七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり

国香

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後序

八拍・琴の血脉(下)

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 だが、そんな下界の様子を、孫子の繁栄を、未来を、どうして敏平が知ることがあろう。どうして知る必要があろう。

 何も知らない。

 あれからどれくらい経つのか。

 たった一人。ただ琴を奏でるだけの毎日。

 聶政よりも長の年月を、この深山の奥で過ごしている。

 先程から水鶏(くいな)がしきりに鳴(たた)いている。

 自分の姿を映す物はなく、霜枯れた頭を覗き見ることができるのは、向こうにある湧き水の池のみ。

 いつからこの山にいるのか。

 もう長い間、自分の姿を見たことはない。皺の数とて知らぬ。

 自分はまだこの世に生きている。いつまで生きるのだろう。とうに寿命が尽きていても、不思議はなかろうに。同年代の人々は、死んでいる人も多かろう。自分にだけは死が訪れぬ。いや、もう死んでいるのと同じだ。

 霞を食らい、琴を弾くだけの日々。山中でただ一人。自分以外の人間には会ったこともない。

 死というものは、この現状の延長上にあるのだろう。

 敏平の友は舜琴のみ。秘曲『広陵散』を弾く。

──

 処刑される直前に、これを弾いたという嵆康。袁孝尼に伝授を乞われながらも、秘曲であるためそれを拒んでいた。それが故に、己の処刑をもってこの曲は絶えてしまう。そう嘆いたという。

 結局は、他にもこれを伝えられている人がいたため、絶えることはなかった。そして、海を渡って当国当世にまで伝えられているのだ。

 だが、今、この曲を伝えられているのは敏平ただ一人だ。嵆康の嘆きは、敏平の前に現実になりつつある。

 こんな生き方が、果たして許されるのだろうかとも思う。そもそも粟田口尼の罪に連座し、その罪から逃れてこんな山奥に入ったのは、断じて死ぬわけにはいかなかったからではないか。

 清花の姫君の遺言を守り、その技を、『広陵散』を伝えなければならない使命があったからではないか。琴を弾く者のほとんどない昨今。それでも、優れた弟子を育てて、琴を絶やすことのないようにしなければならない。

 だから、是が非でも生きなければならなかった。粟田口尼に巻き込まれるわけにはいかなかった。それで逃亡したのだ。

 しかし、現状はどうだ。これでは死んでいるのと同じだ。これで、後継者が残せるか?

 これまで、下界でも優秀でない弟子は持ったが、誰にも秘調、秘曲、秘技、秘説は伝えていない。『広陵散』も。

 誰にも灌頂せず、血脉に名を増やさず。

 下界で後継者が残せなかったのだから、今、新しい弟子を持たずして、何としよう。これでは逃亡した意味がない。

 この死んだに等しい今の状況では……。琴は最後の一人となってしまった敏平が死ぬことによって、完全に滅んでしまうのだ。

 数百年の歴史と伝統を持つ我が国の琴の歴史に、今まさに終止符が打たれようとしている。

 あまりに酷い。

 敏平はとうの昔に罪は許されているものを。そうとは知らず、未だ山奥に隠れている。下界に戻れば殺されると信じて。

 もう罪がないと知っていれば、今頃は下界で後継者を残していたかもしれないのに。余りに無駄なこの数十年。余りに長のこの年月。




 大学頭行実朝臣が大唐に渡って曹倫に師事したことから始まった、呉楚派の琴血脉(けちみゃく)。曹倫から行実、行実から散位政任朝臣と受け継がれた正統な血脉は、やがてその七弟子に引き継がれた。曹倫、行実、政任を「琴三聖」と呼ぶのに対し、その政任の弟子達を「七絃七賢」と呼ぶ。

 その七賢は。祐盛阿闍梨、大納言帥殿、長橋局、近衛将監広仲、伊賀守為長、韶徳三位殿、清花の姫君。何れも琴神に魅入られし人々であった。

 他に血脉に記される人々、四人あり。行実の弟子の明法博士伊定。これは行実の後継であり、政任第二の師でもある。伊定の弟子には、他に妙禅伝燈法師があり、これも灌頂され血脉に記された。

 七賢の弟子にも血脉を許される人あり。祐盛阿闍梨の娘とか、その後継の参川尼である。また、帥殿の弟子済平朝臣も血脉に名がある。

 三聖と七賢、加えて以上の四人の計十四人。呉楚派の奥義極めて灌頂を授けられたというその証に、血脉に記される。

 また、南唐派の血脉は。

 唐人・何参の渡来に始まり、その三人の門弟の蔭元朝臣、賀茂社の兼保、清花の姫君に灌頂が与えられる。兼保からは円慶法橋に灌頂され、何参、蔭元、兼保、清花の姫君、円慶法橋の五人を「五琴仙」というのである。

 曹倫の呉楚派の十四人。何参の南唐派の五人。うち、清花の姫君はどちらの血脉にも入っているから、十八人が公に血脉を許されている。

 七絃七賢でもあり、五琴仙でもある清花の姫君の、唯一の弟子が右京大夫敏平朝臣であった。敏平は呉楚派、南唐派何れも師より伝授され、何れも奥義を極めた。南唐派もほとんど全てを伝えられてはいたが、最秘曲の『広陵散』は伝業されていなかった。そのため、南唐派の正式な灌頂は遂げていない。師は敏平へ、呉楚派の『広陵散』だけ伝えて旅立って逝った。則ち、敏平は呉楚派の灌頂は授けられていたのであり、こちらの血脉には加えてよい筈である。

 敏平は近頃、ようやく血脉に自分の名を刻んだ。そして、その脇に注を設け、号北白川と記した。

 予定では、呉楚派、南唐派を統合した新しい流儀・北白川流を興すつもりであった。だが、この計画は成らず、北白川流は敏平一代で絶える。

 敏平の最初の弟子は嵯峨の公達だった。この君は親成公の若君。あくまで教養のために琴を学んでいたので、特別秀でていたわけではない。母の兵衛の君から瑟を、音仏法師から琵琶をも学んでいたが、理髪前に夭折してしまった。

 白河の大宮の半物・明星は実に素晴らしい人だった。済平朝臣の遠縁で、初め宇治の入道に入門していた。書の達人であり、歌人でもあった。だが、何より絶世の美人として有名だった。琴も天才的な発想を発揮していた。敏平が唯一灌頂するつもりでいた人物だ。だが、明星の名は血脉にない。何故なら、彼女に恋い焦がれた荒夷に東国へ連れ去られ、強姦されたのを苦に、自害してしまったからだ。未だに彼女のことは惜しくてならない。

 明星と仲の良かった仙洞の女房・東の御方は、和琴血脉に名を記された才能豊かな人だった。だが、琴にはあまり向いていなかった。不惑の年、生涯を終えた。

 家隆朝臣は敏平の義兄となった人である。家名卿の子息で、今出川殿の異母兄だった。師道卿の北ノ方・八十御前の同母弟であった。幼い頃はしも八と呼ばれていた。そのしも八の時代から、八十御前のもとに住み着いて、敏平の弟子となった。しも八とは、家名卿の子のうち、榊葉の腹の八番目で、しかも末子であるからというのとは違う。「霜八度(やたび)」云々からとって付けられた名である。そのしも八の異母妹の婿になろうとは、敏平自身思いもよらないことだった。人の縁とは不思議なものである。

 その後、民部卿局が入門した。これは大変才能があったが、宿敵だった。彼女は父方の祖父母に養われた。祖母は帥殿大納言の姪で、祖父の妹は蔭元朝臣の義姉という環境に育った。初め南唐派の兼保の弟子となり、その死後、呉楚派の信利に入門したが、間もなく宮中に宮仕えした。すぐに辞して敏平に入門してきた。才能はあった。だが、敏平の音楽とは相容れなかった。どうしても嫌いな演奏だった。しかも、彼女の養母でもある祖母は、東寺の顕明の妹だった。

 顕明こそは敏平の父の仇、一族を滅ぼした張本人だった。憎んでも憎みきれない宿敵。その血縁である。彼女には、ついに灌頂は許さなかった。どういうことかとても理解できないことだが、彼女は何故か渡唐した。今はどこにいるやらわからぬ。まだ唐土なのか、かつての渤海の地にでも行って、帰国したか。それとも死んだか。

 頭弁時綱は、蔭元朝臣のいとこの子であった。父の中納言は大学助だった時から琴を学び、時綱は前腹ではあったが、初めはこの父から手ほどきを受けたのだった。敏平の弟子となった時は非蔵人だったが、その後は順調に昇進して、正三位左大弁に至って死んだという。笙や神楽の名手でもあり、聡明で作文(さくもん)の名人でもあった。

 侍従命婦は秦箏相承血脉に名のある箏の名手。侍従兼少納言雅興の妻で、夫に愛された良妻であった。雅興が愛したのもよくわかる。才能がある上に、とても思いやりのある女だったからだ。だから、出産のために僅か二十五歳で没した時は、敏平もとても悲しかった。

 皇太后宮亮顕信は歌人であった。各国守を歴任し、財力があった。越前守を兼任し、正四位上にまで至った時、疱瘡が流行って死んでしまった。大変風流な人だったので、琴にもよい感性を示していたのに、とても残念だった。

 検非違使別当公季卿は権大納言にまで至った。笙の名手であり、琴の筋もよかった。粟田口尼のことを調べ、敏腕別当として尊敬を集めた人でもある。敏平にとって彼は大変な恩人である。粟田口尼のことでは、本当に助けられた。

 兵衛佐重輔も琵琶の名手で、もとは寺院の稚児だった。女顔の美男で、敏平でも見とれてしまったことが何度もあった。

 敏平が琴を教えた中で、決して忘れられないのが、深草の君と夕星だ。

 深草の君は清花の姫君が亡くなった時に生まれた人。姫君のいとこである。姫君と同じような娘に育てようと、姫君の両親は深草の君を養女とした。そして、敏平に琴を教えるよう命じた。深草の君は清花の姫君のように天才ではなかった。そして、深く傷ついていた。敏平はそんな彼女を愛し、二人の間に夕星が生まれた。

 夕星は深草の君によく似ていた。その上、清花の姫君のような雰囲気さえあった。敏平は、彼女が我が子であることを知らなかったが、どうしても琴を教えないではいられなかった。才能はなかったのに、後継者にと考えてしまった。それは何故だったのだろう。未だにわからない。

 そして、敏平は知らないのだ。夕星の身に起こった天の奇跡を、いたずらを。彼女が宿敵・烏丸左大臣や信時朝臣らと、敏平とを結ぶ架け橋となったことを。

 ともかく、敏平は生涯にこれだけの弟子を持った。しかし、結局誰にも灌頂を授けられなかった。

 これでもう。『広陵散』は絶える。いや、琴そのものも。

 下界では、今ではもう琴の趣味人とて存在するまい。四天王寺では、伊賀守為長の流れが細々と続いているとのことだったが、それももう絶えたに違いない。

 敏平が下界に戻ることはないだろう。

 琴は絶えたのだ。琴三聖、七絃七賢、五琴仙の輝ける妙技は滅び去った。




 敏平翁は舜琴を連れて、山の頂に立った。絶壁のそこは空に最も近い場所、いや、そこはもはや空の中だ。月も星も手に届きそうな。

 輝く月は、どこか清花の姫君のようであった。

「お許し下さい、姫君。私が死ぬことで、琴は絶えます。そして、私は凡才です。ご遺言を守れなかった私を、怒っていらっしゃいますか?私があなたの御もとに参りました時に、どうぞお叱り下さい。私はむしろそれを心待ちにしているのです。私はまだ死ねないのでしょうか?以前は断じて死ぬまいと思って、逃亡しました。後継者をつくるまではと。でも、今は死ぬことが楽しみでもあります。あなたに逢えますから。死ななければ、逢えませんから。随分と長くお逢いしていませんね。私は早くお逢いしたいのに。どうして、なかなか逢って下さらないのですか?どうして、いつまでも私を遠ざけたままなのです?そんなにお怒りですか?後継者をつくるまで、お許し頂けないのですか?でも、もう無理です。私は老人です。今からでは無理。だから、琴が滅ぶこと、お認め下さい。早くあなたに逢わせて下さい。すぐにも。あなたに焦がれているのです!」




         琴
         血
       呉 脉
       楚
       派



      曹
      倫
      ┃
      ┃
      大
      学
      頭
      行
      実
      朝
      臣
      ┃
    ┏━┻━┓
    ┃   ┃
    散   明
    位   法
    政   博
    任   士
    朝   伊
    臣   定
    ┃   ┃
 ┏┳┳╋┳┳┓┣┓
 ┃┃┃┃┃┃┃┃┃
 准韶伊近長帥祐散伝
 后徳賀衛橋殿盛位燈
 清三守将局大阿政法
 花位為監 納闍任師
 の殿長広 言梨朝妙
 姫  仲 ┃┃臣禅
 君    ┃┃
 ┃    済参
 ┃    平川
 右    朝尼
 京    臣
 大
 夫
 敏
 平
 朝
 臣





       南
       唐
       派



     何
     参
     ┃
   ┏━╋━┓
   ┃ ┃ ┃
   准 少 蔭
   后 副 元
   清 兼 朝
   花 保 臣
   の ┃
   姫 ┃
   君 円
     慶
     法
     橋





七絃灌頂血脉



━━完━━
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