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水やりの章 ー キノコ誰の子サザエの子 ー
姉妹巫女の伝説
しおりを挟む「ところでボッカさん。ボッカさんは、シシーモ系の呪文は使えたりしませんか?」
ボッカが作った煙にいぶされた、魔法風味のカマンベールチーズをぱくつきながら、ミャケが言った。
シシーモ系の呪文とは、いわゆる氷の呪文である。気体中の水分を操作し、対象に吹き付けることで気化熱を奪い、それによって対象を凍らせる呪文だ。対をなす炎の呪文バチバ―系と並び、メジャーな呪文である。
「いや、シシーモ系は覚えてないなあ」
ボッカが答えると、ミャケは面倒そうに手で顔を覆い、だめかー、と呻いた。半人半猫の種族、ネコマタ族の特徴の一つである、手の甲のフワフワした毛がよく見える。ボッカは理由を尋ねた。
ミャケ曰く、セイート村で毎年開催される祭りで必要になる、「霜の衣」という代物を、そろそろ用意しなくてはいけない時期にかかっているとのことである。霜の衣は、チコの泉で汲んだ清水を、シシーモ系の呪文で凍らせることで作られる。
例年この時期になると、遺跡のはずれに住む魔女に頼んで作ってもらうそうだが……。
「その魔女っていうのが、相当な偏屈なんですよね。無理難題を吹っ掛けられたりして、毎年作るのには大変な思いをしてるんです。それでも、村でシシーモ系の呪文を使えるのはその魔女一人だから、仕方なく従ってきたんですけど……」
「人里に魔女なんて珍しいね。普通は誰もいない森の中か、逆に都会の街中とかにいることが多いのに。研究の材料が集めやすいからね」
「ちょっと訳ありなんですよ。ボッカさん、よかったらこれから一緒に来てもらえませんか。村の外から来た人になら、魔女も少しは遠慮するかもしれないし」
ミャケは立ち上がると、ぐいっと伸びをした。
* * *
遺跡群のはずれにあるという魔女の家へ向かう道すがら、ボッカはミャケに、祭りの詳細について尋ねた。ミャケは、「ちょっと長いよ」と断ってから、セイート村に伝わる二人の姉妹巫女の伝説を語った。
―――その昔、仲の良い姉妹がいた。
姉の名はスナメ。砂や土のように全てを受け入れ抱きとめる、慈愛に満ちた巫女。
妹の名はハナネ。果実の花のように可憐で美しく、やがて恵みをもたらす麗しき巫女。
姉のスナメが歌うと、大地はほころび、妹のハナネがその上で舞えば作物が豊かに実る。
しかしある時、村の外から来た「鬼」が、美しい妹を我が物にしようとした。妹はこれを拒み、賢い姉は妹のために策を弄した。
姉は鬼に言った。
「窟を一晩で造れたら、妹を差し上げます」
鬼は夜を徹して窟を作り上げたが、夜明け前に疲れて眠ってしまった。
姉はひそかに窟の一部を抜き取り、目覚めた鬼に言った。
「このとおり一か所抜けがあります。これでは妹は差し上げられない」
鬼は傷心のままいずこかへと消えていった。
姉妹の絆はますます深いものとなり、村はますます富み栄えた。
ある年、一人の貴人が村を訪れた。
貴人は美しいハナネを見初め、求愛した。ハナネは、姉と一緒なら嫁ぐと答えた。
しかし、スナメは妹ほどには美しくなかった。
疎ましく思った貴人は、スナメに、出立の日を一日ずらして伝えた。
出立の日、チコの泉のほとりでハナネは来るはずのない姉を待った。日が暮れ、霜が降りるころまで待った。
しびれを切らした貴人は、「あの賢い姉様が時間を間違えるなどありえません。貴女と私と、二人で行くようにと仰せなのです」と言い含め、半ば強引に連れ去ってしまった。
何度も振り返るハナネの衣には、霜が降り、朝日に輝いた。
ハナネの恵みを得た貴人はのちに国を建て、ハナネの子らがその国を長く治めた。
ハナネと貴人との出会いは、国建てのはじまりを告げる原初の恋の物語として、長く語り継がれている。
セイート村では毎年、村一番の美人がハナネに扮して、村の繁栄を願う祭りがおこなわれている。
「ハナネが村を出るときに纏っていたのが、霜の衣、ということだね」
「ですです」
「それにしても、その貴人とやら、ずいぶんな横暴じゃないかい。突然やってきて、姉妹の仲を引き裂くような真似をして。その前に出てきた鬼と、何が違うんだろうか」
「イケメンだったんじゃないですかね?」
ボッカはため息をついた。
「所詮伝説の類ですからね。もっとも、大事なのはそこじゃないんですよ、都会から来た勇者さん。今年、誰がハナネの役をやるのか、つまり村一番の美人は誰なのか、ってことです」
「ミフネさんかな? 痛っ」
ミャケはボッカの尻を足蹴にした。それを見たマメシバが、遊んでいるものと勘違いしてはしゃぎだし、ボッカの太ももに食らいついて引っ張る。
「姉様は5歳の時から、もう15年連続でハナネ役をやってるんです。上っ面だけはいいですからね。同じ姉でも、スナメ様とは大違いです。でも、さすがに今年は遠慮したみたい。霜の衣を取りに行くのも、ハナネ役の務め。つまり、今年のハナネ役はこの私なんです!」
アイムナンバーワン、と指を立てて叫ぶミャケの背後で、マメシバが引っ張ったズボンのポケットから、チーズのかけらが零れ落ちた。ボッカとマメシバは、そのかけらを競って拾い集めるのに夢中だった。
* * *
「さて、つきましたね」
奇妙な建物である。黒い外壁のところどころに植物のツタが絡まり、カラスがその上を旋回している様子は、なるほど魔女の住処らしい雰囲気だ。しかしどういうわけか、南側に見える尖塔の頂点には、真っ白な十字架が掲げられ、そこにはハトが止まり「クルッポー」と呑気に鳴いている。
口を開けて見上げながら、ドアに近づくボッカの手を、ミャケが引いた。
「待って。まずはこっちから」
ミャケが手を引いた先は、建物の南側、ちょうど十字架の真下にあたる場所である。なんと、こちら側の壁は白、柱と窓枠は薄いブルーの清楚な佇まいである。
薄いガラスのはめ込まれた窓枠を、ミャケはこんこんと小突いた。
小さな人影がガラスの向こうで動くと、ガチャリと窓が外側に開いた。
「はいはい。おやおや、ミャケちゃん。久しぶりだねえ」
年寄り臭い口調と共に現れたのは、それに似つかわしくない紅顔の幼い男の子だった。窓の下にテーブルを置き、その上に胡坐で座っている。
「うわ、神父。今日は一段とキュートですね」
「まあねえ。ミャケちゃん、もしかして、トノちゃんに霜の衣を作ってもらいに来たのかい。だとしたら、今年はタイミング、最悪だね。今世紀最悪のタイミングと言われた10年前に勝るとも劣らない悪さ」
「ですよねー。神父の姿を見れば大体想像は……。はあ、最悪ぅ」
「相当の覚悟はしておいた方がいいのう」
どう見ても10歳に届かない年かさの少年が、ひと昔前の話を昨日のことのように話す様子に、ぽかんとするボッカ。
そのボッカに気づいた少年が、ちらと見やった。
「ああ、そちらが最近都会から来なさったという勇者さんかいね。セイート・ビレッジ・ニュースで読んで知っとるよ。そっちは……ええっと、マメチビちゃんだったかいの」
ウーウーと言いながら不満げにくるくる回るマメシバ。それを見て笑いながら、少年は胸元から小さなロザリオを取り出して、微笑んだ。
「わしはコリ神父。この道50年のスーパーウイッチキラーと人は呼ぶぞい」
「うるせえ! このばかすが!」
コリ神父と名乗った少年の後ろのドアが勢いよく蹴破られ、吹き飛んできた真鍮製のドアノブが少年の後頭部に直撃した。
うずくまる少年の肩越しには、黒革のミニドレスを着た皺くちゃの老婆が立ち、こちらを睨みつけていた。
―続―
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