白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第八話「破壊のその先」 その二

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 ひとりの皇妃が、後宮の庭園に面した通路をふらふらと歩いている。
 銀色の三角耳と鈴飾りの付いた尻尾は緊張でぴんと伸びていた。
「あと少し、あと少し」
 彼女は背後で微笑を浮かべて付き従う侍女隊長に手を借りることなく、その小さな両手一杯に、色とりどりの花弁を入れていた。大半が、息を吹きかければ飛んでしまいそうな小さな花弁だ。
 彼女が侍女や義姉たちの手を借りて世話をする花壇で取れたものだった。
「マティリエ様、風が吹きますわ」
「う、うん」
 侍女の言葉に応え、マティリエは風が吹き込んでくる方向に背を向ける。ひゅうと背中に風が当たり、手のひらの中の花弁が揺れた。
「大丈夫ですか?」
 侍女は尻尾の銀毛が風で揺れるのを眺めてから、彼女がたいそう可愛がっている主人に問うた。悲しみを示すように耳が垂れていないことを考えれば、おそらく無事だろう。
「はい!」
 元気の良い返事に、侍女の内心は沸き立つ。
「わたくしの主人超可愛い。布団の中でもふもふしたい」という単語が脳裏を埋め尽くし、桜色に染め上げる。しかしそれでも、この侍女は騎士団の三大女傑のひとりなのだ。純然たる腕力ならば、おそらく一か二であろう。
「陛下は西宮の文庫におりますわ。あと少しです」
「はい」
 恐る恐る歩を進める主人の背後を、少しだけ息を荒げた侍女が付き従う。
 傍目には少し危険な光景であるが、通路を歩く侍女たちはふたりに一礼するだけでこれといった反応を示さない。
 いつものことだからだ。
 マティリエが夫であるレクティファールに花や折り紙、絵や詩などを見せに行くとき、マティリエの侍女隊長は手助けをしない。
 マティリエ自身が拒否したからだが、何よりも嬉しそうに、或いは緊張してレクティファールの元に向かうマティリエを見ているのが侍女たちの心を満たすからだった。
 義姉たちにも可愛い可愛いと延々撫で回され、その延長でひとりで湯を浴びることもない。義姉たちが当番を決めて一緒に入浴するからだ。
 侍女たちの間ではマティリエ付きが二番目に人気があるが、それも仕方のないことかもしれない。
 実際、皇妃たちそれぞれを崇める市井の熱狂的な愛好家の中でも、マティリエ派閥の女性比率は他のそれよりも高いと言われていた。
 レクティファールがマティリエを膝の上に載せて観劇に訪れたときなど、劇をそっちのけで彼女の様子を観察する観客が現われたほどだ。
 最後まで見ることができず、そのまま眠ってしまったマティリエの姿は、偶然そこに居合わせた画家によって描かれ、無許可で市井に出回っている。
(もっとも、わたくしは同行しておりましたから、写真の一枚や二枚持っているんですけどね! あー、可愛すぎて何か変なものが出そう!)
 世に対して勝利を宣言する侍女隊長。
 手のひらに集中するマティリエは、背後で両の拳を突き上げる不審な侍女の姿を見ることはなかった。

                            ◇ ◇ ◇

 戦争が始まり、そして終わったとして、後宮にはほとんど影響がなかった。
 蒼龍公マリアが皇妃たちを散々に煽ったとしても、後宮制度そのものが揺らぐ訳ではない。
 一部の皇妃が様々な場で不満をレクティファールにぶつけることはあったが、それも芝居がかったものだ。内心では不満を抱いているだろう。しかしそれを晒すのは夫婦の時間であるべきだった。
 その時間のひとつとして見れば、マティリエの行動はあまりにも幼い。
 彼女は義姉たちが何を不満に思っているかほとんど理解しないが、自分を一人前の女として扱ってくれる唯一の男が悪人であるとも思っていなかった。
「おにいさま」
「ああ、こっちですよ」
 文庫の片隅でひとりだけ侍女を伴って資料を読んでいたレクティファールは、小さな自分の妻が不可思議な姿勢を保って文庫に入ってくる様を眺めていたが、その手のひらにいっぱいの花弁を見て笑みを零した。
 彼の脇に控えていた侍女准将さえ僅かながらに笑みを零していたのだから、マティリエという皇妃の存在は恐ろしく重要な位置を占めていると言えるだろう。
「わたしの花壇で咲いていたお花です。オリガお姉さまが香水を作ってくださると」
「ほう」
 それならば最初から保存容器に入れれば良いとは、誰も口にしなかった。おそらく一緒に花弁を摘んでいたであろうオリガも、マティリエが手のひらに花弁を集めたいと言ったのを黙って受け入れたのだろう。
「これは、少し小さいから水晶細工に使うと仰っていました」
 ぐっと両手を伸ばし、マティリエはレクティファールに花弁を差し出す。
 レクティファールは亜空間倉庫から錬成液体水晶の入った器を取り出すと、それをマティリエの手の下に差し入れる。
「えい」
 と、一言漏らしてマティリエは花弁を手のひらから滑り落とす。
 彼女の侍女隊長が思わず文庫の壁に額を打ち付けて上官に冷たい眼で睨まれていたが、マティリエは気付いていなかったし、レクティファールは日常の一部として処理した。
「どうでしょうねぇ」
 レクティファールは備え付けの机の上に器を置き、マティリエを抱え上げて膝に乗せる。柔らかな髪を撫で付け、その細い腹に腕を回して器を眺める。
「きれいです!」
 錬成液体水晶は、液体金属研究の一環で生み出されたものだ。常温では液体だが、内容物の様々な変化を抑制する特性をもっている。中に閉じ込められた物質は、百年単位でその姿を保つことができた。
 マティリエはその様を楽しげに眺めていたが、その気配を感じたのか新たな客が姿を見せた。
「ふむン、何やら面白いこトをやっているナ」
「リリスフィール。何をしている」
 レクティファールの頭上から、壁を擦り抜けて女が現われる。
 それを追い掛けて剣闘精霊も姿を見せたものだから、急に文庫が狭く感じるようになった。
「リリスフィール。今日はエリーザと街を見て回る予定だったのでは?」
「街、カ。大きすギてどうにも落ち着かナイ。めぼしいトころだケを見て回って戻ってきた」
 リリスフィールの登場に驚いて尻尾の毛を逆立てていたマティリエだが、見慣れた剣闘精霊の姿を見付けるとすぐに落ち着きを取り戻す。
 マティリエの状況の変化に対する怯えは、幼少の頃から暗殺の危機に晒されてきたからだろう。
「――確かに。役目はもうよろしいか」
 剣闘精霊としての仮面を被ったエリザべーティアがそう言ってレクティファールに目配せする。いつもなら隙を見付けてはマティリエに飛び付いて抱き締めて撫で回している彼女であるが、流石に役目を負っているときはそれなりに大人しい。
 ただ、その手がマティリエの尻尾を撫でたいと言わんばかりに蠢いている様を見て、レクティファールは頭を振った。
「ならば、ふたりで修練場に行って身体の最適化をするように。リリスフィールに爪武精霊としての擬態をして貰わないと困りますんで」
「ム、しかしワタシは……」
 リリスフィールの扱いについては、監視の意味も込めてエリザべーティアと同じ使い魔とする案が通った。
 演算情報の受け渡しは今も亜空間通信線を通じて行われているが、その膨大な情報のやりとりが終わるまでは、まだ数ヶ月が必要とされていた。
「駄々を捏ねたらマリアを呼べと言われていますが」
「ワカッタ」
 心底嫌だと言わんばかりの表情を浮かべたリリスフィールが片言で答え、エリザべーティアを伴って再び天井へと消えていく。
 エリザべーティアは最後まで縋るような視線をレクティファールに向けていたが、彼はそれを無視することにした。
 そして膝の上で相も変わらず器の中で揺れる花弁を見詰めるマティリエの頭に手を置くと、三角耳の根元を優しく撫でた。
「ほふぅ」
 マティリエが切なげな吐息を漏らすと、やはりマティリエ付き侍女が奇行を見せ始め上官に睨まれる。今度はその場で屈伸運動を始めたらしい。
「おにいさま、今度はいつ遊びにいらっしゃいますか?」
「うーん、来週ですかねぇ」
 次の夜の予定を訊かれ、レクティファールはその答えを口にしつつ器の中に光源をいくつも浮かべる。マティリエは笑顔を見せて指先を水晶に突き入れ、ぐるぐると回し始めた。
「しかしあれですねぇ、遊びに行くとか訊かれると、私がもの凄く悪いことをしているような誤解を全力かつ各方面で招きはしないかと」
「それを狙っているのでしょう。言い出しっぺはそこの色呆け侍女ですが」
 件の色呆け侍女は、マティリエの手を拭くべく拭布を持って机の横で待機していた。その姿だけをみれば実に良く気が付く優秀な侍女だが、その本質はこれまでの通りだ。
「そうなのですか?」
「はい、陛下。まさか……ただ少し愛らしさの中に淫靡さを追加してとても可愛くて食べちゃいたいとか思っておりませんわ。おほほ」
 軍人らしくはいいいえ言葉を使いつつも、彼女はレクティファールの疑いの目を逸らす努力さえしない。この侍女は出会った頃から常にこのような調子であった。
 だからこそマティリエという帝国の姫君の侍女隊長となったのだが、レクティファールはそのとらえどころのない侍女が果たしてどこまで本気なのかさっぱり分からない。
 分からないまま、夜を過ごしてしまった仲である。
「さあ、マティリエ様、そろそろお勉強の時間です」
 マティリエは心残りがあるように水晶で満たされた器を見詰めていたが、侍女に促されて手を引き上げた。
 すぐに拭布で水気を拭き取られ、レクティファールの膝の上から下ろされる。
「おにいさま……」
 じっと上目遣いで自分を見詰めるマティリエに、レクティファールは頭を撫でることで答えた。
 元気よく上下左右に揺れる尻尾が、マティリエの内心をこの上なく表していた。
「また、色々教えてくださいね」
「はい!」
 マティリエが元気よく言葉を返し、侍女の手を取って文庫を出て行く。
 至上の幸せを噛み締めている様の侍女については、マリカーシェルの勤務査定表が唸りを上げることだろう。
「さて、私も仕事をしますかね」
 レクティファールは立ち上がり、皇城へと戻る準備を始める。
 これから彼は、自分の職務を全うし、果てた者たちに対する勲章の選定と勅書の発行という仕事をしなくてはならない。
 それはこの上なく名誉でありながら、この上なく忌まわしい仕事だった。
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