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後序
七拍・宮商荊仙楽(肆)
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二人きりになると、敏平は、
「なるほど、尼は機会を待っていたようですね」
と言った。
「と、仰有いますと?」
「尼はずっと先々帝を弑し奉るつもりでいた。しかし、実行すれば、妹にも累が及ぶ。だから、実行できずにいた。妹が死んだから、実行したのですよ。その覚悟のほどが、妹が死んだ時に弾いたという『最凉州』と『安公子』に表れています」
「曲に覚悟ですか?」
「ええ。大理卿はご存知ありませんか?唐玄宗の時、西凉州より献じられた曲がありました。これは宮音弱く、商音暴でしたが、間もなく安禄山の変が起きました。隋の煬帝が江都に行幸しようとした時、『安公子曲』が流行しました。宮に始まり商に終わる曲です。そして、臣下のために皇帝は弑せられました。つまり、『広陵散』と同じようなことです。不吉なのです。宮は君主、商は臣下ですから。商が宮を凌駕する曲は不吉です。謀反を意味する曲ということになります」
「なるほど。では、尼は妹が死んで、いよいよ本懐を遂げようと、その二曲を弾いたわけですか。謀反を決意して」
「ええ。しかし、思えば尼は君主を弑する運命だったのでしょうね。尼自身が宮ですから」
「は?尼自身が宮とは?」
「諱ですよ、尼の。宮を意味する名なのです。『爾雅』にある五声の別称をご存知で?」
「いえ」
「五声はそれぞれ、宮、商、角、徴、羽と申しますが、『爾雅』には、宮は重、商は敏と記されているのです。第一声である宮、つまり重。父の長子であるので、尼は諱を重子と」
「それでは師の君、あなたは……あなたが敏平とおっしゃるのは」
「そう。私は次子ですからね、第二声の商なのです。つまり、それで敏の字がついたのです。近頃、壱越を第一律にすることが多くなっていますが……壱越を第一律に置いた時、それに五声、または七声を重ねると、宮は壱越で、商は平調になります。それで、敏に平の字をつけて、敏平というのですよ、私は」
「そうだったのですか。でも、それは確かに尼の宿命を感じますね」
「とても恐ろしい、厭な宿命です。ついでに言うと、尼は養女でしたから、実の親は別にいて、ここで死んだ妹というのは、尼の実の妹ということになります。二人の実父は皆の敬愛の的・英雄信時朝臣の兄ですから、皮肉な運命ですよ。尼と妹は同じ年齢でした。確か、尼は正月だか如月の生まれで、その年は閏月があって、それが十二月だったか、妹は閏十二月の生まれとかいうことでした。妹の諱というのも、七声に由来しています。先ず五声ができて、その後、二つの変声が加えられて七声になった。宮の一律下と徴の一律下。宮の一律下は変宮、徴の一律下は変徴」
「はい。以前、師の君に教えて頂きました」
「そうでしたね。尼は宮です。妹は同じ年に生まれたというので、変宮です。変宮の別称は和です。つまり、妹の諱は和子(なぎこ)……」
「何ですって!?」
不意に公季卿が頓狂な声を上げた。
敏平、びっくりして目を白黒させている。
「尼は琵琶を源宰相殿に師事していたのですよね?」
身を乗り出して言う。顔の距離が近い。
「……そ、そうですが……」
「先年、疱瘡で亡くなられた源宰相殿ですね?帝の外祖父の源太政大臣殿とはご兄弟の!」
「はい。あの方は風変わりな方で、身分に関係なく、能力のある者を重用なさいましたから……武門の遠貞を娘婿にしてしまうような方です。他の人だったら、氏素性の知れない粟田口尼など、決して弟子にはしないでしょう。源宰相殿だったからこそ、尼も入門できた」
「……」
公季卿は上の空で聞いていた。そして、これは大変なことになったと思った。
「大理卿?」
「師の君、尼の妹は他家の養女になったそうですね。どちらの家ですか?」
「さあ」
「源宰相殿の猶子が行方不明です。尼が謀反を起こした前年から」
「それが、どうかしましたか?」
「私は粟田口尼のことを調べましたが、検非違使の極秘文書に、その琵琶の師ということで、源宰相殿のことも記されていました。しかし、宰相殿の御猶子が行方不明になったのが、尼の事件の少し前だったからか、宰相殿は話したがらず……御猶子のことは、実は帝の御事にも関わることですので、それで宰相殿はお話しになりたくなかったのでしょう。しかし、不自然ではありました。でも、やっとわかりましたよ。そういうことだったのか!」
「は?」
話が見えない。敏平は首を傾げた。
公季卿は気を鎮めようとてか、桃を一切れ口にする。口いっぱいに酸味と甘味が広がり、飲み込むと、少しほっとしたようだ。ゆっくり息を吐き出し、つとめて静かに話し始めた。
「ここだけのお話です。実は帝の御母の御事です。帝ご自身、ご存知ないことですので、ゆめゆめご他言なきよう。実は、帝の御生母は源太政大臣殿の姫君ではありません。大臣の姫君が御生母ということになっていますが、本当は違うのです」
今度は敏平が驚愕する番であった。
「何ですと?」
「真実をお話ししましょう。真実は。帝の御母は身分の低い女人なのです。大臣の姫君は全くご懐妊の兆しがなく。それで、大臣はお生まれになったばかりの帝を、ご自分の姫君がお産みになったということに遊ばした。帝はお生まれになった時から、今の国母の御腹としてお育ちに……国母も実の御子と信じて、心底愛してお育てになりました。国母と帝の母子の情は偽りなきものです。しかし、実際には帝には国母以外の御生母がいる……大臣は、今後も国母が御生母ではないことを、公表なさるおつもりはありません。しかし、真実はまた真実として存在します。帝の真の御生母が、身分が低いのでは困ります。だから、その人を大臣の弟君の宰相殿が猶子に……そして、掌侍になさったのです。その掌侍が、粟田口尼の事件の前に行方不明になった……。諱は……和子(なぎこ)!」
「和子?」
「師の君!粟田口尼と源宰相殿との関係を考えてみても、有り得ることではありませんか?粟田口尼の妹がその掌侍なのでは?あの身分にこだわらぬ宰相殿なら、粟田口尼の妹を猶子にしても、不思議はありません!」
「ま、まさか……」
「源宰相殿はすでに故人ですから、確かめようがありませんが、あの時、検非違使の尋問に非協力的だったのは、掌侍が尼の妹だったからではないでしょうか。当時、帝は親王宣下すらない日陰の宮でございました。とはいえ、皇族には違いなく、その方の御生母が、上皇たる御方を弑し奉ったる大罪人の妹では……余りにも……宰相殿は、ご自分の猶子と粟田口尼との関係を知られてしまうことを恐れた。だから、ご自分の弟子がしでかしたことだというのに、あんなにも捜査に非協力的だったのですよ、きっと!」
「……」
「今となっては確かめられません。しかし、宰相殿の兄君たる太政大臣殿ならば、ご存知でしょう。私、大臣に訊いて参ります」
「無理ですよ。他でもない、帝に関わることなのに。もしもその掌侍が尼の妹なら、帝は先々帝を弑した大罪人の甥ということになる。どうして大臣が真実を言ったりなさるものですか」
「でも!私はあなたの弟子。大臣は真実をご存知です。あなたの義姉君の実妹のことです。私があなたのために訊くなら、大臣もお話し下さるのでは……」
「それでも……。掌侍が尼の妹だったならば、病にかかったのを機に行方をくらまして、ここに隠れたわけですよ。死んだら、尼が先々帝に復讐することを知っていたのでしょう。仮にも帝の生母が、謀反人の妹と知れたら……それを恐れて、自ら行方をくらましたのです。掌侍の気持ちに免じて……」
「それでも!」
不意に公季卿は大声上げた。
「義理とはいえ、あなたの姉君が父君の復讐のために国君を弑し奉った!あなたは今、その姉君の罪のために殺されようとしています!院の御意で、あなたは殺されてしまう!私はあなたを逃がそうと思いました。けれど、追っ手は地の果てまでもあなたを追いかけてくるでしょう、あなたが死ぬまで!私は考えを改めました。逃がすのではない、罪そのものを消すのです。院の御意を阻止できるのは帝です!帝だけがそれができる。帝に助けて頂きましょう!帝に、まことの御母君のことを申し上げて、助けて頂くのです!大臣に協力を頂きます」
ばっと立ち上がった。決意の表れのような立ち上がり方だった。だが、勢い余って、やや立ち眩む。
「大丈夫ですか、大理卿?」
「なんの……私、これから行ってきます。師の君、待っていて下さい。ここでは誰かに見つかるかもしれない。どこかに隠れて頂きます」
額に手をやりつつ、公季卿は言う。
信じられない、この弟子は……。敏平は困った。
「そうだ、比叡山に匿ってもらいましょう。私が必ず帝を説得致しますから、比叡山でお待ちを!」
「いや、しかし……」
「必ずですよ!」
言うと、もう行動に出ようとする。向こうの従者を大声で呼ばわった。
「しばし!この琴と琵琶を検非違使の蔵に返さないと」
敏平は、すっかり楽器のことなど失念している公季卿に注意した。
「いえ、それはお持ち下さい。師の君は逃亡の身。楽器をお持ちではないだろうと思い、師の君に差し上げるつもりで持って参りました」
「しかし、それは私を逃亡させる場合でしょう?私を逃走させないなら、これは検非違使に戻すべきだ」
「良いのです」
「良くない!粟田口尼の押収品が蔵から消えたとなれば、大騒ぎになりますよ。すぐにあなたの仕業と露見するでしょう。こんなものを盗んで。こんなつまらないことで、あなたまで捕まっては……」
「良いのですよ。ご心配になることはありません」
公季卿は微笑んだ。それがどことなく寂しげで、なんだか儚げで。敏平はわけもなく反論できなくなった。
「私のことは気になさらないで。とにかくご無事で。あなたはただ一人の琴の灌頂を遂げた方。あなたに万が一のことがあると、琴という一つの芸術が滅んでしまいます。あなたは決して死んではいけない。あなたはそういうお立場の人。必ず生きて下さい。では、行ってきます。比叡山で!」
公季卿は尚躊躇う敏平には目もくれず、もう踵を返していた。
「なるほど、尼は機会を待っていたようですね」
と言った。
「と、仰有いますと?」
「尼はずっと先々帝を弑し奉るつもりでいた。しかし、実行すれば、妹にも累が及ぶ。だから、実行できずにいた。妹が死んだから、実行したのですよ。その覚悟のほどが、妹が死んだ時に弾いたという『最凉州』と『安公子』に表れています」
「曲に覚悟ですか?」
「ええ。大理卿はご存知ありませんか?唐玄宗の時、西凉州より献じられた曲がありました。これは宮音弱く、商音暴でしたが、間もなく安禄山の変が起きました。隋の煬帝が江都に行幸しようとした時、『安公子曲』が流行しました。宮に始まり商に終わる曲です。そして、臣下のために皇帝は弑せられました。つまり、『広陵散』と同じようなことです。不吉なのです。宮は君主、商は臣下ですから。商が宮を凌駕する曲は不吉です。謀反を意味する曲ということになります」
「なるほど。では、尼は妹が死んで、いよいよ本懐を遂げようと、その二曲を弾いたわけですか。謀反を決意して」
「ええ。しかし、思えば尼は君主を弑する運命だったのでしょうね。尼自身が宮ですから」
「は?尼自身が宮とは?」
「諱ですよ、尼の。宮を意味する名なのです。『爾雅』にある五声の別称をご存知で?」
「いえ」
「五声はそれぞれ、宮、商、角、徴、羽と申しますが、『爾雅』には、宮は重、商は敏と記されているのです。第一声である宮、つまり重。父の長子であるので、尼は諱を重子と」
「それでは師の君、あなたは……あなたが敏平とおっしゃるのは」
「そう。私は次子ですからね、第二声の商なのです。つまり、それで敏の字がついたのです。近頃、壱越を第一律にすることが多くなっていますが……壱越を第一律に置いた時、それに五声、または七声を重ねると、宮は壱越で、商は平調になります。それで、敏に平の字をつけて、敏平というのですよ、私は」
「そうだったのですか。でも、それは確かに尼の宿命を感じますね」
「とても恐ろしい、厭な宿命です。ついでに言うと、尼は養女でしたから、実の親は別にいて、ここで死んだ妹というのは、尼の実の妹ということになります。二人の実父は皆の敬愛の的・英雄信時朝臣の兄ですから、皮肉な運命ですよ。尼と妹は同じ年齢でした。確か、尼は正月だか如月の生まれで、その年は閏月があって、それが十二月だったか、妹は閏十二月の生まれとかいうことでした。妹の諱というのも、七声に由来しています。先ず五声ができて、その後、二つの変声が加えられて七声になった。宮の一律下と徴の一律下。宮の一律下は変宮、徴の一律下は変徴」
「はい。以前、師の君に教えて頂きました」
「そうでしたね。尼は宮です。妹は同じ年に生まれたというので、変宮です。変宮の別称は和です。つまり、妹の諱は和子(なぎこ)……」
「何ですって!?」
不意に公季卿が頓狂な声を上げた。
敏平、びっくりして目を白黒させている。
「尼は琵琶を源宰相殿に師事していたのですよね?」
身を乗り出して言う。顔の距離が近い。
「……そ、そうですが……」
「先年、疱瘡で亡くなられた源宰相殿ですね?帝の外祖父の源太政大臣殿とはご兄弟の!」
「はい。あの方は風変わりな方で、身分に関係なく、能力のある者を重用なさいましたから……武門の遠貞を娘婿にしてしまうような方です。他の人だったら、氏素性の知れない粟田口尼など、決して弟子にはしないでしょう。源宰相殿だったからこそ、尼も入門できた」
「……」
公季卿は上の空で聞いていた。そして、これは大変なことになったと思った。
「大理卿?」
「師の君、尼の妹は他家の養女になったそうですね。どちらの家ですか?」
「さあ」
「源宰相殿の猶子が行方不明です。尼が謀反を起こした前年から」
「それが、どうかしましたか?」
「私は粟田口尼のことを調べましたが、検非違使の極秘文書に、その琵琶の師ということで、源宰相殿のことも記されていました。しかし、宰相殿の御猶子が行方不明になったのが、尼の事件の少し前だったからか、宰相殿は話したがらず……御猶子のことは、実は帝の御事にも関わることですので、それで宰相殿はお話しになりたくなかったのでしょう。しかし、不自然ではありました。でも、やっとわかりましたよ。そういうことだったのか!」
「は?」
話が見えない。敏平は首を傾げた。
公季卿は気を鎮めようとてか、桃を一切れ口にする。口いっぱいに酸味と甘味が広がり、飲み込むと、少しほっとしたようだ。ゆっくり息を吐き出し、つとめて静かに話し始めた。
「ここだけのお話です。実は帝の御母の御事です。帝ご自身、ご存知ないことですので、ゆめゆめご他言なきよう。実は、帝の御生母は源太政大臣殿の姫君ではありません。大臣の姫君が御生母ということになっていますが、本当は違うのです」
今度は敏平が驚愕する番であった。
「何ですと?」
「真実をお話ししましょう。真実は。帝の御母は身分の低い女人なのです。大臣の姫君は全くご懐妊の兆しがなく。それで、大臣はお生まれになったばかりの帝を、ご自分の姫君がお産みになったということに遊ばした。帝はお生まれになった時から、今の国母の御腹としてお育ちに……国母も実の御子と信じて、心底愛してお育てになりました。国母と帝の母子の情は偽りなきものです。しかし、実際には帝には国母以外の御生母がいる……大臣は、今後も国母が御生母ではないことを、公表なさるおつもりはありません。しかし、真実はまた真実として存在します。帝の真の御生母が、身分が低いのでは困ります。だから、その人を大臣の弟君の宰相殿が猶子に……そして、掌侍になさったのです。その掌侍が、粟田口尼の事件の前に行方不明になった……。諱は……和子(なぎこ)!」
「和子?」
「師の君!粟田口尼と源宰相殿との関係を考えてみても、有り得ることではありませんか?粟田口尼の妹がその掌侍なのでは?あの身分にこだわらぬ宰相殿なら、粟田口尼の妹を猶子にしても、不思議はありません!」
「ま、まさか……」
「源宰相殿はすでに故人ですから、確かめようがありませんが、あの時、検非違使の尋問に非協力的だったのは、掌侍が尼の妹だったからではないでしょうか。当時、帝は親王宣下すらない日陰の宮でございました。とはいえ、皇族には違いなく、その方の御生母が、上皇たる御方を弑し奉ったる大罪人の妹では……余りにも……宰相殿は、ご自分の猶子と粟田口尼との関係を知られてしまうことを恐れた。だから、ご自分の弟子がしでかしたことだというのに、あんなにも捜査に非協力的だったのですよ、きっと!」
「……」
「今となっては確かめられません。しかし、宰相殿の兄君たる太政大臣殿ならば、ご存知でしょう。私、大臣に訊いて参ります」
「無理ですよ。他でもない、帝に関わることなのに。もしもその掌侍が尼の妹なら、帝は先々帝を弑した大罪人の甥ということになる。どうして大臣が真実を言ったりなさるものですか」
「でも!私はあなたの弟子。大臣は真実をご存知です。あなたの義姉君の実妹のことです。私があなたのために訊くなら、大臣もお話し下さるのでは……」
「それでも……。掌侍が尼の妹だったならば、病にかかったのを機に行方をくらまして、ここに隠れたわけですよ。死んだら、尼が先々帝に復讐することを知っていたのでしょう。仮にも帝の生母が、謀反人の妹と知れたら……それを恐れて、自ら行方をくらましたのです。掌侍の気持ちに免じて……」
「それでも!」
不意に公季卿は大声上げた。
「義理とはいえ、あなたの姉君が父君の復讐のために国君を弑し奉った!あなたは今、その姉君の罪のために殺されようとしています!院の御意で、あなたは殺されてしまう!私はあなたを逃がそうと思いました。けれど、追っ手は地の果てまでもあなたを追いかけてくるでしょう、あなたが死ぬまで!私は考えを改めました。逃がすのではない、罪そのものを消すのです。院の御意を阻止できるのは帝です!帝だけがそれができる。帝に助けて頂きましょう!帝に、まことの御母君のことを申し上げて、助けて頂くのです!大臣に協力を頂きます」
ばっと立ち上がった。決意の表れのような立ち上がり方だった。だが、勢い余って、やや立ち眩む。
「大丈夫ですか、大理卿?」
「なんの……私、これから行ってきます。師の君、待っていて下さい。ここでは誰かに見つかるかもしれない。どこかに隠れて頂きます」
額に手をやりつつ、公季卿は言う。
信じられない、この弟子は……。敏平は困った。
「そうだ、比叡山に匿ってもらいましょう。私が必ず帝を説得致しますから、比叡山でお待ちを!」
「いや、しかし……」
「必ずですよ!」
言うと、もう行動に出ようとする。向こうの従者を大声で呼ばわった。
「しばし!この琴と琵琶を検非違使の蔵に返さないと」
敏平は、すっかり楽器のことなど失念している公季卿に注意した。
「いえ、それはお持ち下さい。師の君は逃亡の身。楽器をお持ちではないだろうと思い、師の君に差し上げるつもりで持って参りました」
「しかし、それは私を逃亡させる場合でしょう?私を逃走させないなら、これは検非違使に戻すべきだ」
「良いのです」
「良くない!粟田口尼の押収品が蔵から消えたとなれば、大騒ぎになりますよ。すぐにあなたの仕業と露見するでしょう。こんなものを盗んで。こんなつまらないことで、あなたまで捕まっては……」
「良いのですよ。ご心配になることはありません」
公季卿は微笑んだ。それがどことなく寂しげで、なんだか儚げで。敏平はわけもなく反論できなくなった。
「私のことは気になさらないで。とにかくご無事で。あなたはただ一人の琴の灌頂を遂げた方。あなたに万が一のことがあると、琴という一つの芸術が滅んでしまいます。あなたは決して死んではいけない。あなたはそういうお立場の人。必ず生きて下さい。では、行ってきます。比叡山で!」
公季卿は尚躊躇う敏平には目もくれず、もう踵を返していた。
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