七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり

国香

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乱声

二拍・欲触愛慢明妃の蓮華(弐)

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 翌日、果たして経実の予感通り、体調不良になった。それ以上の進軍は無理である。

 経実は数日、海辺の宿で休むことになった。宿には吉祥を含め、近衆など数十人が留まった。

 しかし、経実は宿中に籠もったきり、近衆達の前に姿を見せることなく、また彼等が中へ入ることも許されなかった。

 ただ一人、吉祥だけが許されて、経実の世話一切を引き受けている。

 その間にも戦は進んでいて、法化党は決戦の場へ到着。大乘党も到着し、半里程の距離をとって対峙していた。

 予め言い含められていたのだろう。後のことは全て雲門入道が引き受けて、全軍を指揮している。

 布陣は。

 わざわざ本陣が敵に見えるように横に広げて、鶴の翼を広げるが如く。中央の本陣には、あたかも経実が存在するかのように見せつけた。

 さらに、海には長行の軍船。沖合いに控えている。

 今回は陸上戦だが、長行軍にも参加してもらった。基本的に戦に加わることはないが、敵が海岸に近づいてきた時には、海から矢を射かけることができる。敵は船がないので、海岸に追いつめてしまえば、こちらが有利だ。

 しかし、こちらが水軍を用意していると知れば、敵も迂闊には海岸へは近づくまい。だから、長行軍は隠しておいた。

 もう一つ。経実には用意しているものがあったが、それもこの数日の様子から、うまく行きそうな気もする。

 ともかく、全ては雲門の双肩にかかっていた。

 そして。戦の初日。

 巳の刻過ぎから風が出てきたこの日の午後、開戦となった。午後には大分風が強くなり、晴れてはいたが、互いに戦意喪失して、これといった戦果はなかった。

 真っ正面からただぶつかっただけ。しかし、敵より、風に弄ばれた感が強い。

 二日目は曇り。時折、小雨もちらつくが、風は夕方までなかった。

 戦が動いたのは、この日だった。

 大乘党の大将・小太郎教理(のりまさ)という人の、経実への執着心は以前から凄まじかった。その憎悪、執念は異常である。

 何としても、経実その人の首をとってやるとしていた。もしかしたら、戦の勝敗などどうでもよいのではないか。経実の首さえ手に入れば。

「それや一理ある」

と、経実は笑っていた。

 総大将が討たれれば、その軍は降伏する可能性も高い。

 だから、今回はいつもの大乘党のやり方を、こちらもやるというのである。

「頭だ。教理を狙え。雑魚どもはどうでもよい。教理の首さえ奪えば、こちらの勝利だ」

 経実は雲門にそう言っておいた。で、雲門はその作戦で行くことにしていた。

「教理の首を得るには、奴の鼻先に餌を突きつけてやる必要がある」

というので、教理の食いつく餌を用意したのだ。

 教理が食いつく餌とは、無論、経実。

 昨日、わざと本陣を丸見えにしておいたのも、教理の猟りの本能を掻き立たせるため。

 昨日、本陣を散々見せつけられて、教理は涎を垂れ流し続けていることだろう。

 罠を仕掛けるなら、今日だ。

 いつも猪突猛進、中央撃破で本陣を目指す教理のことだ。今日は僅かでも本陣が見えたら、確実に中央突破してくるであろう。

 そこに罠を仕掛けるのだ。

 法化の頭の首を狙いに来て、逆に大乘の頭の首が奪われる。

 想像して、雲門は笑いが込み上げてきた。采配を任されるのは重荷だが、意外に今日の戦は楽しそうだ。

 巳の刻、開戦となった。

 法化党、本日の先鋒隊は蛮行隊を含む一千余り。蛮行隊の長は常陸生まれの常陸育ち、三郎だ。三郎は猛将として名高く、一騎討ちの相手をさせられる敵には迷惑な漢だった。

 大乘党は教理そのものが率いる本隊が、先陣きってやってきた。いつものように、法化本陣を目指して突進してくるらしい。

 三郎、待っていたとばかりに待ち構え、敵がある程度まで近寄ったところで、

「放ていっ!」

と命じる。一斉に矢が射放たれる。ばたばたと敵が倒れていく。それでも残った者達へ、二発、三発目を浴びせ、弓隊は左右にさっと退いた。

 その間を教理らが突進して行く。

 三郎、真っ正面から迎え入れ、

「教理!教理!」

と、大音上げて呼ばわった。

「いざ、組まん、教理!」

 一騎討ちを求めた。だが、教理は無視。

 大乘党は戦う気がないのか、突進するばかりで、法化党の兵達に斬りかかってこない。斬りつけてくる法化の兵の刃を振り払い、あまりに執拗な兵にのみ、相手をするといった様子。

「戦え!臆病者!」

と、三郎は罵ったが、目指すはただ経実の本陣なのだろう。

 法化軍を蹴散らすと、その法化の蛮行隊を背後に置き去りにして、さらに本陣へ向かった。

 あまり本陣に近づくのは良策とはいえない。本陣とは、普通、最も奥にあるものだ。本陣に進むということは、敵の懐深くまで入ってしまうということ。つまり、敵の本陣に至れば、そこは四面楚歌。四方八方敵に囲まれてしまうのだ。

 その危険を指摘する者が大乘党にはいないらしい。

 さて、法化の先鋒隊を蹴散らし、さらに本陣へ一歩近づいた大乘の教理は、すぐまた次の軍に待ち伏せされた。

 教理はこれもまた蹴散らし、さらに先を目指す。

 しばらく行くと、また新たな軍が待ち構えていた。

「おのれ!いったい何重に布陣しているんだ!」

 さすがに教理は苛立った。昨日の布陣だったら、もっと簡単に本陣に辿り着けたかもしれないのに。

「ええい!経実め!臆病な奴。隠れていないで、出てきやがれ!卑怯だぞ!」

 なぞと、勝手に喚いていると、またしても正面から、

「やあやあ、我こそは!」

と言いながら、蛮行隊長三郎が姿を現した。

 それを見て、さすがに教理も目を白黒させた。

「どういうことだ?さっきから、同じ軍勢を相手にしていたのか?」

「ほう。意外に頭も働くんだな」

 三郎はそう言って嘲笑した。わははと大声で笑う。それを合図に、一斉に蛮行隊全員が笑い始めた。

「おのれいっ!」

 教理は怒り、ようやく斬りかかってきた。

 教理の太刀一振りをきっかけに戦闘が始まり、やっと乱戦となった。

 実は今日、法化党は予め三重に布陣していた。大乘党に蹴散らされて、突破された先鋒隊は、あっさり退却し、横道から次の次の陣に合流。

 大乘党が次の次鋒隊を蹴散らしている間に、先鋒隊は中堅で陣を立て直す。そして、次鋒隊も蹴散らされると、やはり横道から次の次に布陣して、大乘党を待ち伏せる。

 それを繰り返し、四重、五重と幾重にも布陣して、敵は永久に本陣にまで辿り着けない。そういう作戦だったのである。

 そして……

 怒り狂って、教理は強い。さすがの蛮行隊もやや押され気味か。だが、なお激戦は続いた。

 半時以上そうして、互いに疲れてきた。

 その時である。

 大乘党から見れば右側、法化党の左翼から鬨の声が上がった。

 雲門率いる十二安隊だった。この軍勢は僧兵が多い。

 十二安隊が突然現れたため、驚いた大乘党は打撃を受けた。

「退却!」

 これ以上の攻撃は危険だ。さすがに教理もそう思った。

 大乘党は退却も速い。

 どどどどと駆け抜けるが、背後からは蛮行隊が追ってくるし、十二安隊の横からの攻撃も容赦ない。逃げながらの退却。自然、海に寄って行ってしまう。十二安隊はどんどん海の方へと押しやる。

 大乘党の退路の行く先に、さらに法化党の軍勢が待ち伏せていた。

 三方を敵に囲まれ、これでは逃げ道がない。唯一あいているのは海しか……

 しかし、そうやって海岸までやって来ると、今度は長行の船団から矢の雨を浴びせられるのである。

 大乘党は大混乱に陥った。

 辛くも教理は逃げ延びたが、そのまま岩城の砦に籠城することとなった。

 今日、法化党が三重しか布陣できず、同じ軍勢によって四重、五重に布陣を繰り返したのは、このように軍を三つに分ける必要があったからである。兵数不足を補うための策であった。

 経実不在ながらも勝利することができ、雲門はほっと肩の荷を下ろした。




 三日目。朝から雨。辰の刻から風が出てきて、次第に強くなり、午後は暴風となる。

 戦は膠着状態。

 法化党は敢えて常陸内の城を取り返そうとはせず、勿来の関から二里も離れた古城に本陣を置いた。

 この城、かつて羽林殿が朱雲城と呼んで愛でていたものである。城の脇に桜の巨木があったのだ。春になると、城の空は薄紅色になる。春霞の中、満開の桜がまるで雲のようだというので、朱雲城と呼んだらしい。禅円の城だった。

 しかし、大乘党との度重なる戦で木は破り焼かれ、今では無惨に引きちぎられた切り株が残っているのみである。その根元から、新しい芽が出ることもあるが、育ちはしない。

 この日はここに本陣を移しただけであった。

 大乘党の方も砦から出てこなかった。

 四日目は晴れ。春らしく暖かい日だが、少し動くと汗ばむ。この日も風だけは強かった。湿り気のない、からっとした風。

 また大乘党は動く気配ない。そこで、法化党は奇襲を仕掛けてみた。

 しかし、大乘党はあまり乗り気でないらしい。奇襲作戦はさほど効果なかった。

 大乘党が砦に籠もっている理由。

 それは、待っているのである。陸奥の国府に置いてきた、留守の軍の到着を。

 千八百余り。輔胤(すけたね)という信濃出身の山賊が率いる軍である。

 教理は輔胤に援軍を要請した。輔胤は則顕から、国府の守護を命じられたが、則顕なんかの言うことに従うような人間ではない。

 教理に頼まれたことに従う。だから、援軍として勿来に向かったのであった。

 教理はその援軍の到着を待っているのである。

 輔胤が来たら、総攻撃を開始する予定だ。だが、それまでは籠城。

 だから、法化が何度誘っても、それには乗らなかった。

 そういうわけで、四日目も五日目も、法化が奇襲してきても、あまり効果はなく、戦はなお膠着が続いていた。
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