白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

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 ガタガタ……。

 黒崎が3枚目のトーストを食べ始めた。パンは飽きたと言いながらも、美味しそうに食べている。

「気に入ったー?」
「昨日よりも美味いからだ。ニンジン入り、カボチャ入り、チーズ入りは美味い。九条ネギを刻んだパンは苦手だ」
「あんたはネキが好きじゃん。試してみたんだよ。食べ切っただろー?」
「勿体ないからだ」
「ちゃんとしてるよね~。子供の頃から……」
「普通のことだ」

 黒崎は行儀がいい。食べ物の好き嫌いもない。不味いと言いながらも残さない。物を大事に使うし、扱いも丁寧だ。誰が教えてくれたのかな?お義父さんではないようだ。

「小さい頃の話を聞きたいんだ。行儀のことは誰に教わったんだよ?お義父さんもママも、一緒に食べなかったんだよね?どうやって身に着いたの?」

 今更になって浮かんだ疑問だ。彼は6歳でこの家に来た。拓海さんから習えるだろうが、もっと小さい頃から習慣になっている気がする。脱ぎ散らかすのに、ハンカチの畳み方はキチッとしている。小学校入学前の子が、いきなりやりたがらないだろう。

「あの人から教わったはずだ。この家に来てからは、お手伝いさんから教わった。拓海兄さんからもだ」
「そうなんだ。ママが……」
「思い出したところで寂しいだけだ。封印してどこかに置いていた。やっと開封できた。デート相手には悪いが、母のことが引っかかっていたはずだ」
「ママって呼ばないの?可愛いのに」
「あのなあ……」

 ママが“お母さん”だと理解したのは、なんと小学一年生になった後だったそうだ。いくら何でも気づくだろう?友達の家に遊びに行っていたし、近所の人にも会っていたのに。不思議だと思った。

 今でこそ彩り豊かなお弁当のような人になったが、昔はそうでなかった。それでも、ピアノの音色は感情がこもっていた。

 今度はため息をついている。その横顔に見惚れてしまった。意外とまつ毛が長くて、伏せがちにした目元に影を作っている。思案顔の時とは違う表情だ。

「うひゃひゃ。ボーっとしてるじゃん。俺の前だけだよね?」
「おい……」
「いたっ、ひゃひすひゅるんひゃよ~、ひゃなひぇひゃー。ひゃっひぇー、ひゃわひひんだよ」
「可愛いとは言われたくない」
「いたい、うっうっ、痛いだろー」

 頬をつねられた挙句に、ピンと指先で弾かれてしまった。けっこう痛かった。久しぶりにやられたから耐性が弱くなり、いっそう痛みが増している。

「すまない、見せてみろ。……赤くなっている」
「うっうっ。痛いよ……」

 半分嘘泣きだ。しんみりした空気を消したくてやっている。目元に当てた指の隙間から、オロオロしている姿をチラッと見た。そろそろ泣き止んであげよう。手を外して顔を上げると、スッと指先で触れられた。マジで心配そうな目をしている。

「黒崎さん……、平気……え?」
「泣き止んでくれないか?」

 テーブル越しに近づいてきて、優しく頬にキスをされた。ビックリして動けないでいると、額にも押し当てられた。至近距離で見つめられて鼓動が強く打った。

 真っ赤になった顔を見せたくないから、うつむいた。黒崎は何も言わない。そのまま無言でうつむいていると、そっと顎を持ち上げられた。

 ドキン……。

 胸の鼓動が高鳴った。見つめ合っているだけの話なのに?ほんの軽いキスをされただけなのに?普段のイヤラしい人でなくなったからかな?至近距離のまつ毛が揺れている。俺の心が揺さぶられた。

「黒崎さん……」
「これで許してくれ」
「ん……」

 優しく唇にキスをされた。何度も押し当てても深くならない。触れるだけのキスだ。さらに目尻や頬にも重なっていく。耳の下に添えられた手に撫でられて、胸がキュンとした。

「黒崎さん……、もっと……」
「……嘘泣きはやめろ」
「嘘泣きじゃないよ~っ」

 久しぶりの甘さだから期待したのに。唇を尖らせて文句を言い返すと、笑い声が聞こえてきた。意地悪なものではない。

「……悪い子だ。騙された」

 ドキン。また胸の鼓動が高鳴った。すっかり翻弄されてしまい、居たたまれない気分だ。真っ赤になっている俺を見て、黒崎が優しく笑ってくれていた。
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