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正声
五拍・洛神図(下)
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供は時憲のみ。
嵯峨に赴いて、破れ草庵で、琵琶を弾いた。
庵はもとは隣の山荘と一つだった。それを、姉弟が分割して相続し、弟は出家して庵をつくり、姉は人妻となって、その娘に継がせた。弟には子がなかったので、その死後は姉の息子、つまり、風香殿が相続したのであった。
今、庵の持ち主は風香殿であるが、手入れもせず、荒れ放題である。
だが、三位殿にはとても居心地のよい場所だ。これを改築して、琴の練習場にでも使おうかと考えていた。
現実逃避の地で迎えた、十六夜。
あの女神が姿を現した瞬間は、まさしく現実逃避の極みだった。
あれが、生身の人間だったとは。未だに信じがたい。
いっそ、あの人が生身の女でなかったらよかったのにと思う。あの人も現に存在する女なのだと思うと、やるせない。
今も嵯峨での出来事を思い出しながら、手にしていた洛神図を開いた。呉楚派の宝物である洛神図を──。
かの姫君が、この洛神だったらよかったのにと思う。しげしげと洛神図を見つめた。
この洛神図は、行実以来の呉楚派の宝である。
行実は帰国後、琴廟を建立したそうだが、その中央にこの洛神図は掲げられていたという。洛神図の左右に、羲和と鳳勢の二琴が安置され、行実は毎日、これ等に拝礼していたらしい。
その後の明法博士の代でも洛神図は廟に掛けられたが、政任の代になって、洛神図に琴士の魂が吸い取られ、流儀の衰退を招いて宜しくないとされ、飾られなくなった。
それからは、大事に箱に仕舞われ、秘蔵されるようになったのだ。
三位殿も政任や広仲に倣って、いつも塗籠の奥に置いていたが、時々、今日のように持ち出しては、眺めている。
それにしてもと思う。
随分活き活きとした洛神だ。生身のように。ぱっと周囲を明るくするような。大輪の花のように艶やかな美女。本当に美しいが、神というよりは人に見える。
それに比べて、あの姫君は、ひどく……。周囲の空気に透けて、いや、空気そのもののようで。あれが現し人だとは、到底思えない。
人である筈の姫君の方が神女に見えて、洛神の方が生身の女に見えるとは、これ如何に。
三位殿は改めて、洛神に劣らぬ清花の姫君の美に感心した。
琴一張取り出して、あの晩を思って、『烏夜啼』を弾く。
これは、姫君があの日弾いていたばかりではなく、三位殿自身がこれで政任に入門を許された、特別な曲である。
弾きながら、時々、洛神に目をやった。
そういえば、古くは、灌頂の儀式の折にも、これを拝礼したという。これは琵琶道に於いて、妙音天(弁財天)を拝礼するのと同じである。
ただ、琵琶に於いて、妙音天を拝礼することは理解できるが、何故琴は、古くはこの洛神を拝したのであろうか。
そもそも琴は、伏羲、神農、若しくは帝尭、帝舜が創始であると言われている。仮に、神か何かに拝礼する必要があるならば、これ等の帝聖にするべきである。儒家の間では、孔子廟を拝するべきか。様々思い巡らせても、洛神だけは腑に落ちない。政任の説の方が納得がゆく。
三位殿は十三で琴灌頂を、二十歳で琵琶灌頂を授けられた。だから、それぞれの楽器の灌頂の次第を体験しており、それらを比較してみると、相似点と相違点とがある。
白河の琵琶聖人は、弟子に灌頂を授けるにあたり、陰陽師を呼んで、吉日を選んだ。
政任は五節句等の特別な日の中から、陰陽師に選ばせた日を、灌頂の儀に定めていた。三位殿は八月十五日の中秋節に授けられたのであった。
儀式の三日前から、精進潔斎し、当日も行水して身を清めるのは、琵琶でも琴でも同じことだった。
白河の琵琶聖の邸宅は、とてつもなく広大であった。西の釣殿の下に池があった。その池の奥に堂が建てられていて、通常は池に妨げられて、そちらまで行くことができない。余人の近寄れないその堂にて、灌頂の儀式は行われた。
政任の場合は堂は作らず、寝殿の奥で行われた。行実は琴堂の中で灌頂したらしいが、政任家の寝殿の奥には祭壇があって、そこに琴を納めて琴廟とし、この一間を儀式に利用したのだった。
白河の琵琶の堂には、高麗半帖が設けられ、唐錦を敷いて師の席とする。その向かい側に弟子の席を設けて、琵琶を置く。
そこに、正装した師と弟子が入り、人払いした後で秘密裏に伝授の儀が行われるのである。
先ず、妙音天に拝礼し、次に賀茂大明神を心に描いて拝礼する。そして、師と弟子、ともに琵琶を抱き、三返弾きながら口伝で伝授。その後、師は譜に三度拝礼してから弟子にそれを渡す。弟子は跪いて受ける。
琴の場合は、儀式に普通二日かける。
祭壇には、常に二張の琴──羲和と鳳勢が安置されている。昔はそこに洛神図が掛けられ、これを拝礼して儀式に及んだらしいが、政任は洛神図を取り去り、そこの空の中に、大日如来を起想して、それに拝礼した。
二つの琴卓に二つの椅子。琴卓の上に、それぞれ一張ずつ二張の琴を載せ、譜を見ながら、伝授が行われる。その間、両日とも絶食不休にて、儀式は進められた。終了すると、師より譜が手渡されるが、譜に三拝するのは、琵琶と同じである。
琵琶も琴も、伝授が終わると人を呼ぶ。
やがて、師への礼物を持った従者が師へ金玉財宝を献じて、秘曲灌頂の儀は終了するのである。
自分の灌頂の時のことを思い出し、三位殿はこの洛神図を少々気の毒に思った。昔ならば、これは琵琶の妙音天にあたる。
だが、何故洛神図なのだろうか。そして、政任の代から用いなくなったが。
南唐琴門の灌頂の儀はどうやっているのだろうか。南唐派の次第を知れば、呉楚派の謎も解けるか。
南唐派の次第を知りたいものだと、三位殿は思った。
件の姫君は、七絃七賢でもあり、五琴仙でもある。南唐派の秘曲灌頂は受けている。
姫君に会って、その次第を聞いてみたい。三位殿は、初めて姫君を訪ねたいと思った。
その翌日、殿上の間で姫君の兄君・宰相中将に会った。中将殿の顔を見ると、理由もなく後ろめたいような気持ちになってしまった。何故か。
姫君の許を訪れることなど、とてもできないと感じた。
もう一度嵯峨に行ったら、ふっと姫君が出て来るようなことはないだろうか。
いや、そのようなことより、別の五琴仙に尋ねた方が早いだろう。
賀茂別雷神社の少副兼保は、南唐琴門下に入って、何参より灌頂を授けられている。さらに、弟子の円慶法橋に灌頂を授けた。
三位殿は兼保とは親しくはないが、顔見知りではあるし、訪ねて行っても門前払いされることはないだろう。
正月中の頃の時期ではあったが、三位殿は文をしたため、判官時憲に持たせて賀茂へ遣った。
それに対して兼保は、
「以前より呉楚派の灌頂は勿論、曲の弾き方、譜の扱いなど、様々に興味がありました。六条の亜相の姫君から、色々話は聞いてはおりましたなれど、今の当主である三位殿のお話は、是非伺いたいもの。一度七賢の方と、流儀の違いによって生じる相違点について、議論してみたかったのです。わざわざお出向き頂くまでもありません。私の方からお訪ね致しましょう」
と、三位殿の申し出を快諾した。
数日後、呉楚派の三位殿と南唐派の兼保は対面し、それぞれの流儀の灌頂の次第について語り合った。
それで、南唐派には特別な形式のないことが判明した。
「双岡の師の庵には蔭元朝臣もおり、他にも師と共に渡来してきた唐人や、大宰府にいた頃から師を慕ってついて来た筑紫の人もおりました。師はそれらの人々を庵の中に残して、夜、私だけを連れ出し、裏山の岩蔭に設けた東屋で、灌頂を授けて下さいました。明け方になって一度中断し、昼はまた人々に混じって清談しました。一日あけて次の夜、再び灌頂は行われました。礼物を差し上げましたが、金、銀、玉、錦よりは、丹、香を好まれ、何より猩猩の如き御方なれば、美酒を山ほど差し上げたという記憶がございます」
「それはそれは」
随分と自由な秘曲伝授である。三位殿の思う灌頂の儀とはおよそ違う。
何参は集会が好きだったという。
月例会があり、一門は定期的に集まっていた。さらに、一門の中に祝い事があると、臨時の会を開き、その他、宴会がしょっちゅうあった。
南唐派は末端に至るまで皆顔見知りで親しく、結束力があったという。
呉楚派は門弟同士が集まって話をするようなことがなかった。故に一門の繋がりがない。三位殿は広仲以外の七賢を知らない。
「して、法橋にお授けになった時は?」
三位殿はさらに尋ねた。
兼保、答えて言う。
「私が円慶法橋に灌頂した頃は、既に師・何大人は亡くなっていました。師は亡くなる時、遺品を我等三人の直弟子に下さいました。つまり、威神の琴は亜相の姫君に、師襄は私に、月琴は蔭元朝臣に。ただ、南風琴だけは誰にも与えず、集った時に皆で奏でよと言い遺しました。そこで師の死後、庵の内に琴廟を設け、そこに師の霊位とともに南風を納めました。私から法橋への灌頂は、我が館内ではなく、亡き師・何大人の琴庵にて行いました」
「なるほど」
「秘曲『広陵散』伝授の儀は、先ず琴廟に拝礼し、賀茂大明神に拝礼してから始めました。円慶法橋以後、我が琴門にて灌頂を授けられた人はおりません。今のところ法橋のものが最後の灌頂にて。今後もし、灌頂が行われるのであれば、法橋の時のものを踏襲することに決まっております。我等何大人の直弟子三人で話し合って、そのように決定致しました。今後、我が南唐流の秘曲灌頂の儀は、未来永劫双岡の琴庵で行うことでしょう。そして、流祖・何大人を拝礼することでしょう」
「流祖に拝礼するというのは、誠に納得のゆく御説ですね」
「呉楚流は洛神図とか伺いましたが」
「ええ、以前は。しかも、五石散や丹薬を服しながら。先代の政任朝臣の時より、平生より洛神図は祀らなくなりました。灌頂の儀でも、拝礼するのは大日如来と賀茂大明神です」
南唐派の灌頂の次第は自由。
それを聞いても、こちらの洛神図の謎は、なお解けない。
嵯峨に赴いて、破れ草庵で、琵琶を弾いた。
庵はもとは隣の山荘と一つだった。それを、姉弟が分割して相続し、弟は出家して庵をつくり、姉は人妻となって、その娘に継がせた。弟には子がなかったので、その死後は姉の息子、つまり、風香殿が相続したのであった。
今、庵の持ち主は風香殿であるが、手入れもせず、荒れ放題である。
だが、三位殿にはとても居心地のよい場所だ。これを改築して、琴の練習場にでも使おうかと考えていた。
現実逃避の地で迎えた、十六夜。
あの女神が姿を現した瞬間は、まさしく現実逃避の極みだった。
あれが、生身の人間だったとは。未だに信じがたい。
いっそ、あの人が生身の女でなかったらよかったのにと思う。あの人も現に存在する女なのだと思うと、やるせない。
今も嵯峨での出来事を思い出しながら、手にしていた洛神図を開いた。呉楚派の宝物である洛神図を──。
かの姫君が、この洛神だったらよかったのにと思う。しげしげと洛神図を見つめた。
この洛神図は、行実以来の呉楚派の宝である。
行実は帰国後、琴廟を建立したそうだが、その中央にこの洛神図は掲げられていたという。洛神図の左右に、羲和と鳳勢の二琴が安置され、行実は毎日、これ等に拝礼していたらしい。
その後の明法博士の代でも洛神図は廟に掛けられたが、政任の代になって、洛神図に琴士の魂が吸い取られ、流儀の衰退を招いて宜しくないとされ、飾られなくなった。
それからは、大事に箱に仕舞われ、秘蔵されるようになったのだ。
三位殿も政任や広仲に倣って、いつも塗籠の奥に置いていたが、時々、今日のように持ち出しては、眺めている。
それにしてもと思う。
随分活き活きとした洛神だ。生身のように。ぱっと周囲を明るくするような。大輪の花のように艶やかな美女。本当に美しいが、神というよりは人に見える。
それに比べて、あの姫君は、ひどく……。周囲の空気に透けて、いや、空気そのもののようで。あれが現し人だとは、到底思えない。
人である筈の姫君の方が神女に見えて、洛神の方が生身の女に見えるとは、これ如何に。
三位殿は改めて、洛神に劣らぬ清花の姫君の美に感心した。
琴一張取り出して、あの晩を思って、『烏夜啼』を弾く。
これは、姫君があの日弾いていたばかりではなく、三位殿自身がこれで政任に入門を許された、特別な曲である。
弾きながら、時々、洛神に目をやった。
そういえば、古くは、灌頂の儀式の折にも、これを拝礼したという。これは琵琶道に於いて、妙音天(弁財天)を拝礼するのと同じである。
ただ、琵琶に於いて、妙音天を拝礼することは理解できるが、何故琴は、古くはこの洛神を拝したのであろうか。
そもそも琴は、伏羲、神農、若しくは帝尭、帝舜が創始であると言われている。仮に、神か何かに拝礼する必要があるならば、これ等の帝聖にするべきである。儒家の間では、孔子廟を拝するべきか。様々思い巡らせても、洛神だけは腑に落ちない。政任の説の方が納得がゆく。
三位殿は十三で琴灌頂を、二十歳で琵琶灌頂を授けられた。だから、それぞれの楽器の灌頂の次第を体験しており、それらを比較してみると、相似点と相違点とがある。
白河の琵琶聖人は、弟子に灌頂を授けるにあたり、陰陽師を呼んで、吉日を選んだ。
政任は五節句等の特別な日の中から、陰陽師に選ばせた日を、灌頂の儀に定めていた。三位殿は八月十五日の中秋節に授けられたのであった。
儀式の三日前から、精進潔斎し、当日も行水して身を清めるのは、琵琶でも琴でも同じことだった。
白河の琵琶聖の邸宅は、とてつもなく広大であった。西の釣殿の下に池があった。その池の奥に堂が建てられていて、通常は池に妨げられて、そちらまで行くことができない。余人の近寄れないその堂にて、灌頂の儀式は行われた。
政任の場合は堂は作らず、寝殿の奥で行われた。行実は琴堂の中で灌頂したらしいが、政任家の寝殿の奥には祭壇があって、そこに琴を納めて琴廟とし、この一間を儀式に利用したのだった。
白河の琵琶の堂には、高麗半帖が設けられ、唐錦を敷いて師の席とする。その向かい側に弟子の席を設けて、琵琶を置く。
そこに、正装した師と弟子が入り、人払いした後で秘密裏に伝授の儀が行われるのである。
先ず、妙音天に拝礼し、次に賀茂大明神を心に描いて拝礼する。そして、師と弟子、ともに琵琶を抱き、三返弾きながら口伝で伝授。その後、師は譜に三度拝礼してから弟子にそれを渡す。弟子は跪いて受ける。
琴の場合は、儀式に普通二日かける。
祭壇には、常に二張の琴──羲和と鳳勢が安置されている。昔はそこに洛神図が掛けられ、これを拝礼して儀式に及んだらしいが、政任は洛神図を取り去り、そこの空の中に、大日如来を起想して、それに拝礼した。
二つの琴卓に二つの椅子。琴卓の上に、それぞれ一張ずつ二張の琴を載せ、譜を見ながら、伝授が行われる。その間、両日とも絶食不休にて、儀式は進められた。終了すると、師より譜が手渡されるが、譜に三拝するのは、琵琶と同じである。
琵琶も琴も、伝授が終わると人を呼ぶ。
やがて、師への礼物を持った従者が師へ金玉財宝を献じて、秘曲灌頂の儀は終了するのである。
自分の灌頂の時のことを思い出し、三位殿はこの洛神図を少々気の毒に思った。昔ならば、これは琵琶の妙音天にあたる。
だが、何故洛神図なのだろうか。そして、政任の代から用いなくなったが。
南唐琴門の灌頂の儀はどうやっているのだろうか。南唐派の次第を知れば、呉楚派の謎も解けるか。
南唐派の次第を知りたいものだと、三位殿は思った。
件の姫君は、七絃七賢でもあり、五琴仙でもある。南唐派の秘曲灌頂は受けている。
姫君に会って、その次第を聞いてみたい。三位殿は、初めて姫君を訪ねたいと思った。
その翌日、殿上の間で姫君の兄君・宰相中将に会った。中将殿の顔を見ると、理由もなく後ろめたいような気持ちになってしまった。何故か。
姫君の許を訪れることなど、とてもできないと感じた。
もう一度嵯峨に行ったら、ふっと姫君が出て来るようなことはないだろうか。
いや、そのようなことより、別の五琴仙に尋ねた方が早いだろう。
賀茂別雷神社の少副兼保は、南唐琴門下に入って、何参より灌頂を授けられている。さらに、弟子の円慶法橋に灌頂を授けた。
三位殿は兼保とは親しくはないが、顔見知りではあるし、訪ねて行っても門前払いされることはないだろう。
正月中の頃の時期ではあったが、三位殿は文をしたため、判官時憲に持たせて賀茂へ遣った。
それに対して兼保は、
「以前より呉楚派の灌頂は勿論、曲の弾き方、譜の扱いなど、様々に興味がありました。六条の亜相の姫君から、色々話は聞いてはおりましたなれど、今の当主である三位殿のお話は、是非伺いたいもの。一度七賢の方と、流儀の違いによって生じる相違点について、議論してみたかったのです。わざわざお出向き頂くまでもありません。私の方からお訪ね致しましょう」
と、三位殿の申し出を快諾した。
数日後、呉楚派の三位殿と南唐派の兼保は対面し、それぞれの流儀の灌頂の次第について語り合った。
それで、南唐派には特別な形式のないことが判明した。
「双岡の師の庵には蔭元朝臣もおり、他にも師と共に渡来してきた唐人や、大宰府にいた頃から師を慕ってついて来た筑紫の人もおりました。師はそれらの人々を庵の中に残して、夜、私だけを連れ出し、裏山の岩蔭に設けた東屋で、灌頂を授けて下さいました。明け方になって一度中断し、昼はまた人々に混じって清談しました。一日あけて次の夜、再び灌頂は行われました。礼物を差し上げましたが、金、銀、玉、錦よりは、丹、香を好まれ、何より猩猩の如き御方なれば、美酒を山ほど差し上げたという記憶がございます」
「それはそれは」
随分と自由な秘曲伝授である。三位殿の思う灌頂の儀とはおよそ違う。
何参は集会が好きだったという。
月例会があり、一門は定期的に集まっていた。さらに、一門の中に祝い事があると、臨時の会を開き、その他、宴会がしょっちゅうあった。
南唐派は末端に至るまで皆顔見知りで親しく、結束力があったという。
呉楚派は門弟同士が集まって話をするようなことがなかった。故に一門の繋がりがない。三位殿は広仲以外の七賢を知らない。
「して、法橋にお授けになった時は?」
三位殿はさらに尋ねた。
兼保、答えて言う。
「私が円慶法橋に灌頂した頃は、既に師・何大人は亡くなっていました。師は亡くなる時、遺品を我等三人の直弟子に下さいました。つまり、威神の琴は亜相の姫君に、師襄は私に、月琴は蔭元朝臣に。ただ、南風琴だけは誰にも与えず、集った時に皆で奏でよと言い遺しました。そこで師の死後、庵の内に琴廟を設け、そこに師の霊位とともに南風を納めました。私から法橋への灌頂は、我が館内ではなく、亡き師・何大人の琴庵にて行いました」
「なるほど」
「秘曲『広陵散』伝授の儀は、先ず琴廟に拝礼し、賀茂大明神に拝礼してから始めました。円慶法橋以後、我が琴門にて灌頂を授けられた人はおりません。今のところ法橋のものが最後の灌頂にて。今後もし、灌頂が行われるのであれば、法橋の時のものを踏襲することに決まっております。我等何大人の直弟子三人で話し合って、そのように決定致しました。今後、我が南唐流の秘曲灌頂の儀は、未来永劫双岡の琴庵で行うことでしょう。そして、流祖・何大人を拝礼することでしょう」
「流祖に拝礼するというのは、誠に納得のゆく御説ですね」
「呉楚流は洛神図とか伺いましたが」
「ええ、以前は。しかも、五石散や丹薬を服しながら。先代の政任朝臣の時より、平生より洛神図は祀らなくなりました。灌頂の儀でも、拝礼するのは大日如来と賀茂大明神です」
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