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逃走中の回想
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しおりを挟む長い廊下を歩き車寄せまで到着したその時、丁度馬車が車寄せに入ってきた。少しくたびれた紋章は見慣れないものだった。眺めていると御者が扉を開け、中から東屋で公爵令息が抱きしめていた令嬢が馬車から降りてくる。顔を上げた男爵令嬢は僕を見つけると、驚いたように目を見開いた。平凡な容貌の僕とは違って、金髪碧眼の可愛らしい令嬢だ。
なるほど、僕が帰った後に二人で会う予定だったのか。公爵令息は謝罪はしたし、距離を置くと言ったが、行いを改める気はないのだと実感する。
そんなことを考えていると、侯爵家の馬車が到着して、ドアを開けられた。
紹介もされたことがないので、僕は馬車に乗り込もうと降車用の足場に足をかけた時、話しかけられる。
「あのっ!」
面倒なことになりそうな予感がヒシヒシと感じたが、僕はゆっくり振り返った。
「……モア男爵家のご令嬢でございます」
ここまで案内して後ろに控えていた侍女が、小声で教えてくれた。特に知りたくもなかったので、反応は返さない。
「……」
紹介も何もされていないのに僕の方から声をかけるのもな、と考えて無言のまま次の言葉を待っていれば、男爵令の瞳にみるみる涙が膨れ上がった。
「わ、私が憎いのはわかります。でも、こんな酷い仕打ち……」
と言って両手に顔を埋めて泣き始めた。
酷い仕打ち? と首を傾げる。
名前を呼ばれたわけでもなく、誰かに紹介されたわけでもない、自分を呼び止めた赤の他人に対してなにをしたら酷い仕打と言われるのだろう。無言で見つめていただけだぞ。
「どちら様ですか?」
とりあえずどこの誰なのかきちんと名乗ってもらい、後で抗議文を家から出してもらおうと、誰何する。
「わ、私は、ノアの幼なじみで恋人です!」
「はあ……」
名乗るんじゃなくて、マウント取るそっちかーと思いつつ、さてこの場をどうやって収めて帰ろうかと考えた。
「そうですか。シメオン公爵令息は中にいらっしゃいます。では」
関わり合いになるには面倒な予感しかしないので、僕はそう言って馬車に乗り込もうとした。
「待って!」
また呼び止められ、降車用の足置きから渋々足を戻す。この姿勢、結構辛いのだ。
ため息をつきたいのを我慢して、僕はもう一度振り返る。シメオン公爵令息の幼なじみで恋人と名乗った可愛らしい令嬢が、憤りを感じていると言わんばかりの表情を浮かべ、そこにいた。
「……」
僕に話すことはないので、相手の話を聞く姿勢で口を噤んでいると、苛立たしげに睨まれてしまう。
「ノアのことを、本当に好きなのですか!」
一体何を言われたのかわけがわからなかった。「ノア」とは僕の婚約者であるノア・シメオン公爵令息のことだろう。ファーストネームで、しかも呼び捨てにするとはなかなかの親しさだ。羨ましくはない。ノア・シメオン公爵令息は婚約者であって僕の想い人ではないからだ。好きかどうか聞かれても、僕には答えられない。せいぜい、婚約者です、くらいだ。
「答えてください!」
答えるまでここから逃がして貰えそうになく、僕は仕方なく正直に答えた。
「僕とシメオン公爵令息の関係に、恋情という感情は必ずしも必要ではないかと存じます」
あ、言葉のチョイスを間違えたかなと思った時には遅かった。近づいてきた男爵令嬢が腕を振り上げ、僕の頬を打った。パチンっと響いた音に、扉を抑えていた僕の御者がぎょっとする。
「私からノアを奪おうとしておきながら、酷いわ!」
この世界の女神アルダルシアに誓って、僕は奪ってない。この婚約は家と家同士の契約であり、色恋で結ばれたものではないからだ。ジンジンと痛み始めた頬を感じながら思案する。
果てしなく、面倒だ。
心底面倒なので、この件は全部婚約者に丸投げにしてしまおう。元々自分には関わりないことなのだから、良心は全く痛まない。
「その話し合いは僕とではなく、シメオン公爵令息となさっては? では失礼します」
今度こそ呼び止められても無視するぞと思いながら、僕は馬車に乗り込む。御者もこれ以上の面倒はいらないとばかりにささっとドアを閉めて御者台に上がりすぐに馬を走らせた。
座席に深く腰掛けた僕は、馬車が進むのを小さな窓越しには見つめる。
「はぁ……」
痛む頬に手をあてながら、やっぱり婚約解消したいなと嘆息する。言いがかりに近いことを言われても、落ち込んでしまうのはこの婚約がみんなにとって喜ばしいことではないとハッキリわかったからだ。万人に受け入れられる結婚なんてないと思うが、せめて当人同士くらい納得していて欲しかった。
この婚約ははっきり言えば、業務提携と銘打った資金援助だ。公爵家が資金繰りに困り、僕を公爵夫人として迎え入れる代わりに、と持ちかけてきた。お金だけ渡すと使われておしまいなので、業務提携することになったのだ。当家の優秀な家令の息子である見習いや従僕たちを幾人も引き連れて僕は嫁ぐことになっている。
いわゆる、公爵家へのテコ入れであり、不正監視だ。僕に領主家業は出来ないので、父は僕の生活が悲惨にならないよう先の先まで考えて、契約書にこれでもか、とこちらの要求を盛り込んだ。公爵家はそれを全て飲み込んでも、お金が欲しかったのだ。
そうやって結ばれた婚約なのに、相手はあまり危機感を持っていないようだった。
婚約者は謝罪するだけで具体的な改善策を言わないし、浮気相手である男爵令嬢はアレだ。
「僕、暴力大嫌い」
ポケットからちいさな入れ物を取り出すと、中のクリームを指で救って頬に塗り込む。すーっとした匂いが広がって、ジンジンした痛みを感じていた頬が治まってくる。蓋を閉めてもう一度ポケットにしまうと、僕は足元に視線を落とす。
「やっぱりやだな」
貴族の結婚は「契約」だ。それはわかっていても、人から憎しみを向けられることは、慣れてない。この婚約が決まるまで、学園を卒業したら国の研究機関に務めるか、領地に帰ってのんびり調薬して暮らそうかと考えていた。
エルドリス侯爵家は優秀な長兄と、商売上手な次兄がいる。自分が出来ることは、薬草を育てることと、調薬くらいでほとんど家の役に立てないと思っていたから、今回の婚約で自分でもなにか役に立てるのだと嬉しかった。
僕はオメガだが、目立つような美貌も可愛らしい仕草も出来ず、地味な見た目なので、全くアルファにモテない。家族が僕をお荷物なんて思ってないのは知っているが、それでも自分にもなにか出来ないかといつも考えていたのだ。
「……父上に今回の件、申し上げてみるかなあ」
嫌われているとは思わないが、特別好かれているとも思えない父親へ、婚約を解消したいと伝えたらどんな騒ぎになるだろう。もしかして先程みたいに打たれてしまうかもしれない。
ふるり、と体を震わせていると、馬車が止まり、王都のエリドリス家の屋敷に到着したのだった。
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