Popotin d'ange first side

光理やみ

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08.もう大丈夫

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 すっかり梅雨も明けて、初夏らしいカラッとした暑い日が続いている。
 月の半ば、僕はようやく仕事の休みを貰えた。雑誌の製作はやりがいのある仕事だと思うけど、発行するまでゆっくりと休めないのが少しだけつらい。
 明日と明後日、スケジュール帳に書いた『休み』という文字を眺めて思わずにやけてしまう。だって、二日もずっと若美さんと一緒にいられるんだから。

「そう言えば西目、転居届は出したのか?」
「あ、矢島さん。はい! おかげさまで無事に引っ越しも終わりましたし~」

 先月の休みの時に、僕は若美さんのもとに引っ越しをした。職場への通勤が実家からよりも楽、というのもあるけど、できるだけ長い時間若美さんと一緒にいたかったのが理由。
 きっかけとなった一言を思い出す。

「なあ紘一、一緒に住まないか」

 いつもクールで落ち着いた声が、少しだけ震えていたように思えたのは僕の勘違いなんだろうか。もしかしたら、そうとう緊張していたんじゃないだろうか。
 一緒に住みたい、って事は若美さんも僕と一緒にいたいと思ってくれているってことだよね?
 そもそも、僕が若美さんの提案を受けない理由がない。

「それじゃあ矢島さん、僕はお先に失礼しますね~」

 鞄を手に取り、足取り軽やかにデスクを後にした。


**********


 僕が休みでも、若美さんは休みじゃないわけで。townプロデュースに載った効果か、Popotin d'angeにはまだらにながらも多くのお客さんが訪れていた。
 僕も少しでもお手伝いがしたくて、厨房の奥でお皿洗いをしている。

「若美さんって独身なんですかー?」

 時々聞こえてくる、女性のお客さんが若美さんに声をかけている様子に胸がチクチクする。
 確かに若美さんはカッコイイし、声だって素敵だから話しかけたい気持ちは分かる。でも、とられたくないという気持ちはなくなってはくれない。こんな気持ちになるんだったら、紹介なんてしなきゃ良かったかな……
 沈みかけていたところに、大好きな声が飛び込んできた。

「紘一。客もひいたからコーヒーでも飲むか?」
「はいっ!」

 我ながら単純なもので、こうして気にかけてもらえるだけで一気にテンションが上がってしまう。
 カウンターに駆け込むと、コーヒーの薫りと穏やかな表情を浮かべた若美さんが待っていた。真っ黒なコーヒーの中に、僕の好みの量のお砂糖とミルクを入れてくれている。

「いただきまーす!」
「しかし雑誌に載るってのはすごいもんだな。今まで若い客なんか来た事なかったのに」
「迷惑でしたか?」
「いや。たまには賑わってくれないと経営にも関わるし、むしろ感謝しているくらいだ」
「なら良かった……」

 若美さんは口数は多くない方だけど、愛想だけの嘘をつくような人ではない、と思う。僕のした事が若美さんのためになっていると思えば、さっきまでの沈んだ気持ちはどこかへ流れていった。
 静かで心地良い時間がゆるりと過ぎていく。そこに、カランコロンと入り口のベルの音が鳴った。
 ほんの一瞬だけど若美さんの顔がひきつる。恐る恐る振り返ると、僕と同じくらいの歳だと思われる男の子ふたりがお店に入ってきたところだった。
 僕はカップを持って、慌ててカウンターの向こう側に立つ。

「お、おた…君。と河辺かわべ君」
「お久しぶりです、若美さん!」
「お久しぶりです」
「ひさし、ぶりだな…」

 人懐っこい笑顔を浮かべる元気な男の子と、半歩後ろで頭を下げる大人しそうなお兄さん。
 いくら僕でも、このふたりが来てから若美さんの様子がおかしいのは分かる。もしかして、このふたりのうちのどちらかが、若美さんのかつての想い人だったんじゃないのか。だとしたら今の若美さんは、パニック状態なんじゃ……
 僕の心配をよそに、太田おおたくんと河辺くんと呼ばれたふたりはカウンター席に座った。

「雑誌、見ましたよ! メチャクチャイケメンに写ってるじゃないっすかー!!」
「この特集を見つけてから、樹里じゅりずっとこの様子で。オフになったら絶対行きますから! ってうるさかったんですよ」
「河辺さんだって若美さんの心配してたじゃん」
「………たぶん俺のは、樹里のとは違う理由」

 そう言って、大人しそうなお兄さん──河辺さんは複雑な表情をして黙りこむ。僕の隣に立つ若美さんも身体を強ばらせている。僕たちは次の言葉を待った。

「若美さん、俺達が付き合うって言ってからすぐにお店閉めちゃったじゃないですか。もしかして若美さん、樹里の事……」
「やめてください!!」
「紘一?」
「あ……ごめんなさい。差し出がましいことだとは分かってるんですけど、そのことには触れないであげてください」
「こっちこそごめん……俺、よく『空気読め!』って言われるから、つい無神経な事言っちゃった」
「えっ? どういうことっすか?」

 今の会話で分かった。若美さんはこの元気な男の子──太田さんを好きだったんだ。当の太田さんは全然気付いていないらしく、戸惑いの表情を隠していない。
 微妙な空気の中、店内にはオシャレなジャズ音楽だけが流れ続けている。
 なんとか話題をそらさなきゃ、と頭をフル回転させていると、再びカランコロンとベルが鳴った。入り口に立っていたのは、よく見知った友達の姿。

「基くん!」
「こういっちゃんがお仕事休みって聞いたから来ちゃったんだけど、お取り込み中だった?」
「ぜっ、全然大丈夫だよ? こっちに座って!」

 ごまかすように基くんをカウンター席に案内する。

「紘一。知り合い?」
「僕の友達で、平鹿基くんっていいます」
「ああ。よくお前を騙すっていう」
「こういっちゃん、そんな事まで話してるの? 改めまして、平鹿です。いつもこういっちゃんがお世話になってます」
「ご丁寧にどうも。店主の若美です」

 若美さんと基くんが挨拶を交わすと、場の空気が少しだけ緩んだような気がした。
 そうか、自己紹介。自己紹介をすればあのふたりとも打ち解けられるかもしれない。

「あの、先程は失礼しました! 僕、西目紘一っていいます。縁があって若美さんのところでお世話になってます。この記事の写真撮ったの、実は僕なんですよ~?」
「あ、そうだったんだ。すげーじゃん! 俺は太田樹里。若美さんの前の店の常連、かな? 俳優やってるんだけど、知ってるかな」
「あ! もしかして深夜ドラマの、主人公のライバルって」
「そう、アレ俺なんだよー!」
「わわっ、本物だー! すごーい!!」

 たまたま見ていたドラマの登場人物が目の前にいるという事実に、思わずテンションが上がって太田さんとぎゅっと握手した。その隣で、河辺さんが申し訳なさそうに手をあげる。

「俺は河辺ゆう。一応樹里より先輩なんだけど、俳優としての実績はまだまだなんだよね……」
「何回も言ってるじゃないですか! 河辺さんは大器晩成型だって」
「そうかなあ。俺も早く売れたいなあ。仕事は選んでるつもりないんだけどなあ」
「確かに河辺さんの引き出しってすごいですからね……たまにやってくれる声マネとか形態模写、クオリティヤバいっすし」
「形態模写?」
「やろうか? 例えばイグアナとか……」
「ダメですダメですー!」

 形態模写という単語に反応した基くんに向かって河辺さんが立ち上がるものの、太田さんに全力で止められていた。
 イグアナ……ってあの大物司会者さんがやってるアレかなあ? 河辺さんは大人しそうな顔をしていて、実はすごいふしぎな人かもしれない。
 僕たちが騒いでいる様子を眺めていた若美さんが、突然プッと噴き出した。

「ふ、ははは……お前達面白いな!」

 面白いことをしているつもりはなかったんだけど、何故かツボに入ってしまったらしく若美さんは爆笑している。こんな笑い方をしている姿、初めて見たかもしれない。
 もうつらくないのかな、昔好きだった人を目の前にしても。

「こんなに若い子がたくさんいて、楽しいと思うのは初めてだ」

 笑い涙を拭いながら若美さんが呟く。若美さんが楽しいと思うなら、僕がとやかく言う必要もないよね。
 しばらくの間、五人で楽しくて賑やかな時間を過ごしたのだった。
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