拾遺七絃灌頂血脉──山桜創始の巻──

国香

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密筑の里(上)

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 それから度々、信基は花園殿を訪ねてくるようになった。いつも色々な土産を持ってくる。

 ある時は砂金や白雲母の粉、またある時は綾織の衣などを持参したこともあり、海産物ばかりではなかった。

「いやはや、いつも沢山もらって申し訳ない。それにしても、色々なものがあるなあ」

 今日は清水を汲んで持ってきた。

「あちこちに名水があるのだね、常陸は。これはどこの甘露だ?」

「密筑の里です。先日献上した石決明は同じ里の浜で採ったものです」

「ほお。先日の砂金は、おことの主君のいる山で採ったのよな」

「はい」

 信基は密筑里より南の真崎浦とやらの水軍長の子息であるという身の上の他は、あまり詳しく話していなかった。主君がいて、その主君の居所に、砂金が出るという話くらいか。

 だいたいいつも、土地のことや他愛のない話ばかりで、身の上はあまり聞かされていなかった。

「おことは、その密筑とやらに随分愛着があるようだの?」

 花園殿は、もらった清水を口に含むとそう言った。

「近くですから、我が家と」

と信基は言ったが、よい機会と思ったか。花園殿に近付いてきた本当の目的を、この際もうはっきり口にしてしまおうと、意を決していたのであった。

 信基は姿勢を正すと、

「今日は聞いて頂きたいことがあります」

と言った。

 花園殿は先を促すように頷いた。

「私の主君は、今でこそ太田の郷に引っ込んでおりますが、我々の先祖はもっと広範囲に渡って住んでおりました。この近くの辺りまで支配していたのです。独自の国を築き、最後まで朝廷に抵抗しました。結局敗れて、捕らえられた者は讃岐などの遠国に連行されたようです。また、多くの者は北へと逃れましたが、中には稀にこの地に残りし者もあり。我が家は残党の子孫であるそうです。我が主家も太田の山中に逃れて、生き残ったのです。我々は星を信仰しておりました。我々の祖先は渡来人とも、また夷とも言われております」

「しばし待て。星とかや?」

 星と聞いて、花園殿は思い当たったことがあった。昔、洞院殿から東国には星信仰の国があるという話を聞かされたことがあった。

「星の国。本当にあったとは。それがここか」

「はい。金星を信じております」

「それは妙見菩薩か?」

「はあ、さて」

「虚空蔵菩薩か」

 広く常陸を支配していた国ということだから、天津甕星か。

 そして、信基の先祖は密筑の里の辺りまでを支配していたのだという。今は真崎のみだ。それもやっと。

「どんな国だったのかな?」

「それをお話ししたくて」

 連日花園殿を訪ねていたのだという。





 遡ること数百年、茨城郡や久慈郡には、ある王国があったという。渡来人のようでもあり、夷のようでもあり。あるいはそれらが同居して、共に一つの国を形成していたものか。

 実際、南部と西北部、東北部では風習が違ったし、東北部内でも、三つの地域に分かれていた。

 さて。彼等の中には九日を信仰する者がいた。どちらかといえば政に向いている人が多く、王国では内政を司っていた。彼等は渡来人とも先住民ともつかない。

 金星を信仰する人々もいた。雲母輝く地に住む彼等は武に秀でており、王国を守護する役割を担っていた。

 掘削を得意とする人々もいた。優れた土木能力を持っており、彼等は砂金を掘って、王国に利をもたらしていた。

 その頃、全国統一を目指す朝廷は、遠き常陸をも支配下に置こうと、度々降伏を勧告に来たが、王国はなかなか応じなかった。天子に対抗していつまでも大王を名乗り、朝廷を手こずらせていたのである。

 しかし、朝廷の力は強大であり、そろそろ潮時かと大王は思った。王国を残すには、朝廷の傘下に入り、大王は朝廷内の一貴族という立場にならねばならない。

 しかし、大王は地方のただの貴族に成り下がるのは、本心では嫌だった。

 全国に点在した小国。それらは次々に朝廷の傘下となり、王もただの地方豪族に成り下がった。何れも朝廷を畏れて降伏したか、朝廷を侮って制圧されたかである。

 大王は彼等と同じ轍を踏むつもりはなかった。

 降伏ではない。同盟。

 それが大王の狙いであった。そのためには、よほど話をうまくつけねばならない。また、よほどの強国だと知らしめなければならなかった。

 王国は朝廷からの執拗な降伏勧告をはねつけ、同盟しようと何度ももちかけた。朝廷が怒って、兵を差し向けてきた時には、その軍事力ではね返し、強さを見せつけたのだ。地理的条件も大いに利用した。

 朝廷へ、力によってねじ伏せる愚を知らしめてやったのだった。

 朝廷も気づいたらしい。ついに折れて、同盟に応じることにした。

 同盟にこぎ着けた王国は、大王の一人娘・光柱姫を朝廷に差し出すことに決めた。

 この光柱姫、大王にはただ一人の、正妻腹の子である。

 大王には、正妃の他に数人の側室がいた。妃は娘を一人しか産まなかった。男子を産んだのは側室である。

 大王に男子は三人あったが、伯子と仲子は同腹であった。しかし、伯子は早世していた。

 大王の後継は、仲子か季子ということになる。

 仲子と季子は頗る仲が悪く、しかも、どちらの母も身分が同程度で、どちらを後継とするべきか、大王は迷っていた。男子がないとはいえ、妃には力があり、妃の意見によって、後継を決めようと考えていた。

 故に、仲子も季子も、競って妃に媚びを売り、その腹の姫へのご機嫌伺いは欠かさなかった。

 さて、大王は姫を朝廷に差し出すつもりであったから、姫への教育には力を注いでいた。姫には畿内風の衣装を着せ、風習も風俗も皆、畿内風を身につけさせた。姫は六つの時から、そのように育てられた。

 姫の学問の師は、大和から招いた学者である。また、乳母は二人いたが、片方はやはり畿内から招いた女性であった。

 姫はひたすらあちらの学問と文化を学んだ。故に、生国の文化をほとんど知らずに育ってしまった。

 こちらには、こちらなりの文化があるのだ。様々な教えが、因習があるのだ。

 大王は、身内を王国の重臣の子弟達と混ぜて教育した。優秀な子弟達の中に入って学べば、愚かな王子には育つまい。また、能力に乏しければ自覚して、学問に励むに違いない。

 大王はある程度の家柄以上の子は皆まとめて学問所に入れ、そこに身内も投げ込んで教育した。だから、六つになるまでの姫もそこに入れられていた。

 しかし、六つになり、大王が朝廷との同盟を決めてからというもの、姫はそこから出され、一人、英才教育を受けることとなった。

 姫は長らくそのことに疑問を感じていなかった。しかし、十三歳になった時、ふとしたことがきっかけで、自国のことを何も知らない自分はおかしいと感じるようになった。

 この時、姫は国一番の博学者とされていた。確かに、何れ皇子の妃として上洛する身の彼女は、中央の学問に通じている。皇子の妃として恥ずかしくない教養がある。

「でも、私はこの国のことを何も知らない。この国一番の愚か者と同じくらい、この国のことがわかっていない」

 いくら何れは朝廷の人間となるとはいえ、こんなことで果たしてよいだろうか?自国のことを知らずして、王国と朝廷との橋渡しができるか?

 姫は師に相談した。

 師は、こんな野蛮な国の学問など学問のうちに入らぬと言った。

 しかし、姫は学びたかった。

 ある日、庭を歩いていた時、姫は一人の官吏と出会った。

 互いに一目見て気がついた。

 官吏は彼女が姫であると気づいた。

 姫は、幼い頃同じ学問所にいた、五つ年長の、九日の重臣の子であると気づいたのである。

 彼は幼い頃から聡明で、抜きん出て優秀だった。官吏に登用されてからも、大変優秀だと評判である。姫もその噂は耳にしていた。

 しかし、会うのは久々であった。姫が学問所を出された六つの時以来、会っていない。

 お互い顔立ちは随分変わっていたが、それでも、毎日顔を合わせていた人間の顔は、それとわかるものなのであろう。

 官吏はすぐに姫にお辞儀をし、姫は笑顔で、

「まあ、お久しぶり」

と、声をかけた。

 日頃、思いつめていた姫の心が晴れやかになった瞬間でもある。姫は彼と再会して、即座に妙案を得ていた。

 彼に学問の師を頼もう、と。

 挨拶をして、再会の喜びを交わし、さらに近況、そして、二、三、世間話をした後、姫は彼に言った。

「こっそり、私に指導して欲しいの」

 彼ははじめ恐縮したが、何度も請われてようやく頷いた。

 しかし、彼には仕事がある。姫も昼間は厳しい大和の師の教えを受けなければならない。自由になれるのは夜のみであった。

 彼は官吏の仕事を終えると、庭に寄った。そして、庭で姫に色々教えた。好学な姫には、とても楽しいことだったようで、彼女はいつも庭で彼を待っていた。彼が仕事が長引いて遅くなっても、彼女は予習や復習をしながら、東屋で待っていた。

 そうこうするうちに、大王が病にかかった。いよいよ後継者を決めなければならないと、病床で大王は思った。しかし、それを思ったのは、大王本人だけではなかった。

 皆が。

 特に、王子達が強くそれを思った。

 この頃までに、仲子は生母を亡くしていた。また、妃は仲子をあまり可愛がってはいなかった。

 一方、素直で愛嬌のある季子。生母も健在である。

 だから、季子の方が有利であるように見えた。

 仲子は焦っていた。

 その矢先、姫の相手となるべき皇子が死去したとの知らせがもたらされた。

 妃の考えが変わったのはこの時だ。女王がいたって、別に構うまい。そう思ったのだ。

 姫の相手が亡くなったなら、姫が上洛する必要もなくなるのではないか。それなら、この地で女王になるべきだ。妃はそう思った。

 これまでは、姫を朝廷に差し出すことが決まっていたから、妃も諦めて、継子の王子が次の王となることを認めていたのだ。だが、状況が変わった。確かに我が子は女だが、紛れもなく妃の腹であり、いくら男だからとて、卑しい者から生まれた王子達に劣るわけがない。いや、姫こそが正統である。

 俄に妃が動き始めた。

 そのことにいち早く気付いたのは、仲子であった。

 仲子を立てようという人はほとんどいない。これまでも、季子側に立つ者ばかりだった。そこへもって、妃が姫を擁立しようというのだから。絶体絶命である。

 しかし、彼はいち早く察知し、動き、その結果、最高の味方を手に入れることができた。件の官吏である。

「姫がいらっしゃいますから、大丈夫です」

 官吏は妙なことを言った。

「必ず、御身が王位を継げましょう」

 そう言う彼の指示に従い、仲子は姫の師を動かした。

 大和の師は朝廷と話をつけ、やがて、重病の大王に告げた。

「朝廷とは同盟を築く必要があります。朝廷は新たに、別の皇子を姫のお相手にと考えております」

「それは有り難い」

 大王は朝廷が望むなら、やはり姫を差し出して同盟を結びたいと考えていた。

 大和の師はその後、姫にその旨告げた。

「そうですか。朝廷は別のお相手を選んで下さいましたか」

「はい。ですから、姫は引き続き、ご上洛に向けて努力なさい」

「わかりました。この同盟は我が国の存亡にも関わる大事。必ず成し遂げましょう。その大事を、師は朝廷との間に入って交渉して下さいました。我が国のために、力をお貸し下さいましたこと、心より御礼申し上げます」

「いやいや、これは姫の兄君に頼み込まれたことです。その熱心さに、つい心動かされてしまいました。私もこの国にはお世話になっている身です。少しはお役に立ちたいと思いましてね」

 師のこの言葉に、姫の心も動かされたようだった。

 その夜、いつものように官吏と会った姫は、彼に言った。

「兄に仕えているのですってね」

 これまで、学問の話以外はほとんどしてこなかった。官吏は姫に、仲子を後継に推薦するよう頼んだりしなかった。

「兄が師に頼んで、朝廷と交渉したそうね。国のことをよく考えているわ。それなのに、兄に仕えるのは、あなたくらいとはね」

「お言葉ですが、それは姫の御母上が、姫を女王にと思し召しだからでございます」

「馬鹿な……」

 実際、最近、妃から女王云々と言われていた姫だったが、父王の意思がそうでない以上、姫は女王になるべきではない。姫はそう思っている。

「同盟が大事」

 姫はそう答えた。
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