10 / 59
第二章
第10話 旅立ちの朝 (Side:アルヴィン)
しおりを挟む
ふ……と瞼を押し上げると、眩しい朝日が窓から差し込んでいた。
――なんだか、随分と懐かしい夢を視た気がする。
昨日、カルロが実家の庭園のバラの香りを再現してくれたせいかもしれない。
ゆっくりと身体を起こすと、隣の寝台に見知った男の影はなかった。
「カルロ……?」
部屋を見回すが、返事はない。
朝食に行ったのか、森の調査に出かけたのか。子供じゃないんだから、さほど心配する必要はないだろう。
寝台から滑り出ると、昨日の依頼後の出で立ちのままだった。
どうりで、身体が固まっているような感覚がするはずだ。剣やポーチなどの装備品は外してくれたようだが、カルロは使用人ではない。寝間着にまで手を出す義理もないだろう。
昨日一日、走り回った疲労を引きずりながら、部屋のシャワールームへと向かう。
服を脱ぎ、蛇口をひねれば、顔にかかる熱い湯が気持ちよかった。
貴族の僕が、一念発起して傭兵になったところで、生活水準の違いについて行けまいと、カルロは意地悪く揶揄いながら、必ずそれなりの宿を取るよう提案してくれる。
「貴族のお坊ちゃんが地面で寝られるはずがないだろう」と笑って、次の街に辿り着けなさそうなら無理をせずにもう一泊する念の入れようだ。
おかげで僕は、傭兵になってこの半年、未だに外で水浴びすら経験がない。
金銭面を心配をすると、カルロはただ呆れた顔を返すだけだ。
家を飛び出した僕には、自由に使える金はほとんどない。全て傭兵稼業で稼がなければならないのだから、節約しよう――と申し出たが、取り合ってくれなかった。
後で知ったことだが、カルロは魔道具発明のおかげで、黙っていても収入があるらしい。
シャロンと婚約し、フロスト家の後ろ盾を将来的に確約されたカルロは、領内の商業ギルドと魔道具製造および販売の専属契約を結んだのだ。製造方法は門外不出で、造れる職人も極めて少ないという。
竜騒動以降、身を守る魔道具を求める人々が、こぞって領地に押し寄せ、落ちる金は過去最高額になっているそうだ。
発明家として、魔道具が一つ売れるごとにキックバックもあるらしい。ああ見えてとんでもない資産を蓄えているようだ。
大変情けないことに、僕はその恩恵に甘え、駆け出しの傭兵の頃から最低限の生活水準を落とさずに済んでいる。
「まぁ……革命的な発明だった、らしいし」
顔にかかる湯に目を細め、左手に光る指輪を眺めて呟く。
魔道具の価値は今一つ理解できないが、この防御の指輪も、このご時世なら、高値で売れるかもしれない。
宝石の一つもない指輪は、婚約指輪としては物足りないかもしれないが、市場価値だけは十分なのだろう。
熱いシャワーで覚醒した身体を拭き、用意してあった清潔な衣服に袖を通す。
カルロに揶揄されるのは心外だが、染み付いた衛生観念は消えない。
確かに僕には、野外の水浴びや野宿など、耐えられないだろう。
タオルで髪の雫を拭きながら浴室を出ると、ちょうどカルロも戻ってきたところだった。
「おう。風呂入ってたのか」
「うん。カルロはどこに行ってたんだい?」
「ダミアンのところだ。ああ見えて一応、優秀な白魔法遣いだからな。昨日の泉まで案内して、浄化してもらった。お前も気にしてただろ」
朝一で出かけたのだろう。眠そうに欠伸を漏らしながら、何事もなかったかのように言う。
あの広さの泉を、魚や植物まで浄化するには、かなり高度な白魔法が必要だ。
研究職を『魔導師』、戦闘職を『魔法騎士』と区別して呼ぶのは、大抵、どちらかにしか適性がないことが多いからだ。
だが、ダミアンは、研究も魔法行使も両方で優秀ということになる。非常に稀有な存在なのだろう。
……まぁ、黒魔法で言えば、この飄々とした男も、同様に稀有な才能を秘めているのだが。
「森はもう大丈夫かな?」
「たぶんな。魔鳥の群れはうざかったが、巣ごと焼いたし、周囲の街に影響が出そうな箇所はダミアンが浄化した。残りの細かい浄化や魔物退治は、傭兵ギルドが請け負うだろう。少しは仕事を残しておかないと、恨まれても面倒だからな」
言いながら、小さなテーブルに紙袋を置く。
「帰りに下の食堂で買ってきた。髪乾かしたら食え。俺はもう食ったから、軽くひと眠りする」
「えっ……あ、ありがとう。気を使わなくていいのに――」
カルロに礼を言うと、後ろ手でひらひらと手を振り、面倒くさそうに言う。
「あんな庶民御用達の食堂で、一人で『貴族です』って顔でお上品に食事してりゃ、絡まれるに決まってる。わざわざ面倒ごと起こす必要はねぇ」
「それは――うぅ……ごめん……」
僕が一人のときに絡まれやすいのは、自覚している。
カルロと一緒だと、視線を感じはしても露骨に声をかけられることは少ないが、カルロが席を外すと、突然見知らぬ人から話しかけられるのだ。
出身はどこだとか、名前はなんだとか。
貴族社会では、顔見知りでも必ず社交辞令の挨拶から始まる。だから、ハジメマシテの相手が無遠慮にこちらの素性を探る質問をしてくるのには、酷く驚いた。
しかも何故か、大抵男しか声をかけてこない。
カルロが戻って来ると喧嘩や揉め事に発展することも多く、迷惑をかけっぱなしだ。
「そういえば、ダミアンがレーヴ領行きに便宜を図ってくれるらしい。迷惑かけた詫び、だとさ」
仮眠の準備だろう。カルロはローブを脱いで放り、慣れた手つきで装備品を外していく。
ためらいなく上裸になった相棒に、思わず心臓が跳ねた。慌てて目を逸らす。
「紹介状も書いてもらったし、事前に実家に知らせも送ってくれるらしい。関所の煩わしい手続きが簡略化するってよ」
「ぁ、そ、そう……」
男同士なのだから、恥ずかしがることはない――そう思うのに、なぜか心臓が早鐘を打っていた。変に思われていないだろうか。
傭兵稼業で鍛えられた身体を惜しげもなく晒したカルロは、こちらを気にすることもなくするりと寝台へと滑り込む。
「あ、ありがとう、カルロ」
「おぅ」
もう一度お礼を言うと、カルロは背中だけで欠伸交じりの気安い返事をして、すぐに寝息を立て始める。
僕は一人で、不意に走り出した心臓を必死になだめるのだった。
――なんだか、随分と懐かしい夢を視た気がする。
昨日、カルロが実家の庭園のバラの香りを再現してくれたせいかもしれない。
ゆっくりと身体を起こすと、隣の寝台に見知った男の影はなかった。
「カルロ……?」
部屋を見回すが、返事はない。
朝食に行ったのか、森の調査に出かけたのか。子供じゃないんだから、さほど心配する必要はないだろう。
寝台から滑り出ると、昨日の依頼後の出で立ちのままだった。
どうりで、身体が固まっているような感覚がするはずだ。剣やポーチなどの装備品は外してくれたようだが、カルロは使用人ではない。寝間着にまで手を出す義理もないだろう。
昨日一日、走り回った疲労を引きずりながら、部屋のシャワールームへと向かう。
服を脱ぎ、蛇口をひねれば、顔にかかる熱い湯が気持ちよかった。
貴族の僕が、一念発起して傭兵になったところで、生活水準の違いについて行けまいと、カルロは意地悪く揶揄いながら、必ずそれなりの宿を取るよう提案してくれる。
「貴族のお坊ちゃんが地面で寝られるはずがないだろう」と笑って、次の街に辿り着けなさそうなら無理をせずにもう一泊する念の入れようだ。
おかげで僕は、傭兵になってこの半年、未だに外で水浴びすら経験がない。
金銭面を心配をすると、カルロはただ呆れた顔を返すだけだ。
家を飛び出した僕には、自由に使える金はほとんどない。全て傭兵稼業で稼がなければならないのだから、節約しよう――と申し出たが、取り合ってくれなかった。
後で知ったことだが、カルロは魔道具発明のおかげで、黙っていても収入があるらしい。
シャロンと婚約し、フロスト家の後ろ盾を将来的に確約されたカルロは、領内の商業ギルドと魔道具製造および販売の専属契約を結んだのだ。製造方法は門外不出で、造れる職人も極めて少ないという。
竜騒動以降、身を守る魔道具を求める人々が、こぞって領地に押し寄せ、落ちる金は過去最高額になっているそうだ。
発明家として、魔道具が一つ売れるごとにキックバックもあるらしい。ああ見えてとんでもない資産を蓄えているようだ。
大変情けないことに、僕はその恩恵に甘え、駆け出しの傭兵の頃から最低限の生活水準を落とさずに済んでいる。
「まぁ……革命的な発明だった、らしいし」
顔にかかる湯に目を細め、左手に光る指輪を眺めて呟く。
魔道具の価値は今一つ理解できないが、この防御の指輪も、このご時世なら、高値で売れるかもしれない。
宝石の一つもない指輪は、婚約指輪としては物足りないかもしれないが、市場価値だけは十分なのだろう。
熱いシャワーで覚醒した身体を拭き、用意してあった清潔な衣服に袖を通す。
カルロに揶揄されるのは心外だが、染み付いた衛生観念は消えない。
確かに僕には、野外の水浴びや野宿など、耐えられないだろう。
タオルで髪の雫を拭きながら浴室を出ると、ちょうどカルロも戻ってきたところだった。
「おう。風呂入ってたのか」
「うん。カルロはどこに行ってたんだい?」
「ダミアンのところだ。ああ見えて一応、優秀な白魔法遣いだからな。昨日の泉まで案内して、浄化してもらった。お前も気にしてただろ」
朝一で出かけたのだろう。眠そうに欠伸を漏らしながら、何事もなかったかのように言う。
あの広さの泉を、魚や植物まで浄化するには、かなり高度な白魔法が必要だ。
研究職を『魔導師』、戦闘職を『魔法騎士』と区別して呼ぶのは、大抵、どちらかにしか適性がないことが多いからだ。
だが、ダミアンは、研究も魔法行使も両方で優秀ということになる。非常に稀有な存在なのだろう。
……まぁ、黒魔法で言えば、この飄々とした男も、同様に稀有な才能を秘めているのだが。
「森はもう大丈夫かな?」
「たぶんな。魔鳥の群れはうざかったが、巣ごと焼いたし、周囲の街に影響が出そうな箇所はダミアンが浄化した。残りの細かい浄化や魔物退治は、傭兵ギルドが請け負うだろう。少しは仕事を残しておかないと、恨まれても面倒だからな」
言いながら、小さなテーブルに紙袋を置く。
「帰りに下の食堂で買ってきた。髪乾かしたら食え。俺はもう食ったから、軽くひと眠りする」
「えっ……あ、ありがとう。気を使わなくていいのに――」
カルロに礼を言うと、後ろ手でひらひらと手を振り、面倒くさそうに言う。
「あんな庶民御用達の食堂で、一人で『貴族です』って顔でお上品に食事してりゃ、絡まれるに決まってる。わざわざ面倒ごと起こす必要はねぇ」
「それは――うぅ……ごめん……」
僕が一人のときに絡まれやすいのは、自覚している。
カルロと一緒だと、視線を感じはしても露骨に声をかけられることは少ないが、カルロが席を外すと、突然見知らぬ人から話しかけられるのだ。
出身はどこだとか、名前はなんだとか。
貴族社会では、顔見知りでも必ず社交辞令の挨拶から始まる。だから、ハジメマシテの相手が無遠慮にこちらの素性を探る質問をしてくるのには、酷く驚いた。
しかも何故か、大抵男しか声をかけてこない。
カルロが戻って来ると喧嘩や揉め事に発展することも多く、迷惑をかけっぱなしだ。
「そういえば、ダミアンがレーヴ領行きに便宜を図ってくれるらしい。迷惑かけた詫び、だとさ」
仮眠の準備だろう。カルロはローブを脱いで放り、慣れた手つきで装備品を外していく。
ためらいなく上裸になった相棒に、思わず心臓が跳ねた。慌てて目を逸らす。
「紹介状も書いてもらったし、事前に実家に知らせも送ってくれるらしい。関所の煩わしい手続きが簡略化するってよ」
「ぁ、そ、そう……」
男同士なのだから、恥ずかしがることはない――そう思うのに、なぜか心臓が早鐘を打っていた。変に思われていないだろうか。
傭兵稼業で鍛えられた身体を惜しげもなく晒したカルロは、こちらを気にすることもなくするりと寝台へと滑り込む。
「あ、ありがとう、カルロ」
「おぅ」
もう一度お礼を言うと、カルロは背中だけで欠伸交じりの気安い返事をして、すぐに寝息を立て始める。
僕は一人で、不意に走り出した心臓を必死になだめるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
二年間の花嫁
柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。
公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。
二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。
それでも構わなかった。
たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。
けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。
この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。
彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。
やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。
期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。
――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。
皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?
akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。
今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。
家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。
だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる