、続いて部屋に入ってきた技術者たちの手によって鎧を纏う。
 その鎧は、道楽の産物だった。
 人の姿の龍族に、龍のときと同じだけの戦闘能力を与えるという道楽。
 姿による力の制限は、歳を経るごとに小さくなっていき、彼女ほどの年齢になればどちらの姿でも大した違いはない。
 天を裂き、海を割り、地を穿つ。
 力なき者たちから見れば天災としか言いようのない所業を、彼女は片手間で行うことができる。
 それでもそれを纏ったのは、その意匠が気に入っていたからだ。
 乙女騎士たちよりも女性的な、曲線を多用した装甲。
 力を抑えるのではなく制御するための魔導珠は宝石のように切削加工され、装甲の縁を彩る装飾はレヴィアタン公爵家の紋章旗を元にした図形。
 いずれ完成したら孫娘に贈ろうと決めているが、今日は、自分のために使うことにした。
「ああ、懐かしい」
 身を締め付ける鎧も、この戦いの前の昂揚も、何もかもが懐かしい。
 龍の姿ではなく人の姿で戦うことを決めたのは、自分の戦いを見ているであろう男にこの姿を見せたいから。
 そんな欲求を叶えてくれた皇都防衛司令部には、感謝してもしきれない。
 皇都にいる四公爵が自分だけだからという理由での要請であったとしても、まったく構いはしない。
「陛下、続きはまた今度」
 鏡の前で笑い、自分の眼に煌めく龍の瞳を陶然と眺める。
 自己陶酔だと言われても良い。自分はまだ、民ではない、家族でもない、ただ自分が欲する誰かのためだけにこの瞳を浮かべることができる。
「まだまだ若いわね、わたくしも……」
 長い髪を織帯で纏め、背中に流す。
 外套を纏い、久方ぶりに地下の保管庫から愛用の魔導手甲を持ち出した。
 侍女が盆に置いた手甲を差し出すと、彼女はそれを嵌め。一度、二度と拳を握る。手の甲にある魔導珠が紋様を浮かべ、そこに主人の名前を浮き上がらせた。
「あ、そうだ」
 彼女は支度を手伝っていた侍女に、紅を持ってくるように命じた。
 幾つもの色に彩られた紅箱の中から、彼女は一際鮮やかな朱を選ぶ。
「せっかくの晴れ舞台だもの、ちゃんとしないとね」
 嬉しそうに笑みを浮かべ、魔導手甲を嵌めたまま紅を引く。
 塗りが均一になるように一度口を閉じ、開いた。
 朱が、咲く。
「不届きなお客の相手をするついでに、後宮や離宮で勝ち誇ってる小娘たちを蹴落としてあげましょう」
 心底楽しいと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、彼女は屋敷の外へと向かう。
 その視線の先を、幾条もの光が駆け抜けていった。

                            ◇ ◇ ◇

 光の帯と線が、一点を目指してミラ平原の空を走る。
 かつて連合軍に蹂躙され、一部ではまだその傷跡が残る場所は、再び戦闘の光で照らされることになった。
 そこに住まう住人はすでに避難している。二度、同じ場所を焼かせ、奪わせることを誰ともなく、許したくなかった。事前の訓練通り、住人はそれぞれ農業用水を兼ねた地下水路に沿った通路を使って皇都に向かい、そこで皇都の住人たちと合流した。
 皇都とその周辺に張り巡らされた地下通路は、皇都が存在する限り軍事機密とされた。それは常に拡張と改修を続け、その広がる様を表して、皇都を生き物と称する者がいるほどだった。
 その通路には所々地上へ通じる縦坑があり、軍の無人哨戒点となっていた。それは外から見れば農具を仕舞う納屋であったり、水車小屋であったりしたが、総じて地上や空に向けて様々な観測機器が常時目を光らせていた。
 その観測機器に、皇都方面から飛来した対空砲火が捉えられた。情報は即時皇都の防衛司令部へと送られ、皇都からの観測と合わせて正確な軌道を得る。
 北西からの飛翔体は最初、皇都ではなく〈ハイアー〉と〈ヘルミナ〉の高空防衛識別圏へと入った。気圏の上を飛行するそれに対することはふたつの都市の防空部隊には不可能で、彼らは観測を続けながら進行方向にある〈ハイラント〉、〈ニーズヘッグ〉そして聖都〈セオトコス〉にもに警告を発した。
 だが、飛翔体はそれらの都市に被害を与えることはなかった。
 グラスディア平原、ロッゾ高地の上空を抜け、アルカディス湖に流れ込むキストゥール河の上を悠々と皇都へ向かった。
 皇国軍はその時点で、ある種の敗北を喫していた。高空を飛行可能な邀撃騎は次々と上がっていったが、追い付くよりも先に皇都への進行を許してしまった。
 この一件が引き金となって皇国がもう一軍を創設することになるのだが、このときの空軍上層部の荒れっぷりは凄まじいものであった。皇都にいる元帥アレックスは自分の愛龍を連れてこいと怒鳴り、空軍参謀本部では怒号と書類が舞い、鋼筆が壁に突き刺さった。
 それほどまでに、衝撃的な一件だった。
 しかし、皇都防衛航空軍の邀撃は間に合った。敵が皇都を目指していることを想定して都市防衛態勢に入り、上空へと上がった龍と飛竜たちは火砲との連携を図った。

 そうして、飛翔体は多くの眼が注目する中で、皇都防空のための全火砲の火線と接触した。
〈敵飛翔体との接触まで、あと三、二、一……今!〉
 防空軍を指揮する空軍大佐ゲルハルト・ゼッツは、飛龍の姿のまま脳裏に響く管制官の声を聞いた。
 彼の視線の先で、紅色の光球と光軸が接触する。
 それは轟音と衝撃を生み、彼と彼の周囲を飛行する戦闘騎たちを揺らした。
 中には体勢を崩してしまう者が現われるほど、大きな衝撃が周囲へと広がった。
「さて、どうなる?」
 ゲルハルトは口の中でそう呟き、じっと目を凝らした。
 そして第二撃、第三撃と飛来する砲撃に、自らが晒されたらと考えて身を震わせた。
 今の皇都防空態勢は、あの皇都奪還戦の際の航空攻撃に対抗し得るものとして整備されている。つまりは、二つの龍公爵軍を相手に持ち堪えられるものということだ。
 もちろん、それは周囲の都市や軍の基地との連携を前提としたもので、間違っても皇都のみの都市防衛能力によるものではない。
 ゲルハルトはこの態勢を完成させる最後の一手を預けられている。皇都防衛航空軍のことだ。皇都航空総軍の中でも即応部隊として整備され、その装備も練度も空軍随一を自負している。
 これまでの他部隊との訓練では圧倒的な力を示し、自分たちが皇都の空を守る精鋭である自信を付けた。
 これから行うのは、その自負と自信に裏付けを与えることだ。
 部下たちは大きな不安を抱えている。ゲルハルトもそれ以上の不安を抱えている。
 だが、それでも彼はひとつも怯えていないといった風を装い、部下たちを鼓舞する。
〈防空軍全隊、まもなく対空砲火が収まる。そうしたら俺たちの仕事だ〉
 対空砲火は継続されるが、戦場の主役は彼らに移る。火砲は補助となり、ゲルハルトたちの責任は重大なものになる。
「ひとつ言っておく。俺は皇妃フェリエル様、ファリエル様の従兄だ。分かるかお前ら、俺は皇族の縁戚で、しかも防空部隊の指揮官だ」
 泣きたい。正直そう思った。
 みっともなく泣きわめきたいほどに、龍の心臓が早鐘を打っている。
「ふたりの幼少の頃を知っている。勉強も教えた。背中に乗せて飛びもした。フレデリック義兄上には内緒だが、一緒に風呂も入った」
 その通信を聞いていたらしい、男がひとり、公都〈スヴァローグ〉の城の一室で勢いよく立ち上がり、奥方ふたりに龍鉄鋼の鞭で後頭部を殴られて昏倒した。
「お前らの家族も皇都にいるかもしれない。俺も同じだ。だから、俺に従え」
 皇都から飛来した太い光条を見詰めていたゲルハルトの視界に、情報画面が重なる。〈メガセリウムⅢ〉からの対空砲火は、一度これで止まる。
「お前らと同じ気持ちで戦う。この不安と怒りとなんか色々な気持ちががぐちゃぐちゃになったよく分からない感情で、しかし冷静になってみせる。だから、俺に続け」
 ゲルハルトが身を翻し、眼下の砲撃と飛翔体の接触の残滓が残る地点へと鼻先を向けた。部下たちがそれに続き、一糸乱れぬ飛龍たちが空に描く一条の線と化す。
 そのとき高度は、速度となる。
「総員、己の全身全霊を賭して戦闘を開始せよ!」
 ゲルハルトの視界に、輝きを増した紅の光が映った。
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