休憩室の端っこ

seitennosei

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私が海くんを好きになったのは今から2年前の夏頃のこと。
当時私は専門1年生で、海くんは大学一年生だった。
店に入って3ヶ月程だった海くんは、まだキッチンでのみシフトに入っていた。
作る方はあらかた覚えたのでそろそろカウンターも出来るようにと店長から言われ、高校生の頃から長く働いている私がそのトレーニングをすることになった。
それまでの3ヶ月間、私達は仕事中必要な会話以外は挨拶を交わす程度のコミュニケーションしかとっていなかったので、トレーニングについては不安しかなかった。
申し訳ないけれど、見た目や休憩室での雰囲気から、海くんに接客は難しいと思えた。
社員さん達も物にならなければキッチンに戻すと話していたくらいだ。
しかし大方の予想に反して、海くんのカウンター捌きは見事なものだった。
基本的な事はすぐに覚え、接客に関しても難無くこなした。
笑顔を振り撒いたり気安い雰囲気を出すわけではないが、丁寧な対応と柔らかい口調で、見る目が厳しいカフェタイム常連のマダム達にもすぐに受け入れられた。
中には「今日、山田海くんは居ないの?」とフルネームを覚え、指名してくるマダムも出てきた。
商品に関する質問への返答や、基本的な接客はとてもスマートなのに、世間話を振ると突然塩対応になってしまうところが、そのマダムのツボに入ったらしい。
「シャイな男は良いわよ~。心を開かせるまで手の掛かるところも可愛いし、何より心を開いた途端に全部曝け出すようになるのが愛しいのよ~。」と、その魅力について熱く語っていた。

トレーニングをしていると必然的に共にする時間が増え、休憩を一緒にとることも多かった。
「同い年なのだから敬語はやめよう。」としつこく食い下がり、大分フランクに話してくれるようにもなった。
「正直ここまで海くんが接客できると思わなかったよ。」と軽口を叩いた時、「仕事だからね。そうじゃなきゃ嫌だけど、人と話すの。」と返され、無表情なまま素直にぶっちゃける姿に笑ってしまった。
貴重なスマホゲームの時間は邪魔できないのでそれ程沢山の会話はしないけれど、一緒の空間にいるうちに、周囲への気配りやさり気ない優しさが見えてきて、私の持つ海くんへのイメージは急激に変わっていった。

トレーニングについてから2週間程経った頃。
お客様がグッと減る21時過ぎのカウンター。
私と海くんは隣同士並んでそれぞれのレジで接客をしていた。
その時、近くの居酒屋さんから流れてきた酔っ払いがフラフラと私のカウンター前に立った。
注文対応をしていると、最初のうちは気分良さそうに話していたが、何が気に食わなかったのか突然豹変し怒鳴り出した。
酔っ払いにはよくあることなので、私は低姿勢に謝罪し、なんとか気持ちを落ち着けてもらおうと宥めた。
すると何を勘違いしたのか、今度は私の手を握り口説いてきた。
裏の事務所でモニターしているであろう田島さんや、厨房で作業していた高橋と社員の濱田さんに、それとなく目線で助けを訴えるが、みんな笑って見ているだけだ。
きっとカウンターに居たのが可愛い女の子だったら、酔っ払いが声を荒らげた時点で、誰もが助けに入っていたことだろう。
絡まれている恐怖や不快感より、私だから誰も助けてくれないんだという悲しみの方が大きく、胸が痛かったのを覚えている。
どうにか穏便に済ませようと強く拒絶できないでいる私に対し、酔っ払いはカウンター越しに身体を触りはじめた。
強く腕を引かれたり、首筋を撫でられたり。
いよいよどう対応して良いものかわからなくなり、身を縮こまらせていると、海くんが間に割って入ってくれた。
隣のレジで別のお客様の対応をしていた筈なのに、わざわざレジを中断してまで助けてくれたのだ。
酔っ払いに掴まれた腕は、気持ち悪いばかりで痛みも感じないほど強ばっていたのに、海くんの手が置かれた肩は暖かく、そこからじんわりと緊張が溶け安心できた。
結局その場を最終的に収め、酔っ払いを追い返したのはキッチンから出てきた濱田さんだったが、私にとっての救世主は海くんに他ならない。

その後も海くんだけは他の女性と差別することなく、私にも優しくし接してくれた。
そんな彼を好きになるのも当然のことだろう。
だけど私はこの2年間、ただ好きでいただけだった。
行動を起こすことは殆ど出来ていない。
それは、海くんが恋愛どころか人付き合いを極端に避ける振る舞いをするところにある。
アピールして無理矢理近付けば、近付いた分以上の距離を置かれるであろうことはほぼ間違いない。
私の気持ちを少しでも匂わせた日には、駆け引きなんてする間もなく、追い付けない程遠くへ逃げられるだろう。
苦肉の策で「私は誰にでも気作なだけです。貴方に特別な感情はありません。」と言う顔をして、ほんの少しずつ海くんに絡んでいくことにした。
そうやって牛歩の歩みで信頼関係を構築してきた。
今ではこの店の中でなら、最も海くんと親しい位置をキープ出来ている自負がある。
それは私の努力の賜物なのだけど、困ったことにそこからどう発展させて行けば先に進めるのか、恋愛経験の乏しい私には難題過ぎて動けずにいる。
信頼関係を構築する為に偽った「貴方に特別な感情はありません。」と言う態度が、ここに来て一番のネックになろうとは。
私が向けている想いが特別なものであるなどと、海くんは露ほども思っていないだろう。
海くんを目の前にして、いつも私は不埒なことばかり考えているというのに。
寝癖でぽわぽわな薄茶色の髪を撫でたい。
分厚いメガネを外して素顔を見たい。
両手で頬を包んで顔を引き寄せて、あの薄く整った唇に私の唇を合わせたい。
この2年間、焦れった過ぎて、何度「もう私の想いが目に見えて伝わってしまえばいいのに!」と思ったことか。
ただその場合、この妄想まで見せてしまうことになるのだとしたら、ドン引きされて一生口をきいてもらえなくなるだろうけど…。

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