傾く方へ

seitennosei

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傾く方へ。

無意味な一ヶ月。

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早番の後。
木内さんから借りている合鍵を使い先に帰宅する。
リビングの横。
入口同様ロールカーテンで仕切られた先にある部屋。
畳の和室。
壁沿いに黒い木製のテレビ台があり、真ん中には黒い革張りのソファー。
押し入れの襖をとっぱらい上段はパソコンデスクになっている。
押し入れの下段とその横の壁に黒い棚があり、意外な事に難しそうな本が隙間なく並ぶ。
和風モダンでオシャレな感じ。
そこは自分の家でもないのに落ち着くから不思議だ。
「ふーっ…。」
私は真ん中のソファーに身を落ち着けスマホを取り出した。
『今まで連絡しなくてごめん。』
『明日はどうする?』
一ヶ月振りの壱哉からのメッセージだ。
喜びも嫌悪感もなかった。
純粋な驚き。
私の誕生日覚えてたんだ。
そしてあの約束まだ守る気あったんだ。
ある意味で律儀と言うのか。
壱哉は壱哉で呪いに掛かっているんだと思った。
約束を守らなきゃとか、誠実でいなきゃとか、そう言う呪い。
もう何とも思っていない女との約束なんて放っておけば良いのに。
解放してあげよう。
なんて言い方をしたら壱哉の為を思っている様に聞こえるけれど、正直なところは私も身軽になりたい。
ただでさえ木内さんとの関係や凛さんへの感情、隣人トラブルで頭が混乱しているのに…。
壱哉に割く時間も熱量もなくなってしまった。
私は一ヶ月前の公園で嫌がらせ目的に壱哉の別れを拒んだ事を激しく後悔していた。
非常に勝手で申し訳ないけれど、約束はなかった形にもっていける様な返信をしよう。
『約束覚えていてくれてありがとう。』
『ワガママで繋ぎ止めてた事もごめんなさい。』
『約束は忘れてくれていいから、このままちゃんと別れよう。』
そう送った瞬間直ぐに既読になった。
そして数秒後には着信。
震えるスマホにつられ心臓が早くなった。
恐る恐る通話の方へスライドする。
「も、もしもし?」
「もしもし?ユリ?」
懐かしい。
紛れもない壱哉の声だ。
だけど心が震えない。
掛けてきた意図が気になりそわそわと落ち着かないけれど、ただそれだけだ。
「今まで放っておいてごめん。」
「うん…。もう良いから。私もごめん。」
「ユリ、とりあえず会って話そう?」
「え?何で?」
「何でって…。ユリは俺に会いたくない?」
思いがけない言葉だった。
別れ話をメッセージで済ませるのは本来なら私だってどうかと思っていた。
だけどもうお互いに気持ちがないのに今更会ってケジメもなにもないなと、今回はさっき送ったメッセージが最後でもいいと判断した。
壱哉は私がまだ壱哉を引き摺っていると思ってケジメの為に会うと持ち掛けたのかもしれない。
もしそうならばその必要がない事を伝えなければ。
「会いたくない訳じゃなくて…。一ヶ月前は突然で納得いかなくて無理やり引き止めちゃったけど、この一ヶ月で私も冷静になって色々考えたら、壱哉を無理につなぎ止めた事は間違ってたと思ったし後悔した。本当にごめんね。」
「あー、いや…。ユリ、あのさ…」
「壱哉は約束だから連絡くれたんでしょ?ありがとう。でももう無理に私と会う必要ないから。」
これでひとつ片付く。
なんて自分勝手に肩の荷を下ろしかけた時。
「俺はユリに会う必要があるから。」
「え?」
意味が分からなかった。
あの時あの公園であんなに私の事を邪魔者扱いしていたのに。
そしてこの一ヶ月は何の音沙汰もなかった癖に。
そんな相手に会う必要がどこにあると言うのか。
「今更会って何になるの?」
自分の口からついて出た冷たい言葉。
電話越しに壱哉が息を呑んだのが伝わってきた。
「壱哉が今私をどう思っているのか、どんな理由で会う必要があるなんて言うのか分からないけど、私はもう壱哉と会う理由ないから。」
「…。」
いつの間にか立場は逆転していた。
そして図らずもあの時壱哉がどれだけ私という存在が煩わしかったのか身を持って実感してしまった。
何でも良いから早く切りたい。
一ヶ月経ってこんな事になるならば、やっぱりあの時嫌がらせなんてするんじゃなかった。
「私が縋り付いて今日まで付き合い延ばしてもらっといて申し訳ないけど…。もうちゃんと別れよう?」
「嫌だ。」
「はい?」
ここにきてまた話がややこしくなるとは。
私は溜息を吐く。
「あのさ、壱哉…」
「あの時!」
壱哉が少し大きな声を出したので、今度は私が息を呑む。
「俺はユリの言う通り別れるのを一ヶ月延ばしたよ?」
「…うん。」
「だからユリも一ヶ月待って!」
「はぁ?」
まるで「おあいこ」だとでも言いたげな雰囲気。
子供か!?と思う。
だけど、私が先に出した条件と同じモノを提示されている状況に、直ぐには突っ撥ねる事ができなかった。
「壱哉…。」
心底めんどくさい。
縋られる事がこんなにも面倒臭いだなんて。
嫌がらせはある意味成功だったんだ。
まさかこんな形で返されるとは思わなかったけれど…。
でも、だったら私もこの一ヶ月の壱哉に倣い、一切連絡をしないで放っておけばいいのではないか?
「分かった。」
あまりの面倒臭さに一ヶ月前の壱哉同様、私はその条件を受け入れてしまった。
「ユリ…。ありがとう。」
壱哉は気付いているのかな?
あの時私が言った言葉と同じ返しをしているって。
だから私もあの時壱哉が放った言葉を返してやるんだ。
「だけど明日は会わないし、休憩室でも話さない。それにこまめに連絡したりもしないから。」
そうしてまたここから無意味な一ヶ月が始まるんだと思うと気が重くなった。
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