傾く方へ

seitennosei

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傾く方へ。

私に出来る事。

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ユリが消えて3ヶ月が過ぎた。
クリスマス、初売り、冬のセールと目まぐるしく過ぎていき、店は今少し落ち着いている。
だけど私だけ焦っていた。
1階ドラッグストア横の従業員用トイレで呆然と思考を停止させる。
個室の便座に腰掛け、手の中にある細長いプラスティック性の妊娠検査薬を何度となくチラ見するも、結果が表示されている小窓に線が2本。
何度見ても…。
「陽性…。」
だろうとは思っていた。
思い当たる節もある。
だけど残念な事に、もちろん相手はみーじゃない。
だってあの日。
私がみーを初めて殴った日。
それ以来私とみーはセックスをしていない。
その時だって裸になって抱き合ったけれど、上手くいかなくて途中で止めたんだ。
色んな意味でみーの元気がなくなってしまったから。
私の胸中は複雑だった。
一緒に居ようとか言っといて私じゃ萎えるんじゃん。とか、ユリの事はレイプする程好きなんだ。とか。
そういう嫉妬する様な物も多少はあったけれど、私ももうみーとする気になれなかったし、一番はユリの事が心配でそれどころじゃなかったのが大きかった。
じゃあ結局お腹の子は誰の子供なのかと問われたら、それは私にも分からない。
みーと拗れてから今日まで私の生活は荒れに荒れていた。
昔パパが言っていた言葉。
『俺が人として失格だから…、家族を持つ資格なんかないから…。だから俺には種がないんだ!』
それが何度も何度も頭の中で木霊して。
人として失格な私の元へ子供が授かる筈ないって何処かぼんやり思っていた。
そのぼんやりとしていた間、自分でも誰とどう過ごしたのか正直あまり覚えていない。
あんなにちゃんとしようって。
みーと向き合うって決意した瞬間もあった筈なのに。
人間そう簡単には変わらないし、強い決意も時間が経てば容易く薄れていく。
私一人がどんなに頑張った所でみーに向き合う気がないのだから同仕様もなかったし。
結局そのやるせなさを埋める様に、飲み屋で声を掛けてきた人をはじめ、職場のビルの人や昔からの知り合い等、顔も名前も朧気な人もいるくらい沢山の人と遊んだ。
それにどんな経緯かも覚えていないけれど、岡田くんとも何度かヤッたな…。
その時は自分の事を棚に上げ「コイツよく私と今更会えるな。」なんて思ったのは覚えている。
パパに捨てられて以降、初めて男の人に上を譲ったり、そのまま避妊もしなかったり。
不幸な子供を生み出す行為を強く憎んでいた筈なのに、意図も容易くその罪を犯してしまった。
人間失格な私に授かる生命なんかどうせ無いだろう。
それでも奇跡的に私の元に生命が宿ってくれたのなら、私はひとりぼっちではなくなる。
そんな思考に取り憑かれていた。
もうみーを批難できないな。
そもそも最初から私には誰かを批難できるだけの立場なんてひとつもなかったのだけれど。
こんな生活を送っているのにみーは変わらず優しい。
仕事中もたまに家で会う時も何も変わらない。
ただセックスはしなくなった。
そして私が男と会っても相変わらず何も言わない。
だけど多分、前の様に我慢して何も言わないのではなく、純粋にもう私が誰と何をしていても良いんだと思う。
子供出来たって言ったらみーはどうするかな?
流石に別れようって言うかな?
そりゃそうだ。
絶対にみーの子じゃないんだから。
仕事もどうしよう。
続けられるかな?
辞めるにしても何時まで働いていられるか。
そこまで考えて自分でハッとした。
私、当たり前に産む気なんだ。


居心地の良い自分のベッド。
そこに腰掛けイルカちゃんを胸に抱く。
みーは向かいの床にクッションを置くと、その上で胡座をかいた。
「話って…。どうしたの?」
優しい声色。
だけどみーの心はもうずっと上の空な感じで、届く言葉は何処か空虚だ。
見た目や振る舞いは元に戻りつつあるけれど、ユリがいなくなってからみーはずっとうっすら壊れている。
これ以上みーの心を引っ掻き回したくないな。
それでも今から私はもっとめちゃくちゃな事を告げなくてはならない。
イルカちゃんを抱く腕に力が篭った。
「みー。私、妊娠した。」
「…え?」
みーは切れ長の目を限界まで見開いて私を見てくる。
それを受け、感情を込めないで淡々と事実だけを話す。
「誰の子か分からない。」
「…あー、そう…。」
暫しの沈黙。
終わりの言葉を考えているのかな?
一人になるのは今でも怖いけど、黙って子供をなかった事にしてまでみーと続けるわけにはいかない。
じっと見詰める。
みーは下を向いて何やら考え込んだ後。
「産むの?」
そう声に出した。
そしてゆっくりと顔を上げ私の目を見据える。
久しぶりにちゃんと正面から見つめ合う。
今のみーはさっきまでの覇気のない感じではなく、しっかりと私を知ろうという意志を思わせる目の色をしていた。
そのままお互いに目で語り合う。
「産む気…なんだな?」
「うん。」
「そうか。…病院は?」
「まだ…。明日行くつもり。」
「分かった。」
また二人とも少し黙る。
だけどみーは覚悟を決めた様な顔をして私を見ていて。
決定的な言葉が近いとそれで悟った。
「妊娠の事だけじゃなくて…病気の検査もしてもらいな?煩く言う気はないけど、最近の凛子本当に酷かったから。」
「…うん。」
「父親は本当に誰か分かんないの?」
「…うん。」
「そうか…。」
みーは一度視線を下げ、自分の手を見た。
そして立ち上がるとこちらに来て私の隣に腰を下ろす。
「凛子。」
「…はい。」
ああ、とうとう来た。
私は唇を噛んで次の言葉を待つ。
「結婚しよう。」
瞬間、完全に私の時は止まった。
今、何て言った?
結婚って聞こえたけれど…。
「んーと…。何て?」
「結婚しよう。俺が子供の父親になる。」
「え…?」
別れ話じゃなかった。
まずそこに驚いて思考が停止してしまう。
みーは確実に結婚って言っていた…。
結婚?
結婚…。
みーと?
この子の父親になる…。
みーが?
段々と状況を理解していくに連れ、去来する強い想い。
ぎゅっと胸が痛む。
耐えられず顔を歪めて歯を食いしばった。
じわじわとかすみ始める視界。
「うー…っ…。」
嗚咽が漏れる。
溢れる想いを留めておけない。
そして自分でも初めて分かった。
「みーとは結婚したくない…。」
これが私の本音なんだ。
みーの顔を見ると複雑そうな表情で黙ってこちらを見ていた。
「私みーの事そこまで好きじゃない…。みーとは結婚できない…。」
一度出たら止まらなくなり、本音と一緒にボロボロと涙も零れ落ちる。
「ひっでーな、ホント…。今更捨てるのかよ。」
「捨てるんじゃない。解放するの。」
ブンブンと首を横に降ると、遠心力で涙が何処かへ飛んで行った。
いじけた様に呟くみーに必死に訴え続ける。
「私はこの先大変な人生になっても自業自得だけど、みーが一緒にそれを背負う必要なんてない。みーは幸せになっても良いんだよ?ユリを傷付けたからって私と心中する必要はない。」
「でも今更…。」
本当にその通りだ。
今更だし勝手過ぎる。
だけど、今更だからってこれ以上みーを縛り続けるのもただ間違いを重ねる事になる。
「ごめん。最後まで自分勝手で…。でも別れたい。私、みーの一生を縛る覚悟持てない。」
「嫌だよ。勝手言うな。一人で先に進むなよ。子供産むなんて大変なんだから俺と居れば良いじゃん。」
「だから嫌なの!」
無意識にお腹を撫でていた。
まだ実感もないのに愛おしく思う。
「子供には嘘吐きたくない。子供は幸せにしたい。」
「だったら尚更父親居た方が良いじゃん?」
「みーと居ると私が母親になれないの!」
私の描く父親象。
それはパパだ。
みーは私が今まで出会った人の中で一番パパに似ている。
だけど似てるからこそ少しの違いが違和感として私に二人が違う人間だと見せ付けてくる。
一緒に居た長い時間、みーをみーとして好きだと思う事も沢山あったけれど、それと同時にパパに重ねている事への罪悪感で苦しくもなった。
パパと違ってどれだけ酷い事をしても居なくならないって思えば、どんどん酷い事を試したくなった。
みーは優しくて今でも好きだけれど、私はみーと居る自分が世界一嫌いなんだ。
「凛子絶対後悔するじゃん。」
「うん。絶対気が変わってみーに助けてって言いたくなると思う。」 
「だったら…」
「だからみーはその時『もうお前の入り込む隙間はない』って私を突っぱねて欲しい。」
「凛子…。」
「ユリに会いに行って。」
ユリの名前を出した途端。
みーの不安そうに揺れていた瞳に一瞬だけ熱が灯った。
だけど直ぐに俯いて呟く。
「無理だよ…。」
「無理じゃない!」
「凛子!もういい加減…」
「私がこれから子供を一人で産んで育てる以上に無謀な事なんてないでしょ!」
私は呆れて笑ってしまいそうなのを堪えて鼓舞した。
みーは気付いているのかな?
さっき私にプロポーズした時は一瞬で覚悟が決まった癖に、ユリに対しては会いに行くだけでもそこまで躊躇うなんて。
どれだけユリの事が好きなんだよって思う。
「みー。今まで私と恋人でいてくれてありがとう。酷い事いっぱいしてごめんね。」
「勝手に話進めるなよ。」
「ごめん。」
めちゃくちゃな別れ話なのに、今私は穏やかだ。
笑顔でみーを見ると、みーも弱く笑っている。
口ではまだ否定的だけれど、その表情は何処かスッキリしていて、やっぱり終わらせるべきだったんだと確信出来た。
本当に今更だけれど、私はみーに何かしてあげたいんだ。
それは償いでもあり恩返しでもあって。
私に出来る事が何かないかよく考えてみようと思った。
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