白い雫の天使~親愛なる人への旋律

夏目奈緖

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 23時。

 寝室のベットに寝転がって、今日のことを振り返った。一時間前に、お義父さんの家から戻ってきた。さすがにこの時間は記者はいなかった。黒崎が対面して断ったからだろう。あの後の長谷部さんからの連絡では、バンドのスケジュールのみ聞かされた。

「はあ……。いけない。ぐーーっと……」

 また猫背になりそうだ。背筋を伸ばして深呼吸をした。たしかに息が吸いやすいし、前向きな気持ちになれた。わずかなものでも、今の自分にとっては大きなものだ。

 黒崎は書斎で資料を読んでいる。俺のいないところで泣くな。そう言っていた。自分も何かしたい。大学は4月まで休みだから、レポート課題も試験もない。他のことをやろう。

「俺の前で泣けって。愛されているな~。何がいいかなあ。あ、そうだ。今のうちに……」

 なにかと世話になっているノートがある。村山先生から教わったことが詰まっている。経営者側としての危機管理や、その考え方のレクチャーだ。その中には、ホッとすることも書いてある。

「……自分を信じられるようになれ。悪口を言わないこと。余計なことを言わない。それが信用される一歩……。いいこともあれば悪いこともある。うーん。黒崎さんがやっていることだなあ……」

 黒崎は余計なことを口にしない。家の中でも、仕事相手の悪口を聞いたことがない。せいぜい、お義父さんのことを ”クソ親父”、深川さんを ”タヌキ親父" と言っている程度だ。子供の頃から身に着けたのだろう。お義父さんも同じだと思う。会話がなくても似ている。

「そっくりだもんねえ。えーっと。メディアからの取材のケースは……」

 記者からの質問の答え方だ。勉強しても実践が難しい。数をこなせるほどの問題は起きない方がいい。黒崎に任せるのがベストでも、今回の道すじだけは覚えたい。

「シンプルに。メディアは感情的になる。不祥事や事故のケースは。ゴシップも同じだったな……」

 メモ付箋を取りに行こうと立ち上った。ふっと影が出来たから見上げると、黒崎が立っていた。全く気付かなかった。さらにカーディガンを羽織らされた。冷えているぞと苦笑しながら。

「眠れないのか?」
「それもあるよ。あんたが前倒しで仕事しているから、俺も何かしたい。このノートはね。村山授業の分だよ。メディア対応のコツ、前向きなキーワードが入っているんだ。読み返していたよ」
「そうか。見せてくれ……」

 どんな授業なのかは詳しく話していない。こんな話だよという、大まかなものだ。黒崎の方も聞いてこない。教師役がいるのは有難いとだけ言っていた。

「さすがに詳しい。これは内情を知っているぞ。踏み込んでいる」
「……どこどこ?週刊誌のスケジュール表だねえ。これを教えてくれた時ね……」
「その他にある。探してみろ」
「どれだろ?どれもなあ……。初めて知るやつだったし……」

 同じノートを眺めているから、肩同士が触れあっている。温かいから気持ちがいい。黒崎の匂いも感じられるから、一人で読んでいる時よりも気分的に違う。不思議と猫背にならない。

(黒崎さんにベッタリしているってことかな……)

「記事を出せない時は、デスクさんの方でストップがかかるんだって。……これは困った。記事がない。入稿まで間もない。だから変な記事を出すんだよ。女性物の下着だけを身に着けて、近所をウロついた人がいるとかさ。早朝のゴミ出し時間にって……。どこにでもいるだろ?」
「中山のお母さんが話してくれたな。近所の人だったそうだな」
「お母さんも見たんだよ。大きな記事になったから呆れていたよ。他にネタがなかったのかなー?って。勤務先の上層部が会見を開いて、社内研修を深めてまいりますって言っていたよ」
「誰もが思うことだ。それでも読みたくなるものだ」
「これも経済が回ってる一部だし、大事な記事もあるもんね。ゴシップは売れるから……」

 記者の取材、謝るタイミング、その方法。黒崎も知っていることが多いから、ポイントで教えてくれた。

「大丈夫だ。俺がいる」
「うへへ。頼りになるね」
「親父はもっと頼りになる。話してやってくれ。モヤモヤしている気持ちを」
「話してるよ?けっこう」
「俺とは違うものだ。こういう時は、思い切り頼ってもらいたがっている」
「うん……」

 またひとつ、黒崎の変化を発見した。俺だけに頼れと口にしていたのに、俺の背中を押してくれている。忘れるなという言葉を添えて。

 黒崎は、自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手な人だ。それは俺も同じだった。両方が上手な状況よりも、デコボコしている方が面白いと思う。

 ノートに視線を落としながらも、黒崎が背中を撫でてくれている。この手の温かさが、心まで温めてくれた。もっと近づきいて体温を感じたい。いつものように甘えたい。ぎゅっと抱きついて、黒崎の頬にキスをした。

「黒崎さーん」
「どうした?」
「好きだよ」
「……」
「何を照れているんだよ?んん……」
「……」

 告白のお返しにキスをもらった。かるく啄むものから、深いものに変わった。唇を重ねては、お互いの気持ちを伝えあう。そういうキスを交わした。

「これで何回目のキス?」
「さすがに覚えていない」
「思い出に残っているものは?俺はねえ。あんたから告白された3日後の、やり直しのキスだよ。教会で結婚式をしたときの、誓いのキスも」
「俺にとってはどれも大事だ」
「覚えていなんだろ~?今まで何回キスしたっけー?インパクトに残っているものはー?」
「さすがに数えていない。印象に残っているのは、沙耶からのやり直しのキスの上書き。初めて乗った観覧車の中。教会でのキス。ありすぎて他は忘れた」
「俺はどんなキスだって忘れないよ。忘れたいやつでもね?」
「忘れたいものは?」
「色々ありすぎて、思い出すのが面倒だよ~」

 噛み付くようにキスをした。その後、俺たちの間では言葉は必要なかった。
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