Popotin d'ange first side

光理やみ

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07.凪いだ心

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 インタビュー開始から十分も経たないうちに、ピリリッという電子音が鳴り響いた。失礼、と一声かけて矢島さんが電話に出る。矢島さんは店の片隅に移動して、ぼそぼそと話をしている。しばらくして、矢島さんは席に戻ってきて申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「すみません若美さん。ちょっと別件で呼び出されてしまいまして、取材の続きはまた後日という事でも良いですか?」
「先輩、僕が残って取材しましょうか?」
「けど、お前はまだ新人だし」
「ここのお店を推したのは僕ですよ? 大丈夫、任せてください!」
「……分かった、お前に任せる。しっかりやるんだぞ」
「はい!」
「という事で、僕は失礼しますが、こちらの西目が取材を続けますので、至らない点があるとは思いますがよろしくお願いします」
「分かりました」


 俺の返事を確認した矢島さんは、時間を気にしながら急ぎ足で店を出ていった。店内には、俺と紘一が残される。
 カチャリとコーヒーカップを置く音に振り向くと、前に会った時と変わらない笑顔を紘一が浮かべていた。


「久しぶりですね、若美さん」
「どうして、お前がここに」
「僕、大学を卒業した後に出版社に就職したんです。専攻していた事と全く別分野だったんで、結構苦労したんですよ~? そして念願の、townプロデュースに配属してもらったんです」
「なんでそんな事」
「えへへ、今日は僕が質問する日ですよ? お仕事ですから!」


 拳をグッと握る姿からは、初対面での頼りなさが消えている。
 話は追々聞くとして、とりあえずはインタビューの続きをされる事にした。紘一はマイクレコーダーを操作し机の上に置いて、質問を始める。


「若美さんはどうしてこちらでお店をやろうと?」
「前に東京で喫茶店をやっていたんだけど、どうも賑やかすぎて。静かなこの土地で、心が休まる空間を提供したかった」
「どんな時に『喫茶店をやってて良かった』と思います?」
「客がリラックスしてコーヒーを飲んでいる時かな」
「なるほど……これは僕の個人的な質問なんですけど」


 そう言って、紘一はマイクレコーダーの電源を切る。そして見た事のないような切ない表情を浮かべてこう問った。


「前に好きだった人のこと……まだ忘れられないですか?」
「……それは」
「答えたくないならいいんです! ただ、若美さんがつらい思いをしてたら嫌だなって」
「忘れてはいないけど、つらいとは思わなくなった」
「えっ」
「去年の春にお前がここに来て、馬鹿な様子を見せて、新しい思い出が出来た。それを思い出す度に、失恋すらも良い経験だと思えるようになった。ありがとな、紘一」
「どういたしまして。 若美さんが楽になったなら、僕、バカでよかったなあ~」
「その代わり」


 席を立ち、紘一の側に立つ。そしてこいつの頭を引き寄せてぎゅっと抱き締めた。戸惑う声があがるが、それは一旦無視をする。
 久しぶりに触れた、という事実だけが俺を満たしていた。


「お前に会いたくて、触れたくて仕方がなかった」
「若美さん」
「お前が拒まないって知っていてこんな事をしている。俺はズルい大人だ。嫌なら嫌だとハッキリ言ってくれ。そうでなきゃ、またお前に何かをしてしまう」
「嫌なんかじゃないです。我慢してるとかそういうことじゃなくて、若美さんに求められるのがすごく嬉しい。だって僕、あの時からずっと若美さんのことが好きだから」
「それは」
「一時の感情なんかじゃないです! 若美さんと出会って、僕の世界は変わったから。やりたいことも見つけられたから。だから、この気持ちを忘れたくなんかないんです!!」


 その言葉と同時に腰に手が回る。体温とは別の、じわりとした熱が伝わってきた。
 ああ、俺はとっくにこいつに落ちていたんだ。ただ、それを認める勇気がなかっただけ。あと一歩、あと一歩だけ足を踏み出すんだ。


「言っとくけど俺、相当面倒臭いぞ。未練がましいし、ネガティブだし、嫉妬深いし」
「あはは、本当そうですよね~」
「言うようになったな。お前はそんな俺でも受け入れる覚悟はあるのか?」
「覚悟がなかったら、もう一度ここに来てませんよ~」
「……耳を貸せ。一回しか言わないから、よく聞いておけよ」
「? はい」


 よくわからない、といった表情をして紘一は俺から身体を離す。
 そんな耳許に、こいつにだけ聞こえる声で囁いた。その一言を聞いて、紘一の肌はみるみると赤くなっていく。馬鹿野郎、そんなあからさまに照れられたら俺まで恥ずかしいじゃないか。


「若美さん! もう一回、もう一回言ってください!!」
「一回しか言わないって言ったろ」
「でも、でもっ、もう一回だけでも聞きたいです~!」
「今日は、もう無理だから」
「今日はってことは、え、えっ?」
「……これ以上言わせるな、馬鹿」


 ここに来たらいつでも言ってやる、という口説き文句は今は言えなかった。熱くなる顔を隠すように、紘一から背を向ける。


「あのさ、まだ時間あるか? ちょっと海まで散歩でもしないか」
「~~~! はいっ!!」


 背後から弾むような声の返事があがった。店の扉を開けば、ほんのりと潮の匂いがする。戸締まりをして、ふたり並んで浜辺までの歩道を歩く。
 ずっとさざ波が起きていた心が凪いでいく様に思えた。
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