青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖

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 黒崎達が俺達の側までやってきた。そして、リュックサックを背負っている南波さんの手には駅前で売っている厚焼き玉子サンドの店の紙袋が下げられていて、お土産なのだと言った。

「南波さん!ごめんね!ありがとう!」
「いいんだよ。辛子マヨと普通のマヨ入りの分を買ってきたよ。すごいね。あの店。僕が8時45分に着いたら、もう店の前に10人ぐらい人が並んでいたよ。道路のそばに大きな車で来ている人が待っていてさ。女優さんを車に乗せていたよ。助手席に乗っていたから分かったんだ。誰だったかなあ。名前は思い出せないんだ」
「ああーー、本当に流行って来たんだなあ……」

 その話を聞いて、あることを思いだした。厚焼き玉子サンドはテレビ番組の収録の差し入れや昼食に出されることが増えて、マネージャーさんなどが買いに訪れることがあるのだという。特に遠藤さんが差し入れにすることが増えて、この商品がさらに流行りだした。

「あ、思い出したよ。葉月優衣さんだったよ。あの女優さん……」
「ああーー、大御所の……」

 その名前を聞いて、胸の奥がチクチクした。黒崎の元デート相手だからだ。黒崎のことを追いかけて、都内に家があるし、仕事現場では都内に住んでいた方が便利だと思うのに、わざわざ黒崎ホールディングスのあるビルのそばにあるマンションに引っ越してきた人だ。年齢は47歳だったと思う。大御所と言えばもっと年上の人になるのだが、わざと俺はそう表現してしまった。

 俺がデビューした後、彼女とは何も接点がなかったわけでは無い。向こうに居るときには俺は彼女と直接会っていないが、俺の名前を知っていた人だった。しかし、バンドでデビューしたとまでは知られていなくて、テレビ番組の収録で訪れたテレビ局でばったり遭遇し、挨拶を交わした。

 俺の方が芸歴が短いのは当然のことで、もちろん俺は挨拶するのを拒まなかった。そばにいた長谷部さんには随分と前に、芸能界にいる人で、何人かは黒崎と接点があるのだと伝えていた。長谷部さんはそのことを覚えていた。だから、さりげなく歩いている方向を変えようとしたら、向こうのマネージャーさんが先に俺達のことに気づき、歩いてきたわけだ。挨拶しないわけにはいかない。

 そこで俺は挨拶し、葉月結衣さんは最初は俺のことは分からなかった。そして、数分の立ち話の最中に、黒崎のことを思い出したようで、ハッとした顔になった。思い出したぐらいで良かったと思った。もう忘れていたぐらいがいい。元デート相手で、追いかけてまで来た人に会うなんて、とても気まずいからだ。

 そして、その直後に久弥が俺のそばに来て、空気が変わった。葉月結衣さんとマネージャーさんが、あっという顔をした。そして、緊張感が伝わってきた。久弥はヒットソングを連発してきた人であり、IKUというレコード会社で上層部に入る言われている人で、本人にもそのつもりがあり、フランクな感じからは想像できないぐらいに、この世界に力を持っている人だからだ。

 久弥はたった一人でデビューという階段を上り、バンドを立ち上げてディアドロップという名前を付けた。そのバンドは大きくなり、テレビコマーシャルにも楽曲が使われて、ソロデビューでもヒットソングを出した。そして、彼の元に集まる先輩後輩は数多く存在し、ギターの演奏技術も楽曲も素晴らしくて、慕う人が多い。

 久弥の方から、葉月結衣さんですよねと声を掛けたことで二人の緊張が解けて、空気が柔らかいものに変わった。そして、また立ち話をして、またどこかでお会いしましょうという挨拶で終わった。葉月結衣さんはこれから海外に行くそうだ。演劇の稽古のためだと言われている。しかし、もしかしたら、もう芸能界には戻ってこないかも知れないと言われているし、今もその状況だと、長谷部さんから聞いてある。

 日本ではやることがなくなった。それが引退まで考える理由なのだそうだ。俺としては、最後は打ち解けたかった。しかし、あの時の彼女の眉がひそめられていたことから、それはもう無理なのだと分かった。

 もちろん、この話は黒崎に報告済みだ。黒崎としては彼女との話し合いは済んでおり、もう何も話すことはないし、俺がばったり遭遇したとしても、眉をひそめられる理由は無いのだと言っていた。

 どこかで誰かと誰かが付き合っている、デートしている。そんな人間関係の中、敵対とまでは言わないが、気まずい思いをすることだってある。それは黒崎と一緒に過ごす中で嫌というほど経験してきたことだ。しかし、どの人とも笑って手を振り合いたいと思っている。こんな人、フッて良かったのだと。
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