白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二〇話「准将の初恋」 その三

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 マリカーシェルが辛うじてレクティファールの顔に拳を叩き込む衝動を抑え込んだ頃、後宮ではちょっとした会議が行われていた。
 場所はいつもの談話室ではなく真子の部屋であり、その一角を占める小上がり――とはいっても十二畳ほどの広さはあるのだが――に作られた炬燵だった。
「ええと、今日は真子の厚意でコタツを開放して貰いました」
 フェリスがそう告げると、ぱらぱらと拍手が起きる。
 彼女の膝の上に載っているマティリエが炬燵の上の梁州蜜柑に手を伸ばすと、他の妃たちも次々と蜜柑に手を伸ばした。
「ええと、よく分からない理由で大浴場で取っ組み合いを始めた挙げ句、盛大に頭を打って医務室に監禁、説教されている人がふたりいますが、特に問題ないので会議を始めたいと思います」
 第一妃と白龍妃がこの会議と称したお茶会を欠席することは珍しくなく、今ではふたりが居ないままに話が進められることも少なくなかった。
 彼女たちは義理の姉妹たちが決めたことに反対することを己の矜持を穢す悪徳だと思っているらしく、結論にしっかりとした理由付けがなされており、夫との時間を削るようなものでなければ居ても居なくても同じだった。
 対外的には後宮を率いる二大派閥の頭目ということになっているが、実際のところ、義姉妹たちの間では手の掛かる妹分扱いである。
「さて、議題というか話の種だが、最近マリカーシェルがちょっと面白いことになってきていると聞いた」
 そう言って緑茶を啜るのはフェリエルだ。
 妹であるファリエルが一時的に仕事から遠ざかっているため、外部の噂をもっとも良く耳にする唯一の人物である。
「面白いこと、ですか?」
 真子が首を傾げる。おそらく外界からもっとも隔絶されているのは彼女だろう。
 何せ、彼女の前では噂好きの乙女騎士ですら静かに仕事をこなし、この上ないほど精鋭らしい姿を見せるのだ。
 気遣いというよりも気後れがそうさせているのだが、彼女はそれさえも受け入れていた。他の皇妃たちと気兼ねなく会話できるだけで楽しい、そう思っているようだった。
「何でも実家が焦れてきているらしい。若くして近衛准将にまで昇ったからな、期待も大きいんだろう」
「期待しているのに、独身のまま」
 フェリエルに続いて、オリガがぼそりと呟いた。
 目の前に蜜柑を山のように積み重ね、剥いては食べ、剥いては食べを繰り返している。
「マセリア家は、どこも軍人気質……でも女は別の役目」
「昔ながらの婚姻道具って奴よね。男でも変わらないといえば変わらないけど、普通の種族じゃ男の方が軍人としては大成しやすいから」
 オリガの隣で蜜柑の筋を取りながらファリエルが補足する。
 貴族たちは常に多くの義務を課せられ、さらには有形無形の圧力を人々から掛けられている。
 軍人家系の貴族ならば軍人になって国を守ることを求められるし、商人家系の貴族ならば商人として国に利益をもたらすことを求められる。
 それ以上に、マセリア一族はかつての雪辱を誓っている。
 かつてのような人々に敬われる存在になりたいと願っているのだ。
「段々と手段が目的になってきてるんだよねぇ、マリカーシェルも大変だ」
 エインセルが蜜柑を一房放り投げ、口に入れる。そのまま二個三個と連続して口に投げ入れ、少し考えたあと最後の一個をオリガの頭上に向かって投げた。
「――っ!」
 オリガの身体が残像のようにぶれ、次の瞬間には彼女の口がもごもごと動いていた。どうやら一瞬のうちに身体を起こして蜜柑を食べ、炬燵に戻ったらしい。
「おお」
「エインセルお姉様、お行儀悪いですよ」
 感嘆したように息を漏らすエインセルに、マティリエが苦言を呈する。異なる国から嫁いできた者同士で一緒に行動することが多く、実の姉妹のように仲が良かった。レクティファールがいる床に忍び込んでくる程度に。
「ともかく、マリカーシェルを適当な有力貴族に嫁がせようという話が出ているようで、軍でもちょっとした噂になっていた」
 フェリエルは何でもないことのように告げたが、内心は多少なりと動揺していた。
 それというのも、マリカーシェルはレクティファールにとって『お気に入り』であり、それをわざわざ引き離す理由が彼女には理解できなかったからだ。
 リア・マセリアが何を考えているのか、さっぱり分からないというのが偽りない気持ちである。
「おにーさま、マリカーシェルさんのことお好きなのでしょう?」
 マティリエの素朴な疑問に、その場にいた妃たちが硬直した。
 そう、レクティファールにとってマリカーシェルというのは一応『好き』という部類に入る人物だった。その『好き』という感情が男女のそれとは微妙に温度差があり、またマリカーシェルもレクティファールに明確な慕情を抱いている様子がないため、リリシアやメリエラも彼女に嫉妬することは稀である。
「そりゃ、ひとつとして恋をしたことがない女に嫉妬するのはねー、ちょっとどころか結構自負心傷付くよ」
 エインセルが苦笑する。
 彼女の価値観でいえば、嫉妬というのはその理由になった条件に於いて同等以上の相手にのみ対して抱くものでなければならないし、マティリエ以外の皇妃も似たような意識を持っている。
 同じ男に視線を向ける同性だからと、女童に嫉妬する理由はない。
「メリエラとリリシアさえ、大人しい」
「確かに、アタシもあんまりどうこうとは思わないわ」
 オリガとファリエルが頷き合う。
「そういうことだ。ただ、わたしたちがどう思おうと我らが夫が行動しない限りは何も変わらない」
 そう言ったフェリエルは、蜜柑をひとつ手に取りそれをひょいひょいと両手の間で投げ交わした。
「リア・マセリアは、陛下に最も近いはずのマリカーシェルさんがいつまでも手を付けられずいるのは、陛下に嫌われているからと思っているのかもしれませんね」
 真子の推測はその場にいた全員にそれなりの信憑性を感じさせた。
 マリカーシェルはレクティファールに多くの諫言を行っているし、それを隠していない。その情報だけみれば、確かに嫌われているという結論に至っても不思議ではなかった。
「諫めただけで嫌われるのなら、アタシなんてどうなるか」
 ファリエルがそう言って笑う。
「確かに、ボクだって結構ケチ付けるよ。一挙手一投足にね」
 共に寝台に入っているとき、時折騎士学校時代のように色々と文句を付けるのだ。
 フェリスにとっては他の義姉妹たちにはないレクティファールとの貴重な思い出を楽しむ時間でもある。
「さて、わたしたちの旦那様はどんな結末を導くのかな?」
 エインセルは再び蜜柑を投げ、しかし途中でオリガに奪われた。
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