木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

同じ温度で想い合う瞬間を。

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「少し良いですか?」
その言葉とほぼ同時に森本先生は中庭に足を踏み入れた。
膝丈のスカートから綺麗に伸びた脚。
薄い黒のストッキングに包まれているそこは。
面積が広く張り出しているふくらはぎ部分は薄らと肌色が透け、対照的に足首や膝の関節部分は濃く影が射し。
その明暗がなだらかな凹凸に陰影を付け色気を増していた。
そのまま視線を上げて森本先生の顔を見る。
相変わらず整っていて文句の付けようがない。
気が付けばまた見入っていた。
目の前まで来た彼女と暫く見詰め合う。
「山崎先生。」
「…はい。」
「やっぱりダメですか?」
「え?」
「私ではダメですか?」
唐突な問に固まる。
それはつまり、そういう事なのだろうか。
数日前に貰った小林先生の言葉を思い出す。
『ない事にするのは違う』
丁度、森本先生とはきちんと向き合わなければならないと思っていたところだ。
しかし何と返そう。
というよりも、どうしよう。
まだ今後の森本先生へのスタンスを何一つ決めていなかった。
「山崎先生、全然メッセージ下さらないので…。私の気持ちは迷惑なのかなって…。」
「いや、迷惑だなんて事は…」
「ごめんなさい。自分から聞いといて申し訳ないですけど…この話はもう、やっぱり今日はいいです。大丈夫です。すみません。」
そちらから振ってきた癖にと少し面倒くさい気持ちも湧くが、こちらとしてもまだ何も答えられない状態なので決断を迫られなくて良かった気もする。
森本先生は今日はいいと言いつつも少し圧をかけるように強い視線を向けてきた。
「今日はこの話ではなく…。忠告をしに来ました。」
「…忠告?」
思いも寄らない言葉だったので思考が停止してしまう。
ただ、忠告なんて強い言葉を突きつけられている時点で良い話ではない事は明白だ。
俺は唾を飲んで次の言葉を待つしかない。
「昨日の朝礼で木内先生から話がありました。プール棟1階のトレーニングルームをメンテナンスし直して陸上部で使う事にするって。業者を入れての本格的な改装は来月以降になりますが、清掃や破損箇所の確認等ですぐにでも人の出入りが盛んになります。だから…、ね、山崎先生。」 
心臓が大きく鳴る。
ゆっくりなのに一回の鼓動が大きくて、その都度グッと絞まり息が上手く吸う事が出来ない。
どうして今、この人は俺に廃トレーニングルームの話をしてきのだろう。
意図が全く掴めない。
全身から汗が吹き出る。
何か知っているのか?
「山崎先生は週に二回しかいらっしゃらないので、週初めの朝礼の話が耳に入る機会が少ないのではないかと思って…。知らないで他の先生方と鉢合わせたら大変じゃないかなって…。」
やはり何か知っているようだ。
少なくとも俺がそこへ出入りしている事は把握していそうな口振りにそう確信する。
「ああ…、ご丁寧にありがとうございます…。」
「細谷さんにも伝えた方が良いんじゃないですか?出入りを控えた方が良いって。言いにくければ私が伝えておきますよ?」
頭の中がパニックを起こす。
細谷咲の事まで。
何故それを?
二人で居る所を見られたのか。
それとも細谷咲本人が話したのか?
いや、それは考えにくい。
いくら森本先生に気を許しているとはいえ、彼女だって密会の事実を人に話すリスクは理解しているはず。
続けないと望んでいるのなら話すわけがない。
きっと出入りしているところを見られたのだ。
何にしても細谷咲の立場を守らなくてはならない。
「あの、自分で…。自分の問題なので自分で何とかします。あの…ご忠告ありがとうございます。」
「本当に細谷さんと会ってたんですね。」
「え?」
「ごめんなさい。カマをかけました。」
ああ、やられた。
何て事だ。
もっと冷静に対処すれば良かったと、つい先程の自分の対応を後悔する。
焦りから取り乱し完全に認めてしまった。
あまりの立ち回りの悪さに自身に失望する。
悪手が過ぎるだろう。
「山崎先生が一人であそこへ向かうのは何度か見掛けていました。それとは関係なく細谷さんが自分の悩みに親身になってくれる人がいるって聞いていて…。夏休みに彼女が学校に来ていた理由も今思うと少し不自然だったし。この前美術室で立花君の絵を見た日。何となく。本当に何となくとしか言えないんですけど、山崎先生と細谷さんの視線の合わせ方とか距離感に違和感があるなって…。だからごめんなさい。カマをかけました。」
「…はは。…凄いな…。」
これが心理学を学んだ人の洞察力なのか。
学生時代、仲間内でよく人狼をしていた時いつも嘘を見破られていた俺なんてひとたまりもないな。
「流石カウンセラーですね…。」
「うーん…、ふふっ。」
森本先生は困ったように眉尻を下げると弱く笑う。
「カウンセラーの部分よりも働いたのは女の勘ですかね。私はメンタリストじゃないですから。人の心が読めたり誘導したり何でも分かるわけじゃないです。とくに仕事でなければ尚更…。だけど女ですから。好きな人の好きな人は分かっちゃうんです。分かりたくなかったですけどね。」
本当にどうしたら良いのか。
何とかして細谷咲だけでもお咎めなしにしてもらわなくては。
「全部僕が悪いんです。彼女をあの場所に招いたのも僕です。だけどどうか信じて欲しいです。細谷さんは誰にも知られたくない悩みについて、僕を信用して話してくれているだけなんです。だから学校側に報告するのなら僕の事だけにして下さい。」
深く頭を下げる。
しかし頭上から降り注ぐ冷たく無慈悲な声。
「0点です。」
「…。」
「今のは0点です。」
顔を上げる事が出来なくなった。
この先どうやって説得しようか。
混乱が治まらないままの頭を、混んがらがろうが空回ろうがフル回転させる。
「顔を上げて下さい。」
「…。」
言葉が見付からない。
けれどこれ以上相手に不快感を与えないよう言われた通りに頭を上げる。
主導権は完全に向こうだ。
俺にはなんの権利もない。
「山崎先生。私がなりふり構わない人間だったら最悪の道を辿ってましたよ。そのくらいさっきの言葉のチョイスは間違っています。」
「…はい。すみません。」
正直、何について咎められているのかは分からない。
それでも怒りも呆れも悲しみも全て内に秘めていそうな真顔で言い切られ謝罪の言葉を口にするしかなかった。
「山崎先生。」
「はい。」
「私さり気なく告白しましたけど…、完全にスルーしてくれましたね。」
「え?…あっ。」
そう言えば『好きな人』と言われた気がする。
だけど話の流れに紛れていたし、正直それどころではなかった。
「すみません!あの、それについても、あの…」
「それだけじゃありません。」
ズバッと遮られてしまいまた黙り込む。
森本先生は冗談ぽく拗ねた表情を作ると俺を睨み見る。
「私は貴方の事が好きなんですよ?それをあっさりと流して、更に他の女の子を守ろうと必死な姿を見せるなんて…。今酷く惨めです。ところ構わず八つ当たりしたい気分です。私が悪い人間なら弱みを利用して酷い要求をしているところです。」
「酷い要求?」
「私と付き合って下さい。とか…。」
「え!?」
口を開き固まってしまった。
それを見て森本先生は吹き出す。
「ふふふっ。そんな事言いませんよ。余計惨めになります。そういう事は自分の力で頑張りたいですし…。」
「は、はぁ…。」
「ですが…」
また真剣な表情。
俺の目をじっと見据えハッキリと意思表示をする。
「私は上に報告する気もその中で細谷さんと何をしていたのかを聞き出す気もありません。ただ、これからも続けるのなら黙っていられないです。山崎先生はとても良い先生です。細谷さんも素敵な女の子で大事な生徒です。だから私は二人に間違って欲しくない。ただそれだけなんです。」
「…はい。」
「何をしていたのかは聞かないですし、私は山崎先生の『疚しい事はしていない』と言う言葉を信じています。だけど他の人はそうは思いません。簡単に邪推します。そうじゃなくても根掘り葉掘り細谷さんの悩みの中身まで聞き出そうとするでしょうし、男女が密室に居たとなれば真意とは関係なく咎められます。私は二人にそうなって欲しくないんです。」
森本先生の言っている事は最もだ。
何一つ間違っていない。
俺だってずっと考えていた。
このままではマズいと。
それでも最後まで細谷咲の悩みに寄り添いたくてずるずると続けてしまっていた。
しかもそれは細谷咲の為と言い聞かせ、本当は俺が彼女の特別になりたかっただけなんだ。
今が潮時なのだろう。
折角森本先生が今までの事は目を瞑ってくれると言っているのに、ここで欲望のまま無理をしては全て失いかねない。
細谷咲の為にもここで終わりにするしかないのだ。
そう納得した。
「分かりました。」
だけどどうして今なんだという気持ちが湧いてくる。
残酷なタイミング。
もう少し先なら。
もう少しだけでも時間があったのなら一瞬でも感じる事が出来たのかもしれないのに…。
それが刹那的なものだとしても。
細谷咲と同じ温度で想い合う瞬間を。
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