竜の器と囚われの贄姫

神崎 右京

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第六章

第59話 デビュー準備 (Side:シャロン)

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 カルロに正式な別れを告げた後の冬のタウンハウスは、忙しかった。
 なにせ、すぐそこまで社交シーズンが迫っているのだ。

「一番心配していたドレスが間に合いそうで、良かったです」

 デザイナーが帰ったのを見届けて、レイアがほっと息を吐く。
 今から新しいドレスをオーダーメイドで作る時間はない。だから、一年前に作っていたドレスをサイズ直しをして、リメイクすることになった。無理を言っても快く対応してくれた馴染みのデザイナーや仕立て屋たちには頭が上がらない。

「そうね。この半年で筋肉は少し増えたけれど、体形が変わるほどではなかったのが幸いだわ」

 レイアの言葉に、苦笑して認める。
 傭兵として活動はしていたが、肉体労働の殆どはカルロが担っていた。私の役割は魔法による核の浄化や依頼人の治癒ばかりで、護身用に習っていた剣を抜くことはほとんどなかった。苦しい鍛錬などもないまま旅に出てもやっていけたのは、カルロの圧倒的な実力があればこそだが、申し訳なく感じる。

「引き締まって健康的になられたのですから、むしろ以前よりも魅力的ですよ。きっと、今年の社交の話題はお嬢様のデビューで持ちきりです。お嬢様が参加される夜会では、貴族令息たちが列をなしてお嬢様と踊りたいと申し込むはずです」
「ふふっ……ありがとう、レイア」

 熱弁する親友に笑う。こんな行き遅れの引きこもり令嬢が、婚約者も無しにデビューするのだ。社交界で笑いものになりはしても、レイアが言うようなことにはならないだろう。彼女なりの励ましだと思いながら、受け取っておく。

 彼女にはとても感謝している。
 暗示が解けたことを告げて、社交デビューのための準備を急ぎ手伝ってほしいとお願いをしたときも、ぎゅっと唇をかみしめて複雑そうな顔をしたが、何も言わずに受け入れてくれた。
 
 私がカルロに恋をしていたことを、レイアは良く知っている。
 カルロから手紙が来たとき。花をもらったとき。ともに出かけたとき。
 貴族令嬢らしく、本人の前では微塵も本心を出さないように努めている反動のように、レイアにはいつも、二人きりの部屋の中でカルロがどんなに素敵か、どれほど愛しく思っているかを打ち明けていた。
 優しく全てを受け止めてくれたレイアの前では、年相応の少女になれた気がした。

 そんな私が、自分からカルロに別れを告げて、家の”利”になる貴族と縁を結ぶための社交デビューをしようと言うのだ。
 思うところはたくさんあっただろうに、何も言わずに受け止め、何もなかったように侍女として、親友として今まで通り振舞ってくれる優しさが胸に染みた。

「私は、本当にいつも、周囲の皆に助けられているわね」
「使用人は勿論、旦那様も奥様も、皆、お嬢様が大切なのですよ。目に入れても痛くないほどに」

 レイアの勿体ない言葉に恐縮する。私自身には何の力もないのに、分不相応に愛されている自覚はある。

 カルロと別れた直後、両親も王都に到着し合流した。
 暗示が解けたこと、カルロに正式に別れを告げたことを伝えると、一瞬だけ心配そうな顔をしたが、力強く頷いて切り替えたところは、さすが貴族だと思う。
 
 もう、カルロのことを口にする者はいない。
 私が切り替えて、前を向いているのだ。それ以上は何も言うまい、という意識が感じられた。

 レイアは呼び鈴を鳴らして休憩のための紅茶を持ってくるように依頼する。採寸や試着で疲れた私を労わってくれるらしい。
 本当に、まるで一年前の貴族令嬢としての日常が戻ってきたようだ。

 誰も、何も言わない。
 衣裳部屋のドレスの並びが知らぬ間にそっと変えられたくらいだ。
 一年前の社交デビューで着るはずだった、この国では珍しい、赤と黒がふんだんに使われたドレスは私の目に付かないように衣裳部屋の奥へと押しやられてしまった。
 
 ――私がふと目にしてしまって心をかき乱さないように、と気を回した誰かの配慮だろう。

「旦那様は、お嬢様の社交デビューを、全国の貴族が集う王家主催の夜会に決めたようです」

 レイアは、運ばれてきた紅茶を受け取って慣れた手つきで淹れてくれる。リラックスを促す香り高いハーブティーだ。
 最近、これを淹れてくれることが多い気がする。

「まぁ……そんな――大丈夫かしら……」

 思わず不安を口にする。
 私は婚約者もおらず、社交経験もない女だ。いきなりそんな大舞台を用意されて、粗相をしないかとても心配だ。
 もっと小さな夜会でひっそりとデビューをして、少しずつ慣れてからステップアップしていくものだと勝手に思っていたのに――

「悠長なことを言っている場合ではありませんよ、お嬢様。旦那様はきっと、短期決戦で縁談を纏めてしまいたいのでしょう」
「ぅ……私にそんなこと、出来るかしら」
「出来ます。私には見えます。お嬢様が大規模な夜会に一度颯爽と現れただけで、婚約希望者が殺到し、あとはどれでも好きな相手を選ぶだけ――という、未来が」
「それは言い過ぎだと思うけれど……」

 胸を張って自信満々に言ってのけるレイアに困ったように返す。
 だが、父の狙いはおおむねそのようなものだろう。
 殺到するまでに至らずとも、一番顔を売れるタイミングで売って、その後、婚約の打診をしてきた貴族の中から選んでいく。
 考えてみれば、いくら覚悟を決めたとはいえ、うまく社交が出来るかどうかなど、誰にもわからない。私も正直、自信がない。
 複数の夜会で顔を売り歩いて、一度でも悪評が立てばおしまいだ。それなら、たった一度の大舞台に全力を注いで完璧にこなし、有力候補を絞って個別に見合いをする方が合理的だと思えた。

「今年の冬はとても寒いそうですから、デビューまでお風邪など召さないよう、お気を付けくださいね」
「えぇ、そうね……」

 ふと外を見れば、王都の北風が窓を強く叩いている。
 見るからに寒そうな冬の風景に、私は瞼を伏せた。

「お兄様は……大丈夫かしら」
「お嬢様……」

 王都でさえ、こんなに冷え込む冬――温暖なフロスト領で育った兄が、厳しい北方山脈の頂上で独り凍えていないか、想いを馳せた。

「きっと、大丈夫ですよ。あのドレスを身に付けデビューをされると知れば、お嬢様のエスコートは自分がしたかったと、悔しがるはずです」
「まぁ……ふふ。そうね。お兄様は、そういう方だわ」

 リメイクをすることになったドレスは、青地に金の刺繍がふんだんに使われたもの――一年前に、社交デビューはカルロにエスコートを譲るが、絶対にシーズン中に一度は自分がエスコートをする日を作るのだと、強く主張した兄のために、兄の髪と瞳に合わせて仕立てられたドレスだ。
 今回のエスコートは、兄と同じ髪と瞳を持つ父に依頼するから、あの時兄の我儘を聞いておいてよかったと安堵したものだ。だが、兄がそれを聞けば、絶対に自分がデビューのエスコートをすると譲らないだろうことは容易に想像出来た。

「でも……そうね。お兄様が、私のデビューに文句を言う――そんな未来が、来たらいいわね」
「お嬢様……」

 私の幸せを、いつも心から願ってくれていたお兄様。真綿のように優しくくるんで、世の中の怖く苦しいものすべてから隔離した世界で過ごせるよう、取り計らってくれていた。
 
 今の私を見たら、兄は何と言うだろうか。
 立派な貴族になったと褒めてくれるだろうか。そんなことは気にしなくてよかったのにと怒られるだろうか。

 どちらでもいい。
 ――早く、懐かしい兄の声が聴きたい。

「そのためにも、早く良い殿方を見つけなければ。……レイア。貴族名鑑を取ってくれるかしら」

 紅茶のカップを置いて頼むと、レイアは少し複雑そうな顔をした後、すぐに本棚に保管されている貴族名鑑を取ってくれた。
 全国の貴族が集う夜会でデビューとなれば、事前に候補となる男性を絞り込んでおかなければいけない。時間は有限だ。出来ることは全てやっておくべきだろう。

 こうして準備に没頭しているうちは、余計なことを考えなくてすむ。
 私は、心の奥底に沈んだ哀しみと寂寥に蓋をして――分厚い貴族名鑑を、開いた。
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