竜の器と囚われの贄姫

神崎 右京

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第三章

第28話 竜の眠り (Side:アルヴィン)

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 空が曇り、雪が舞い始めると、刺すような冷気が全身を襲う。息を吸い込むだけで、肺の細胞まで凍り付きそうだった。
 解け残った雪の上に薄く新雪が重なっていく。白く覆われた斜面を踏みしめながら、慎重に進んだ。
 山道を外れると、足場が不安定だ。積もった雪の下に何があるかわからず、一歩一歩が慎重にならざるを得ない。

「たぶん、こっちだと思うんだけど……」

 地図を片手に周囲を見渡すが、雪のせいで地形がわかりにくい。岩壁も、木々も、どれも似たような景色に見える。
 カルロは先を行きながら、時折振り返って僕の様子を確認してくれた。

「無理すんな。ゆっくりでいい」
「う、うん」

 返事をしたとたん、ひゅぉ、と身を切るような北風が吹き抜けた。

「わっ!」

 突然の強風に、よろめく。足元の雪が崩れ、バランスを失った。

「おい!」

 カルロの手がすぐに僕の腕を掴む。
 ぐっと力強く引き寄せられ、体勢を立て直した。

「大丈夫か?」
「ぁ……ありがとう」

 外套の上からもわかるくらい引き締まった腕に支えられ、心臓が早鐘を打つ。転びそうになった驚きのせいだけではない気がするが、それは口に出さなかった。
 空を見上げると、雲がどんどん厚くなっていく。風も、さっきより明らかに強い。

「雪が強くなってきたな」

 カルロが険しい表情で空を見上げる。

「急いだ方が良さそうだ。吹雪になる前に洞窟を見つけるぞ」
「う、うん……!」

 焦る気持ちを抑えて、周囲を見回しながら慎重に足を進める。
 それから数分後、カルロが足を止めた。

「……あった」

 指差す先を見ると、雪に半ば覆われた岩陰に、薄暗い影が見える。
 ――洞窟の入り口だ。

「あ……!」

 ほっと息を漏らす。風雪が強まる中、無事に見つけられて良かった。
 カルロは、降りしきる雪を力強く踏みしめて入り口に近づいていく。息を詰め、そっと中の様子をうかがう横顔は真剣だ。

「人の気配は――なさそうだな」
「この寒さじゃ、もう動物も冬眠してるかも」
「あぁ。万が一、冬眠し損ねた熊なんかが、根城にしてたら厄介だが――」

 カルロは途中で言葉を切って、ふと山頂の方を振り返る。

「……竜、って言っても、生き物だよな?」
「え?……う、うん。魂を移さないと老いて死ぬらしいし、生き物だと思うけど」

 唐突な話題変更に戸惑いながらも答える。カルロは、少し眉根を寄せて黙った後、考察を口にした。

「山のふもとで、この寒さだ。国で一番標高が高い山脈の頂上ともなれば、生命活動すら危うくならないか?」
「えっ――ま、まさか、シャロンはもう――!?」

 青ざめた僕に、違う違う、とカルロは手を振って否定した。

「もし、アレの生態が野生動物に近いなら、気温が下がれば冬眠するんじゃねぇか?って思って――」
「!」

 言われて、一年前に見た竜の姿を思い出す。
 びっしりと身体全体を覆っていた鱗。巨大な翼。――それらの特徴は、どう見ても、人間よりも野生動物に近かった。
 鳥や爬虫類が冬になると活動を停止して食糧が少なく寒い期間をやり過ごすことを考えれば、竜もまた同様の特徴を持っていると考えるのは、決して荒唐無稽とは言えない。

「巨体に見合った食事を日常的に取ろうと思えば、山の生態系を壊すレベルの摂取量になる。竜神教の連中が持っていった供え物だけで足りるとは思えない。だが、レーヴ領内で、竜事件後に特に凶悪な事件や魔物被害らしき報告は一切上がってない。となると――」
「一年の殆どを、活動を停止してやり過ごして、いる……?」

 言葉を引き継ぐと、カルロは一つ頷いた。

「冬眠したところで、竜にメリットはない。本当に世界滅亡を狙うなら、レーヴ領にも恐化を広げるべきだし、積極的に人間を襲うべきだろ。未知の魔法を使うならなおのことだ。だが、自ら生命活動が制限される場所を選んで、そこから一年ほとんど動かずにいるってことは――アイツの自我が、僅かでも残っている可能性が出て来たな」

 カルロの考察に、ぱぁっと顔が明るくなる。
 そう。シャロンは、優しい子なのだ。無為な殺生を好むはずがないし、世界を滅亡させようなんて、そんなことを考えるはずもない。
 もし自我が残っているのなら、きっとシャロンは――世界に危害を加えないよう、必死で自制するに違いなかった。

「世界に悪影響を及ぼさないために、敢えて生命活動を抑える環境に留まっている、ってこと――!?」
「希望的観測だが、可能性はゼロじゃないな。討伐隊も、攻撃は無効化されたが、反撃はされなかったって話だし、竜に人間への敵意はない可能性がある。そうすると、雪が解けて山を登れるようになる夏までは、竜を放置しておいても、直接的な危険はないだろう」

 カルロは山頂に背を向け、洞窟へと向き直る。

「つまり、竜が活動停止している間に、恐化を止める術を見つけるべきだ。竜が活動しているのに、恐化はレーヴ領以外で日々進んでいる――ってことは、竜が活発に活動しているかどうかと、恐化は関係がない可能性がある。逆に言えば、竜を殺したところで、恐化は止まらない可能性が出たってことだ」
「そ、それなら――!」
「あぁ。竜を殺す以外の方法を探すべきだ、っていう俺たちの主張の正当性に、僅かばかり光明が差す。急いで調査を進めよう」

 シャロンが竜になって、一年。世界中に取り残されているような長く暗い道のりに、初めて明かりが見えた気がする。 
 真剣な横顔で言い切るカルロに、僕は泣きそうになりながら頷いた。

「……カルロ」
「ん?」

 危険がないか、中の様子を伺うカルロの集中を乱すのは本意ではなかったが、今、口にしないと後悔する――そう思った僕は、小さな声で切り出した。

「……ありがとう」

 浮かんだ気持ちにそっと音を載せると、カルロが少し驚いた顔で振り返った。

「シャロンを助けるために、こんなに必死になってくれて。感謝してもしきれない。……本当に、ありがとう」

 カルロは一瞬、何か言いかけて――それから、少しだけ複雑そうな表情で視線を逸らした。

「……まぁ、アイツとはそれなりに付き合いも長いし、情もあるからな」

 そう言って洞窟へと向き直るカルロの言葉が、胸を貫く。

 ――そうだ。カルロにとって、シャロンはあくまで『親友の妹』でしかない。
 あるいは、将来を盤石にするのに都合のいい『貴族の娘』だろうか。

 人見知りで引っ込み思案なシャロンは、カルロに心を開くまで何年もかかった。付き合いは自然と長くなり、結果として情が生まれ、婚約者としての義務感も芽生えた。
 ――だから、こうして必死になってくれているだけなのだ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 なのに――どうしてだろう。
 カルロの横顔を見ていると、胸の奥が妙に疼く。シャロンの意識に引きずられているのか、それとも――。

「……うん。行こう」

 理由の分からない感情を全て胸の奥に押し込んで、僕は小さく頷いた。
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