竜の器と囚われの贄姫

神崎 右京

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第四章

第39話 侍女の懇願  (Side:カルロ)

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 王都の駅で前触れもなく暗示が揺らいだシャロンは、親しい侍女の顔を見て名前を呟いた後、ふっと意識を失った。
 事前にフロスト家へ汽車の到着時刻は伝えてあった。馬車で迎えを寄こしてくれると聞いていたが、侍女のレイアは少しでも早く主の姿を見つけたいと駅の中まで来ていたという。人ごみの中から様子のおかしな一画を見つけて飛んできてくれたおかげで、意識を失ったシャロンをすぐに馬車に乗せることが出来た。

 そのまま、フロスト家のタウンハウスまで馬車を飛ばし、貴族御用達の医師に見てもらった。病の心配はなく、過労か心労だろうとの診断だった。
 
「……”お兄様”、か」

 俺は、駅でシャロンが漏らした言葉を思い出す。
 その呼称が口を吐くということは、何らかのきっかけで暗示が揺らぎ、シャロンの意識が顕在化したのだろう。
 ならば、倒れた原因は心労だ。
 俺に出来るのは、シャロンのためだけに編み出した魔法を展開して、部屋中を季節外れの花の香りでいっぱいにすることだけ――

 シャロンが横たわるベッドの傍らに腰掛け、時折うなされる婚約者の顔を見ながら難しい魔力操作に集中していると、トントンと扉がノックされた。

「失礼いたします。軽食をお持ちしました」
「あぁ。助かる」

 入ってきたのは、レイア・トーレン。学園時代にアルヴィンに聞いたところによれば、没落寸前の貴族の家から、幼いシャロンの話し相手にと、同年代の令嬢を侍女として迎え入れたのだという。赤みを帯びた明るい黄褐色の髪も、洗練された所作も、確かに彼女の出自を示していた。

「魔法を連続使用されると糖分が必要になると聞いたので、甘い物も用意いたしました」
「ありがたい。ちょうど欲しいと思ってたところだ」

 俺は魔法を中断して目頭を揉む。この魔法を使った後はいつも、脳みそが溶けるくらい甘いものを摂取したくなる。
 椅子の背もたれに身体を預けながら、クリームがたっぷりと乗った菓子を手に取る。窓の外に視線を遣れば、いつの間にかすっかり日が暮れていた。

「あの……お嬢様は……?」

 心配そうな顔でこちらを窺うレイアに、首を振る。

「目覚める気配はない。時折、『お兄様』ってうなされてるから、暗示が揺らいでるんだろう」
「そう……です、か」

 意気消沈して俯く。
 レイアとシャロンの付き合いは、十年近い。主従であり、同じ年ごろの親友のような関係でもあったのだろう。
 
「すみません……私がうっかり大きな声で『お嬢様』だなんて呼んでしまったから――」
「いや、関係ないだろう。シャロンの暗示が揺らぎ始めたのは、レイアが来るよりも前だった。最初は、人ごみに酔ったのかと思ったが……怖い、って言ってたな」

 シャロンが震えながら口にした言葉を思い出すと、レイアは何かに思い至ったようだった。

「もしかして、幼少期の記憶が蘇ったのではないでしょうか」
「?」
「お嬢様にとって、長らく王都は『恐ろしい場所』の象徴でした。幼い頃は社交シーズンに家族で王都を訪れていたと聞きます。ですが人が多い王都は危険が多く、社交シーズン中に貴族の勢力図を塗り替えようとする謀略も飛び交い――単なる誘拐にとどまらず、直接的に命を狙われるようなことも、一度や二度ではなかったとか」
「そうか。まぁ……想像は、つく。俺も、そういう場面に遭遇したことがあるしな」

 当然、当時も護衛はいただろう。だが、それでも危険な目に遭ったということは――幼いシャロンの目の前で、凄惨な事件が繰り広げられたのだろう。
 俺自身も、シャロンと共にいたときに襲撃に遭った経験がある。貴族が勢力争いのためにシャロンを狙うときは、ごろつきなど雇わない。法外な金額を払ってでも、確実に仕事を遂行する暗殺者を雇うのだ。並みの護衛では太刀打ちなど出来ない。
 俺がシャロンの体質を本当の意味で理解して、魔道具の指輪を作ろうと決心したのも、そんな事件があったからだった。
 
「しっかし、アルヴィンは度を越したシスコンだが、シャロンも相当のブラコンだな。昔の記憶が蘇って怖いなら、真っ先に頼るべきは俺だろう」

 口をとがらせてぼやきながら、菓子を頬張る。
 今まで俺はシャロンの身を何より優先して守って来たつもりだ。傭兵として過ごしたこの半年だって、恐化した凶悪な魔物から何度も守って来た。
 その実績を全てなかったことにされたようで、面白くない。

「アルヴィン様は、お嬢様にとって、特別な方ですから。アルヴィン様のお嬢様への愛は別格です」
「いや、アレはさすがに異次元だから、張り合う必要はないだろうが……」

 学生時代のアルヴィンを思い出して、俺は思わず苦い気持ちで口を閉ざす。

「お嬢様が誘拐された日などは、使用人の末端に至るまで生きた心地がしませんでした。お嬢様の身が心配で――アルヴィン様もまた、恐ろしくて……」
「光景が浮かぶな」

 シャロンが誘拐されたと聞いたアルヴィンがいたら、温暖なフロスト領の屋敷でも、体感温度は二~三度くらい下がることだろう。

「雇われの護衛や警邏など信用できぬと、誘拐された場所に直接踏み込まれることも多く、旦那様はいつも頭を悩ませていらっしゃいました」
「まぁ……シャロンの居場所が分かった瞬間から、大人しくしているような奴じゃないからな」

 一年前の事件の日も、剣を持って方々を自ら探し回り、竜神教の儀式会場では俺よりも積極的に敵を切り伏せていた。妹を守るためなら、法律も倫理観も、アルヴィンを縛れない。

「だから、幼い頃のお嬢様が救い出されるときは、必ずアルヴィン様がいらっしゃったはずです。お嬢様にとって、アルヴィン様はどんな時も絶対に自分を助けてくれる、英雄《ヒーロー》のような存在なのではないでしょうか」
「助け出す瞬間は、聖人君子の仮面をかぶってるだろうからな」

 シャロン救出までにどれだけ悪魔も真っ青な所業をしていたとしても、きっとシャロンの前では天使みたいな笑顔で手を差し伸べるのだろう。
 幾度となく命の危険に晒される恐怖と、毎度必ず救ってくれる兄――シャロンの中で、兄の存在は”特別”になっていったはずだ。
 所詮、俺がシャロンと一緒にいられたのは五年程度。十五年をずっと一緒にいたアルヴィンに勝てないのかもしれない。

 俺は憮然とした顔で軽食にも手を付ける。頭ではわかっているのに、どうにも面白くない。

 レイアはそっと眠るシャロンの傍に近寄り、額にうっすらと浮いた汗を拭う。
 シャロンが寝ているのは、本来アルヴィンのベッドだ。目が覚めて暗示をかけ直した時、「どうしてシャロンの部屋で寝かされているのか」とシャロンが疑問に思わないようにという配慮だった。

「お嬢様は、何も悪くありません。ただ、高貴な身分と、美しすぎる外見を持って生まれてしまっただけ――それだけなのに……」

 レイアは痛ましそうに呟く。

「過酷な幼少期を過ごし、過保護な兄に溺愛されて、鳥かごの中に優しく捕らわれた憐れな御方。御身分を考えても、もっと高飛車で我儘に育ってもおかしくないでしょうに――お嬢様は常に謙虚で、お優しい」
「……あぁ」

 シャロンの、天使のような微笑みを思い出しながら、頷く。

「ですがお嬢様は、いつだって周囲に引け目を感じていらっしゃいます。不自由を強いられているのはご自身なのに、使用人や家族を付き合わせて申し訳ないと――ご自分に自信がないのです」
「それは俺も思っていた。どうしてなんだ?」

 シャロンは、引っ込み思案や奥手というだけでは足りない――自己犠牲的とも言える思考をすることが多い。
 
「お優しいから――そして、貴族としての教育のせいでしょう」

 レイアはもう一度シャロンの汗をぬぐい、哀しそうにつぶやく。

「旦那様も、奥様も。お嬢様はいずれ、どこかに嫁いで貴族社会に身を投じることをわかっていらっしゃいました。家にいる間は、家族と使用人が徹底的に守ればいい――ですが、嫁いだ先ではそうはいきません。理不尽に耐えることも、愛のない家庭を築くこともあるでしょう。……旦那様と奥様は、心を鬼にして、令嬢としての教育を徹底的に施されました。優秀であれば――縁談を、選ぶ立場でいられますから」
「なるほど……幸せを想えばこそ、ってことだな」

 貴族が、愛だの恋だので結婚することは難しい。だが、魅力的で優秀な令嬢であれば、フロスト家主導でより良い相手を選ぶことが出来る。

「お嬢様は初対面の方と――特に殿方とお話しすることこそ苦手でいらっしゃいますが、それ以外は非常に優秀な方です。教養に溢れ、ダンスを躍らせればまるで蝶が舞うよう。貴族らしく本音を隠すことも出来ます。常に夫を立てて支え、領民のために身を粉にして尽くす気概をお持ちです」
「その上、あの美貌か。俺の婚約者はどうやら魔性の女らしい」

 レイアの熱弁に軽口で返すが、男としては複雑だ。改めて、俺と婚約してくれたのは奇跡みたいな幸運だったと理解する。

 レイアはしばらくシャロンの苦しそうな寝顔を見ていたが、顔を上げて俺をまっすぐに見た。

「カルロ様。――ここへ来る前、旦那様から聞きました。お嬢様との婚約を、破棄されると」
「俺はまっっっったく承知していないがな。今も全力で足掻いてるところだ」

 目覚めないシャロンのことは心配だが、明日は学園と魔塔へ行ってアーノルドの足取りを追わなければならない。
 もう、社交シーズンの開幕まで幾許の猶予もなかった。

「どうか、カルロ様。侍女の身分でこのような願いを持つなど分不相応と承知しておりますが――何卒、アルヴィン様を助け出し、お嬢様と結婚してくれませんか」

 レイアは胸の前で手を組み、神に祈るように懇願した。

「そのためなら、可能なことは何でもします。ですから、どうか――どうかお嬢様に、貴族としての生活を強いないでくださいませ」

 震える声で縋る姿は、主を想う従者の姿ではなく――ただ、幼いころから共に過ごした友の幸せを心から願う、親友の姿だった。

「お嬢様は、出来てしまうんです。どんな家に嫁いでも、どんな人生になろうとも――どんなに危険に遭っても、理不尽に見舞われても。誇り高く毅然としていられる方です。痛みを隠して、自分を押さえて、微笑むことが出来る方です」
「……」
「誰よりも”諦める”ことを知っている方です。ご自身の幸せだって”我儘”だと諦めてしまえるような、御方なのです。周囲の幸せを己の幸せとして生きていける、そんな方なのです」

 レイアは、幼いころから一番近くでシャロンを見て来た。
 だから、わかっているのだろう。
 それが、シャロンにとっての本当の”幸せ”ではないということを。

「もしも本当に、お嬢様がフロスト家の女当主になってしまわれたら――もう二度と、薔薇を見て頬を緩ませることはないでしょう。今日はカルロ様とどこへ行った、どんな話をしたと、年相応の少女のように嬉しそうに話すお嬢様の、キラキラした瞳を見る日は来ないのです。ですがそれを――当然、と受け止めてしまう御方なのです」

 ぎゅっとレイアの手が白くなる。

「お嬢様が貴族の務めを忘れて心根に正直にいられたのは、カルロ様がいたからです。どうか――どうか――」

 懇願する侍女に、俺は深くため息を吐く。

「だから、俺は最初からそのつもりだ。俺だって、そうしたい。……決まってるだろ」

 だけど、現実は残酷で。
 明確な身分差があるこの状態で、出来ることは限られていて。

 俺は、やり切れない思いを抱きながら、レイアの懇願から逃れるように、暗くなった窓の外へと視線を投げるしかできなかった。
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