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第一章 白華の氷雨
蛙の子は蛙
しおりを挟む「遅かったじゃないか」
洗濯を終え、中庭の緑士の元へ向かった。お茶に誘われるのは初めてではない。
今まで忙しさを理由に幾度となく約束を交わしてきたが、先日そのせいで一日中付け回された。挙句、私を一日中付け回したせいで緑士が講義を疎かにしたとして私が体罰を受ける羽目になったのだーーー。
適当にお茶を飲んで退散しようーーー。
「申し訳ありません」
一礼し、促される席へと着席した。
「王女として翠に来たはずなのに、そんな見すぼらしい格好をさせて心苦しいなぁ」
緑士はへらへらと笑いながらそう言った。
思ってもいないことをーー。
緑士は上から下までまるで値踏みするかのように私を見て、またへらへらと笑った。
「この大陸では男女共に十五から結婚できる決まりだと知っているか?つまり俺とお前は、お前が十五を迎えさえすれば正式に結婚できる年齢になるということだ」
ーー私を妾にでもしようとしているのか。
「俺の側女となればそんな捕虜のような扱いを受けることはない。お前も堂々と綺麗な衣をきたいだろう?」
そう言って衣の襟をグイッと掴まれ、寸分の距離まで顔を近づけられた。
「やめてくださーー」
全身に鳥肌が立ち思わず顔を背け立ち上がり、襟を掴んだ手を払おうとすると、逆にその手を強く掴まれた。
「抵抗するとはいつまで王女気分でいるつもりだ?お前の命は俺の手の中にあるんだぞ?」
緑士は私を馬鹿にしたようにヘラヘラと笑いながら、そう捨て吐くように言った。
悔しさと恥ずかしさーーこんな状況すら打破できないもどかしさに、思わず掴まれてない右手を大きく振りかぶった。
バンッ
目の前いっぱいに浅緑の衣が現れ、私の振りかぶった手はその背に吸い込まれた。
宮殿の下級兵士の衣…
ーーーーー柊彗だ。
「ーーーなんだお前!!」
緑士が声を荒げる。かばうように間に割り込んだ柊彗の影になり、その表情は見えない。
「ーー王女に無礼な真似はお控えください」
低く凄むような声ーーー
声こそ荒げていないが、怒りがこめられているのが伝わってきた。
「ーーーっお前…、氷雨と共に来た白華の兵士だな。殺さずに使ってやっている恩を忘れたか!!」
「王女、翠国王が宮殿でお待ちです」
柊彗は顔の半分が見える程度に私の方を振り返りそう言った。
「ーーくっ…」
王子とはいえ父親である王の呼び出しとなれば引き留めることはできないのか、緑士は何も言わなかった。
しかしこのまま柊翠を置いていっていいのかーーー。緑士から報復を受けるのではという不安が頭をよぎり、動けずにいると、柊彗に「はやくお行きください」と促された。
「ーー失礼致します」
ごめんね、柊彗ーー。
そう心の中で謝り、その場を去った。
ーーー宮殿につくとすぐに奥の広間に案内された。
この部屋に来るのは二度目だ。
翠国へ初めてきて、この部屋で翠王に「王女扱いはしない、女中の下について働け」と言われた時以来だ。あの時は屈辱だったが、殺されないだけマシと思い耐えた。
先ほど、無礼にも襟元を掴まれ、息がかかるほどに顔を近づけられた屈辱がまだ消えないーー。
「王様、お呼びの者が参りました」
部屋まで案内した女中が部屋の中へ声をかけると、
「通せ」と、一言返事が来た。
「失礼致します」
中へ入ると一番奥の上座でふんぞりかえった翠王がいた。隣には二人の女を侍らせ、片方と肩を組み、もう片方にはお酌をさせている。
「来たかーー」
こちらを一瞥したものの、酒を飲む手は止めない。
女遊びが激しく国政を疎かにし、稀代の暗君だと言われている翠王。
「翠国王にご挨拶致します」
翠王の前まで進み、一礼した。
今まで私を呼び出すことなどなかった。それなのにどんな魂胆があって私を呼んだのかーーー。
「ーー緑士王子はそなたにご執心だという噂を聞いてな。それで今日そなたを呼んだのだ」
口元には笑みを浮かべているが、目は笑っていない。蔑むように私を見下ろしている。
「ーーー…」
「あれからもうすぐ五年になるかーー。白華から烈に嫁がせて同盟でも結ばれたらたまったもんじゃないと思って、王子ではなく王女の方を人質として受け取った。あの時は後継を人質として受け取り白華を揺るがすつもりであったが、白華の王子はまだ幼く、後継として成長するまでに時間は十分あったからな」
今からでもどうとでもなるーーー翠王はそう呟いて、注がれた酒を一気に飲み干し、続けた。
「こちらからも取るに足りない遠縁の王族を人質として白華に捧げ、今後十年は争いをしないという協定を結んだ。白華には烈程の大国に嫁がせられる娘は王女一人だったからな!我ながら良い取引をしたと喜んだよ。それがこんな始末になるとはーーー…」
ガシャーーーーーン
私目掛けて投げつけられた猪口は目の前の床にうちつけられ、粉々に割れた。
「あいつはあろうことかお前を側女にしたいと言い出したーーー。緑士を誑かせば翠国が手に入ると思ったか?それが白華王の入れ知恵か!?とんだ女だ!!」
怒声を頭から浴びせられ、身が固まった。
翠王は立ち上がり、傍に控える護衛兵の刀を引き抜くと私の目の前に来て首元へ刃先を向けられた。
殺されるーーー。
「白華の手の者が、息子の側女になれると思うなよ。国を滅ぼしかねないーーー。近づくことすら許さない」
血走った翠王の目から、視線を逸せない。
酒の匂いが漂ったと同時に剣の刃先が首に触れ、冷たい何かが首元を伝うのを感じた。
「お前を殺せないのではない。今は、殺さないだけだ。国力を白華と滄が回復させつつあるーー戦を今仕掛けるのは得策ではない」
ガシャンッ
翠王は剣を放り、また席へと戻った。
「ーーーッ」
息が上がる。
息をするのを忘れていたのか、あるいは息の仕方を忘れていたのか、翠王が遠のいたことでやっと”息”ができたと感じた。
また女を侍らせ、席にふんぞり帰った王は、
「緑士に近づいたら、まずはそなたと来た兵士から殺す」ーーーそう言って、私を追い払う仕草をした。
「二度と近づくことはありません。
ーーー失礼致します」
声を振り絞って言葉を吐き出し、一礼し踵を返した時、先ほど放られた剣が目に入った。刃先には赤い血が、付着していたーーーーー。
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