木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

小さな可能性と閉じた目。

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騒々しい空間。
そこに居る私以外の全員が楽しそうに大声を出している。
私一人乗る気になれない。
友人達何人かとカラオケに来たは良いけれど、どうも上手く楽しめずにドリンクバーのジュースを啜っていた。
明日は卒業式。
結局私は三学期も毎日毎日山崎先生の事を考えていた。
冬休みの時は兄貴達と騒ぎながらこうして忘れていくのかなんて思っていたのに、強引に構ってくれていた兄貴が自宅に居ないと途端に脳内を先生に占拠されてしまう。
一目だけでも会いたくて木曜日を迎える度に学校へ行きたい衝動に駆られた。
前に『入学式』が飾られていた駅ビルにも何度か行ったけれど、切り換えの為か油絵教室の紹介は一つもなかった。
『入学式』は勿論、新しい作品もない紹介コーナー。
パンフレットで確認すると油絵教室の存在も講師が山崎先生である事も変わりはなさそうだったけれど…。
先生の絵も本人にも会う事は叶わなかった。
もう今先生の新しい絵を見ても私は理解できないかもしれないなんて不安に襲われる。
何の根拠も努力もなく出来ていた事は急に出来なくなるかもしれないという懸念が付き纏う。
だって何で出来ていたのか自分でも説明出来ないのだから…。
森本先生は背中を押してくれたけれど、もう私と山崎先生はダメなんだろうな。
折角もうすぐ教師と生徒でなくなるけれど、今更私達は上手くはいかないんだ。
あれだけハマっていた歯車は色々な邪魔やタイミングで狂って合わなくなってしまった。
そう思うと何だか息苦しい。
頭もボーッとする。
卒業したくないな。
ずっと教師と生徒って立場を呪っていたけれど、今はその唯一の接点を失うのが寂しい。
こんなにぐじぐじしているくらいなら。
先生と生徒という立場を崩せないなら。
暇なうちに油絵教室に申し込むなりして無理にでも会いに行けば良かったんだ。
だけどもう遅い。
私は明日卒業する。
「咲?」
隣に座っている亜樹が私の顔を心配そうに覗いてきた。
それをぼんやりと見ながら頷くしかできない。
「咲?どした?」
「…うん…。」
視界が霞む。
自分がきちんと座れているのか、天地がどちらか分からなくなって。
フラッと亜樹の方に倒れ込んだ。
「おい、咲?」
「え?」
「咲、どうしたの?」
「なになに?」
爆音で流れ続ける音楽を無視して皆が私に集まってきた。
「大丈夫だよ。」って言いたいのに上手く声が出なくて。
そのまま急激に眠くなって。
瞬きで閉じた目が開かなくなる…。
次の瞬間気付いたら夜で、私は自分の部屋のベットの上だった。


久しぶりにスーツに袖を通した。
今年の入学式と今年度の始業式以来だから約一年振りだ。
慣れないネクタイを締めると心まで少しだけ引き締まるから不思議だ。
今日は卒業式。
特別に許可をもらって1日限定で職員玄関に1枚の絵を飾らせてもらった。
それは細谷咲を想って描いた絵で。
だけど誰がどう見ても意味は分からないと思う。
きっと細谷咲だけは気付いてくれる筈なんだ。
これが愛の告白の絵だと。
その絵を見てもらったからといって急に全てが上手くいくなんて虫の良い事は思っていない。
望まない結果になる覚悟をしなくてはいけないとも思う。
細谷咲から逃げて、悩んでいる彼女を投げ出した事がそう簡単に許されない事は分かっている。
それでも、俺が彼女をどれだけ想っているのか知ってもらう必要がある。
そうすれば、いつかの美術準備室で酷く傷付けてしまった細谷咲の心を少しは軽く出来るかもしれない。
そうやって森本先生の言葉や、立花亜樹から学んだ事をしっかり身にしたいのだ。

式が終わった職員玄関。
担任や部活の顧問に別れを告げる卒業生達が集う中。
俺は一人自分の絵の前に立っていた。
先程、細谷咲を迎えに彼女のクラスまで足を運んだけれど姿が見当たらなかった。
仕方なくここで来るかどうかも分からないのに待つ。
きっと担任や森本先生に挨拶に来るだろう。
それとも校門で待っている方が確実だろうか…。
もう少し様子を見て移動しようか。
「ザキセン!」
不意に呼ばれ顔を上げると笑顔の立花亜樹がこちらに向かって来た。
胸には卒業生の証である花が咲き誇っている。
「立花君、卒業おめでとうございます。」
「ありがと。」
そして彼は流れるように視線を俺の絵に送ると声を上げて笑い出した。
「ははは。森もっちゃんから聞いたよ。これ新作でしょ?相変わらず雰囲気あるけど難しいなー、ザキセンの絵は。」
「はは…。よく言われます。」
「んー。でもこれ…何か今までのとちょっと違う気もする…。なんか…嬉しそう?いや、…幸せそう?」「え…?」
「うん。やっぱり幸せそう。」
すっきりとした表情で立花亜樹はそう言い切った。
細谷咲のように正確でなくても俺の絵からメッセージを受け取る人は居るんだなと思う。
「この絵は初めて伝わって欲しいと思って描いたんです。」
「え?初めて?絵描きって皆何か伝えたくて描いてるもんじゃないの?」
「どうでしょうね。他の人が何を考えて作成しているのか知らないので…。ただ今までの僕は内から湧いてくる何かを衝動的に絵に変換していましたけど、それが伝わって欲しいとは思って居なかったんです。勿論なるべく多くの人に見て欲しいとか、何かしらを感じて欲しいとは思っていますけど。こういう絵だからこう伝わって欲しいと強く思う事はなかったんです。」
「へー…。そうなんだ…。でもこれは今までと違うんでしょ?」
俺は黙って頷く。
立花亜樹もそれきり言葉を発さなくなった。
二人で暫く絵を眺める。
開かれたままの玄関からは冷えた風が吹き込み、ひんやりと頬を撫でていった。
だけど、ほんのりと春の匂いで。
立花亜樹はそれを肺一杯に吸い込むと口を開く。
「咲も見たかっただろうな…。これ。」
俺は視線を絵から立花亜樹にゆっくりと移した。
俺だって細谷先に見て欲しいよ。
その為に描いたんだ。
こちらの視線を受け立花亜樹は細谷咲の話を続ける。
「前にも言ったじゃん?咲、よくここでザキセンの絵を見てたって。これも見たかったと思うよ。」
「その細谷さんは今日…」
「昨日からインフルエンザなっちゃったんだよ、咲。」
なんて事だ。
それでは今日、彼女はここには来ていないという事か。
どうりで教室まで向かっても会えなかったわけだ。
絵を見せられないショックで思考が囚われつつも、今度は急に心配にもなる。
「細谷さんは大丈夫なんですか?」
「うん。昨日皆で遊んでた時倒れちゃってさ。そん時はすげぇ辛そうだったけど、夜メッセージしたら病院行って大分良くなったって言ってたし。今朝卒業式出れなくて残念だなってメッセージした時なんか、逆に一緒に居た俺らに感染してないか心配してくれてたくらいだったし。」
「そうですか…。」
それ程酷くないのなら良かった。
しかしどうしても落ち込んでしまう。
絵を見せる事が出来なかった。
想いを伝える事が叶わなかった。
今日しかチャンスがないのに。
なりふり構わなければきっと細谷咲と連絡をとる手段はあるのだろう。
それこそ立花亜樹を頼ったり…。
だけど、そうじゃないんだ。
それではダメなんだ。
自分の力で何とかしないと。
絶望的な気持ちで「お大事にってお伝え下さい。」とだけ口にした。

夜、アトリエに佇む。
学校から持って帰ってきた絵を手に一人考えていた。
細谷咲と俺は森本先生曰く繋がっているらしい。
だとしたらこれ程までに擦れ違い上手く噛み合わないのは何故なのか。
そういう運命?
そんなもの今まで信じていなかったけれど、これ程までにタイミングに見放されると運命のせいにしてしまいたくもなる。
森本先生はやり切って欲しいと言ってくれたけれど、もうこれ以上何も…。
そしてはたと気付く。
いや、これまでに俺が細谷咲に対して成し遂げた事なんて何かあっただろうか?
森本先生や立花亜樹の存在に躊躇い離れる選択をして逃げた以外に行動した事なんてあったか?
辛抱出来ずに細谷咲の身体に触れたり、衝動のままに首筋を吸った事はあるが、そんなのはやらかした事であり、能動的にとった行動ではない。
やり切るっていうのはこういう事じゃないだろうと今更に思い立つ。
俺はスマホを手にすると講師を務めているカルチャーセンターの番号を表示した。
もしかしたらまだ細谷咲の目に俺の絵を触れさせる事が出来るかもしれない。
その小さな可能性に掛ける。
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