七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり

国香

文字の大きさ
40 / 180
正声

十二拍・發怒(下)

しおりを挟む
「俊幸!!」

 遠き東の地、上野の牧邸に、今日も響き渡る絶叫。

 時有は邸じゅうに聞こえる程の大声を響かせていた。

「そんなに大声出されずとも、聞こえまするよ。だいたいここは戦場ではありますまいに」

 耳聡いらしい老人は、さも迷惑そうに、頬と口をねじ曲げさせた。

「そもそもですな」

 そう言ってまた小言を始める。

「その御歳で未だお独りとは、異常なことですぞ。まるでかの政任朝臣ではございませぬか」

「よいのだ。放っておけ!」

 信時、早く帰って来てくれと、時有は心の中で叫んでいた。

 もう、こんな爺のお守りは御免だ。

 武蔵で所領争いが起きた。その仲裁に信時は出掛けていて、留守である。安友も同伴していた。

 信時と安友がいないから、俊幸と大上のお守りが時有に回ってきてしまった。

「殿!源四郎の妻の姪は、それはそれは気立てのよい娘にございまするぞ!あのようなよき娘は二人とおりませぬ」

「嫌じゃ、空っ風にあたった頬の真っ赤な田舎娘なぞ」

「何と!あの娘は稀に見る美人にございまするぞ。都にもなかなかおりますまい」

「そんなに気に入ったのならば、おぬしが妾にすればよかろう」

「はあ?それがしが……いやはや、殿がお子を儲けられなければ、意味はないのに」

「俊幸、源四郎から何を貰ったのだ?」

 時有は盛大に溜め息をついた。

 俊幸は、実は素敵な所領を源四郎から贈られていた。

「我が姪を是非、殿の御側に──」

 そう頼まれて。

「いや、何と情けなきことを。殿はお子を儲けられることが何より大事だと、何故ご理解下さいませぬ」

 しどろもどろになりそうなのを、頑張って胸を張る老人。

「わかっておるわ!しかし、この身とて好いた女の一人くらい……」

「叔父御、いい加減になさいよ!」

 その時、時有の母の春日の大上が廊に現れて、そう言った。

「時有には、烏丸の大臣が特別に妻を下さるそうですよ」

 言いながら、中へ入って来る。

「え。母上?」

「大臣の北ノ方の御姪を下さるのですって。よかったわね」

 時有は先の功績が認められ、この秋、正五位上を与えられていた。信時も叙爵して、今は大夫(たいふ)である。

「大臣はようやくこなた達をお認め下さったのね。春になったら、女君をこちらへお送り下さるそうよ」

 大上はゆっくり腰を下ろした。

 時有は呆気にとられている。

「……ええと。……婿に行くのではないので?」

「そうよ。こなたは此処にいるのに、妻が都では大変でしょう。だから、女君の方が来て下さるのよ」

 すなわち、世にも稀なる嫁入り婚ということになる。

「もう決まっていることだから、断れないのよ」

「はあ」

「大臣のお決めになったことですからね。覚悟をしておきなさい。そういうこと故、叔父御、その話は無理」

 大上は何故かにっかと笑っている。

 時有も俊幸も言い返せず。特に俊幸は複雑そうにしている。

「これで時有も安心ね。さて、女君を迎える支度をしなくては。北の対にお入り頂くために、私は北の対を出ます。叔父御、この邸の隣に私と貴姫君が住める程度の家を用意して頂戴」

「あ、は」

「源四郎からの貢ぎ物で、それくらい賄えるでしょう?」

「いっ!?」

「冗談!」

 くかかと大上は笑った。

 俊幸の顔の汗といったらない。

「冗談よ。それは牧が用意してくれるから。でも、叔父御、所領はきっちり返しなさいよ」

「……あ、あまり年寄りを苛めんで下され……死ぬかと思うた」

「おほほ。何なら、そのままにしておく?源四郎の姪を、時有の側女にすればよいわけだし」

「母上!」

 今後は時有が卒倒しそうだった。本当に、一刻も早く信時は帰って来ないだろうか。

 信時が留守になったものだから、俊幸の鍾愛の的が時有に集中した。暇なのだろう。四六時中やってきては、時有の世話を焼き、そして、必ずいつも彼の幼い頃の話になるのだ。

「いや、誠にご立派になられましたな。美丈夫にていらせられて。しかしながら、殿はお小さい頃からお元気で活発な和子(わこ)でしたなあ。赤子(やや)でいらした時、それがしが抱いてあやして差し上げると、よく御小便を盛大に……」

「俊幸!!」

 真っ赤になって時有は遮る。

 一方の俊幸は、懐かしさに目を潤ませて、全くお構いなしだ。

 周囲の侍女達は笑いさざめく。

 このような話、時有の好い男の印象が壊れるではないか。

「いや殿はお小さい頃からお健やかでご立派でした。若君(信時)は抱き上げる度に、お熱があって……いつも心配でしたから」

 時有にとっては恥ずかしい話でも、俊幸は誉めているのである。大真面目に本気だから質が悪い。

 さらにこの母。

 時有は扱いに一苦労。それは信時も同じのようだが。

 だが、二人いれば、被害も半分で済むのにと思う。

 さらに、烏丸左大臣が妻を送って寄越すというのだから、考えただけで時有はげんなりした。

「妻か……」





 大上と俊幸の被害者は時有だけではなかった。

 貴姫君もである。

 元々、大上は姫のもとを訪れていたが、最近、俊幸までもが来るようになってしまったのだ。

「変な翁」

 三亥御前は笑っていた。

 従順を装わなければ、本懐を遂げることなど出来ない。

 姫にそう言われてからは、すっかり和やかになった三亥御前であった。

 近頃は、その笑顔が装いか本物かさえわからない。

「今日も来るでしょうかね」

 三亥御前がそう言った時、侍女が大上の来訪を告げた。

「今日は大上でしたか」

 時有の所からの帰りらしい。

 御簾は巻き上げたまま。女同士、隔ても要るまい。

 すぐに大上が現れた。

 出された円座に腰を下ろし、

「お二人とも、お変わりないようで」

と、にっこりした。息子達には見せない淑女の微笑みである。

 大上の真向かいに貴姫君、その斜め左に三亥御前が座っている。

「いつ拝見しても綺麗な姫君。あ!三亥御前も綺麗よ」

 付け足して言うのを、三亥御前はくすくす笑う。

「無理して褒めなくてもいいのに」

 遂には声を立てて笑い出した。

 それを見て、ふと大上は真顔になり、

「よかった。秋の頃は少しも心を開いて下さらなかったから。そうやって笑い転げて下さるとは……」

と、ちょっと目を瞬かせた。

「ああ……」

 三亥御前も笑いをおさめ、何と言おうか迷う。

 すると、貴姫君が静かに言った。

「お恨み申し上げてはおりませぬ。いいえ、恨んではならないのだと思います。私達は負けました。負けたのが悪いのです。勝った人を恨むのは筋違い。逆恨み以外の何ものでもありません。逆恨んで復讐するなぞ、恥です。何かに挑んで失敗し、再挑戦するのでさえ、失敗したものに対して逆恨みはしないでしょう」

 恨むまい、恨むは恥と己を律しても、それでも恨む心が沸き起こってくるのが人の不思議、悲しい性というものだろう。

 大上は姫の本心がわかっているつもりである。

「恨むまいとする心があるかなきかで大いに違います。恨んで下さってもよいですよ。いいえ、恨むなと言う方が無理。恨まれても、姫君を愚かだとも間違っているとも思いません」

 違う。

 大上の言葉に、三亥御前はそう思った。

 姫も首を横に振る。

「戦に負ける度に相手を恨んでいては、永遠に復讐の連鎖は続いてしまいます。敵を討ち、いつか必ず勝つと誓うのが、勝つまで恨み、勝つまで戦うのが、本来正しき武門の生き方なのでしょう。戦に負け、その恨みを忘れて生きるこそ、最大の恥に違いありませぬ。でも、私は考えずにはいられませぬ。領主の立場、領主の存在意義というもの。領主とは、そこの土地と民を守るべき者。戦はそれらを守るべき手段です。だから、負けたからと言って、相手を逆恨みし、復讐の戦をするのはいけないことです。左様な戦で最も迷惑するのは敵ではなく、民です。私は恨まない。それが、戦に負けた領主の妹の責任だと思うからです」

 違う。

 それにも三亥御前はそう思った。

 領主は民のためを考える。民に不利益なら、戦で負かされた相手を恨んではならない。

 それには胸が疼いたが、「違う!」という言葉で、その疼きを上から激しく覆い潰す。

「ご立派ね!」

 大上は頗る驚き、ただただ感嘆するばかりだった。

「姉がよく言っていましたから」

 姫はそう言って目を伏せた。

「……私は質ですが……だからこそこの身は和議の架け橋となりたい」

 姫の言葉は、大上と三亥御前を驚かせるものであった。

 だがこれは昨日、俊幸が訪ねてきた時にも言ったことだ。その場に三亥御前はいなかったが。

 昨日、俊幸は干柿を持ってやってきた。いつものように飄々とした様子で。

「美味ですぞ。美味過ぎて腹が痛いですわい」

 何故美味な干柿は腹が痛くなるのかと、姫は一瞬わからなかったが、「ああ!」と、わかったらおかしくて堪らない。

 食べ過ぎはよくない。年寄りは、美味だと際限なく食べるから。

 気遣った後、姫は。

「子(し)を知り己を知れば、と申しますが、子を知らずに敵として刃を交えるは恐ろしきことかなと、改めて思います」

「ほあ?」

 俊幸は首を傾げた。

 姫はくすっと笑う。

「敵は憎いものと決まっております。私も当たり前のように、こなた達を憎んでおりました。時有の君も、その家の子、郎党、一兵卒に至るまで、皆一人残らず。でも、考えてみたら、私はこの皆全てと会ったことがなく、話したこともなかった。敵は全員悪い人だと決めつけていた。我等は善人、敵は悪人だと━━でも、実際会ってみたら、憎むべき悪人ではなかった。こなたも大上も、皆良い人でした。今、こうしてこなたの人柄に触れて、思うことです。もしも昔からこなたを知っていたら、敵だからとて、単純に憎みはしなかったでしょう。敵の人柄も知らずに戦う。戦とは何でしょう。敵とて、味方と同じ、善人なのに」

「昔から知っていたら?」

 俊幸は身を乗り出した。何か言いたいらしい。口を開いてぱくぱくとさせる。しかし、声に出そうとして、やめてしまった。口を閉じ、感情を鎮めている。

 何度か唾を飲み下した。喉が上下に動いている。

「何か?」

「……い、いいえ。何でもありませぬ」

 戦場で敵と刃を交える瞬間、ふと頭を掠めることがある──姉の希姫君が言った言葉だ。

 今、自分の目の前にいて、自分と刃を交えている男は、初めて会った人間だ。この男に、自分が殺すほどの思いをさせられたことがあったか。殺すほどの憎しみを、この目の前の男に持っているのか。

 姉はそう言った。

 戦は謎めいたものだ、と。なるべくなら、謎なものには近づきたくないと。

 戦にならずに解決することが最善の道だとは、古人も述べていることではないか。

 だから、貴姫君は言った。

「善良な者が善良な者を殺す。負けた方の善良な者は、勝った方の善良な者に報復の戦をする。そして、また負けた方が──善良な者同士の戦が続くのは、悲しきこと。私は和議を望みます」

 俊幸に和議を求めたように、大上にも和議を願った。

 姫の心理がわからない。三亥御前はひたすら心の中で、「違う」と繰り返していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

処理中です...