紫陽花と。

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第一章 白華の氷雨

翠国での日々

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翠国にきて五年近く経った。

翠国での毎日は、王女の扱いとは思えないほど悲惨なものだった。毎日宮殿の女中たちとともに雑事をさせられた。王女とはいえ捕虜同然である私への扱いにくさからか、何かにつけて年上女中から体罰を受けた。他の女中たちは見て見ぬふりをしていたが、一緒になっていじめられることはなかった。


何より許せなかったのは、翠国王の一人馬鹿息子である二つ歳上の王子・緑士(ろくし)が、私を妙な目で見るようになったこと。



「氷雨、それが終わったらお茶でもしよう」



宮中の洗濯物を数人の女中で干していると、緑士から声をかけられた。

「ーーーーーはい」

私の返答に満足したのか、緑士は王子付きの護衛と女中をぞろぞろと引き連れて中庭の方へ去っていった。


ドンッ


背中に衝撃が走ると共に、今自分が目の前に干した大きい布ごと地面に倒れ込んだ。
誰かに押されたーー。後ろを見なくても相手はわかる。年上女中のユリだ。

立ち上がり、地面に落ち汚れてしまった布を拾おうと手を下ろす。
その瞬間土足で手を踏みつけられ、思わず表情が歪むーーー。

「あんたのせいで洗ったばかりの布が汚れたじゃない!!!さっさと洗い直してきな!!!」

ユリはそう捨て台詞を吐いて他の女中たちを引き連れて去っていった。
手の甲についた泥を落としていると、かすった傷から微かに血がでていた。

一人の女中が駆け寄ってきて、布を拾ってくれた。
「気をつけて。最近まではユリさんが王子に目をかけられていたのよ。だから今はおもしろくないんだわ」

それだけ伝えると、その女中はユリたちのあとを追いかけていった。


あんな馬鹿息子に気に入られて迷惑極まりないーー。

翠国へきた当初は、ここまで嫌がらせを受けることもなかった。捕虜とはいえ白華の王女。一介の女中が手を出していい相手ではなかった。しかし、翠国王が私を宮殿で女中の下につかせ、王女として待遇することを放棄したことにより、瞬く間に白華に捨てられた王女として噂が広がり、白華をおそれて私を避けていた者たちが強気に出るようになったのだ。

ため息をついて、拾ってもらった布を握りしめ水場へ向かう。


「王女様」


呼び止められ顔を上げると、そこには柊彗がいた。
五年前、一緒に翠国へと追従した私の護衛ーー。


「柊彗、いたのね!」
私はそう言ってさっきユリに踏まれた手を持っていた布で隠し、笑顔を作った。

柊彗は私をじっと見ると、表情を変えず、
「水場までお供します」と言った。




水場は宮殿の横を流れる沢で、一旦宮殿を出なければならない。朝は洗濯の水や調理の水を汲む女中で溢れているが、もうすぐ正午である今はもうお昼の準備も終わっており、沢へ水を汲みにくる女中の姿はなかった。

洗濯用の水を二桶分汲み上げようとすると、柊彗が代わりに汲み上げてくれた。

「ありがとうーー」

柊彗は私と一緒に翠国へきて、その身体能力の高さから宮殿の兵士となった。私より四つ上でまだ十九歳と若いが、私が知る限り誰よりも強い剣の使い手だ。それなのに宮殿の下級兵士として出世もせず肉体労働を強いられているのは、きっと翠国からの嫌がらせだろう。

柊彗は突然私の手を掴み、今組んだ桶へと沈めた。

「痛っ」
先ほどの擦り傷がしみて痛みが走る。
バレていたーー。

「怪我をしたなら洗わねばなりません」
そう言って、傷についた砂を水の中で優しく落とすように手に触れた。

こうしていつも、柊彗だけがそばにいてくれる。
白華で可愛がってくれていた女官たちも、兵も、誰も翠国にお供しようとはしなかった。苦労することは目に見えていたし、殺される可能性もあったし当然のことだ。

「私と来なければ、柊彗も苦労しなかっただろうにーー」
手の甲の砂は落ち、少し赤くなった擦り傷だけが水の中で浮かび上がった。
私の手に触れる柊彗の手は、剣の鍛錬や宮中外の力仕事で傷つき、マメだらけで、ゴツゴツしていた。



「そんな心配は不要です。俺は俺のやりたいように、生きてるだけですから」


そう言って柊彗は、微笑んだ。

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