934 / 938
25-38(黒崎視点)
しおりを挟む
15時。
副社長室にいる。母に十数分前に電話をかけたのだが、あいにく来客中であり、社長室を不在にしていた。そこで、伝言を依頼し、15時に電話をすることを伝えてもらった。
この副社長室の空気は妙に重く澱んでいる。壁一面の窓から射し込む光は、秋の気配を帯びて白く、ブラインドの隙間から線を描くように机の上を切り取っていた。昼の来客対応を終え、ようやく一息ついたはずなのに、胸の奥には濁った何かが沈んでいる。
机の上には一枚のメモを置いてある。朝陽から報告された親子鑑定の結果だ。――父親:谷本誠太、99.9%と書いてある。谷本と初めて会った4日前のことを思い出した。谷本はスーツ姿で現れた。そして、俺にこう言った。高校の入学式で朝陽君に会ったときに、ひどく驚きましたと。自分に似ていると思ったんです。顔のつくりも、目の形も。最初は気のせいだと思っていたのですが、朝陽が“倉口”という苗字だと知って、ようやくすべてが繋がりましたと。
俺はその言葉を聞いた瞬間、全身の血が音を立てて引いていくのを感じた。母の過去ーーもう終わったと思っていたであろう出来事が、再び姿を現したのだと感じた。
その後のやり取りは簡潔だった。谷本は自分の立場をわきまえており、倉口の粗暴なふるまいにも声を荒げることもなかった。ただ、教師として、そして一人の男として、”真実を知りたい”とだけ言った。その穏やかさが、かえって俺は恐ろしく思えた。そして、今、結果は出た。
スマートフォンを取り上げ、通話リストから母の名前を選んだ。そして、呼び出し音が二度鳴ったところで、少し緊張した声が応えた。
「圭一。ごめんなさい。電話をもらっていたのね。今、いいの?お仕事中でしょう?」
母の声は穏やかで、少し芝居がかったようだと感じた。この人は、罪を罪のままに受け止めない。どんな過ちも、時間とともに“思い出”に変えてしまう。そんな気がしている。
「ああ、仕事中だ。だが、話しておかなければならないことがある。あんたの方こそ、仕事中だろう」
「ええ、いいの。あなたこそ忙しいのはわかってるけど、今日はどうしても結果を聞きたかったの」
俺は浅く息を吐いた。母の声には、やはり罪の影がなかった。まるで“久しぶりに旧友の噂を聞く”かのような、明るい響きすらあった。
「結果が出た。父親は谷本誠太。99.9%だ」
「やっぱり……、そうだったのね」
母の声は、少しだけ息を含んでいた。だが、それは驚きでも恐れでもなく、長年気になっていた答え合わせを終えた人の声だった。
「谷本さんと倉口にはこれから報告してくれるの?」
「ああ。これからだ。夜まで待たなくてもいいだろう。谷本さんは昼間でいいと言っていた」
「どうだった?検査の時の谷本さんの様子は」
「驚くほど落ち着いていた。……ただ、教師としての立場で話していたようだった」
「谷本さんらしいわ。そういう人なの」
その言葉を聞き、息をついた。母の声の軽やかさが、胸の奥を苛立たせた。母は、過去の出来事を“恋”という言葉で上書きしてしまう。どんな裏切りも、美談に変えてしまうのだろう。
「あんたは後悔していないのか」
「ええ。少しはあるわよ。けれどね、あの頃は倉口とうまくいってなかったの。寂しかったのよ」
「寂しさで自分の家庭を壊そうとしたのか。谷本さんにも壊させようとしたんだぞ」
「壊していないわ。私はただ、ほんの少し息をしてみたかっただけ」
俺が沈黙すると、母がかすかに笑う気配がした。その笑いは自嘲ではなく、思い出を懐かしむような音だった。
「あなた、本当にお父さんに似てきたわね。そういう冷たい言い方をするところ」
「冷たいのはあんたの方だ。朝陽に真実を伏せたまま、22年も過ごした」
「でも、倉口は良いお父さんだったわ。私が黙っていたからこそ、平和だったのよ」
「平和、か……」
俺は目を伏せ、机を見つめた。母の言葉の一つひとつが、空虚に響く。母にとって“平和”とは、罪が見えないことを意味している。
「谷本さんは覚悟を決めていたようだ。自分が父親だと確信していたと言っていた」
「そうでしょうね。……あの人、きっと私に似てるのよ。決めたことは曲げないの」
「似てほしくない部分だ」
「ひどい言い方。でも、あなたらしいわ」
俺は自然と笑みが浮かんだ。それは、乾いた笑いだった。この人には怒りをぶつけても無駄だと知っている。母は自分の過去を悲劇にも罪にもできず、“思い出”として抱えてしまう。
「これから谷本さんとも話す。朝陽の将来のことを考えないといけない」
「そうね。あの子が混乱しないようにしてあげて。……私はもう、出しゃばらない方がいいわね」
「その方がいい」
「わかってるわ。私は昔から、後始末が下手だから」
電話の向こうで、母が小さく息をついた。それは反省のため息ではなかった。ただ、懐かしい秘密を思い出して微笑むような、軽い音だった。
「圭一、ありがとう。教えてくれて。……これで、ようやく落ち着けるわ」
「あんたはそれでいいかもしれない。だが、俺は違う。朝陽にも、もう逃げ場はない」
「あなた、その言い方が、お父さんそっくり」
「勝手に谷本さんに連絡を取るな。そうしたいときは復縁したいときだけにしてくれ。俺が動く」
「ええ。わかったわ」
俺は静かに電話を切った。その瞬間、副社長室に静寂が戻った。ブラインドの隙間から光が斜めに差し込み、机の上に伸びた影がゆっくりと動いた。胸の奥には、重たい疲労が残っている。母を責めたいわけではない。母ひとりが悪いわけではない。ただ、母の無自覚な明るさが、どうしようもなく痛かった。
もう、母に任せていては前に進めない。俺は立ち上がり、窓の外の白い空を見上げた。遠くでビルの陰が長く伸び、秋の風が街を撫でていく。スマートフォンを取り上げ、谷本の名前を見つめた。そして、連絡先をタップした。
副社長室にいる。母に十数分前に電話をかけたのだが、あいにく来客中であり、社長室を不在にしていた。そこで、伝言を依頼し、15時に電話をすることを伝えてもらった。
この副社長室の空気は妙に重く澱んでいる。壁一面の窓から射し込む光は、秋の気配を帯びて白く、ブラインドの隙間から線を描くように机の上を切り取っていた。昼の来客対応を終え、ようやく一息ついたはずなのに、胸の奥には濁った何かが沈んでいる。
机の上には一枚のメモを置いてある。朝陽から報告された親子鑑定の結果だ。――父親:谷本誠太、99.9%と書いてある。谷本と初めて会った4日前のことを思い出した。谷本はスーツ姿で現れた。そして、俺にこう言った。高校の入学式で朝陽君に会ったときに、ひどく驚きましたと。自分に似ていると思ったんです。顔のつくりも、目の形も。最初は気のせいだと思っていたのですが、朝陽が“倉口”という苗字だと知って、ようやくすべてが繋がりましたと。
俺はその言葉を聞いた瞬間、全身の血が音を立てて引いていくのを感じた。母の過去ーーもう終わったと思っていたであろう出来事が、再び姿を現したのだと感じた。
その後のやり取りは簡潔だった。谷本は自分の立場をわきまえており、倉口の粗暴なふるまいにも声を荒げることもなかった。ただ、教師として、そして一人の男として、”真実を知りたい”とだけ言った。その穏やかさが、かえって俺は恐ろしく思えた。そして、今、結果は出た。
スマートフォンを取り上げ、通話リストから母の名前を選んだ。そして、呼び出し音が二度鳴ったところで、少し緊張した声が応えた。
「圭一。ごめんなさい。電話をもらっていたのね。今、いいの?お仕事中でしょう?」
母の声は穏やかで、少し芝居がかったようだと感じた。この人は、罪を罪のままに受け止めない。どんな過ちも、時間とともに“思い出”に変えてしまう。そんな気がしている。
「ああ、仕事中だ。だが、話しておかなければならないことがある。あんたの方こそ、仕事中だろう」
「ええ、いいの。あなたこそ忙しいのはわかってるけど、今日はどうしても結果を聞きたかったの」
俺は浅く息を吐いた。母の声には、やはり罪の影がなかった。まるで“久しぶりに旧友の噂を聞く”かのような、明るい響きすらあった。
「結果が出た。父親は谷本誠太。99.9%だ」
「やっぱり……、そうだったのね」
母の声は、少しだけ息を含んでいた。だが、それは驚きでも恐れでもなく、長年気になっていた答え合わせを終えた人の声だった。
「谷本さんと倉口にはこれから報告してくれるの?」
「ああ。これからだ。夜まで待たなくてもいいだろう。谷本さんは昼間でいいと言っていた」
「どうだった?検査の時の谷本さんの様子は」
「驚くほど落ち着いていた。……ただ、教師としての立場で話していたようだった」
「谷本さんらしいわ。そういう人なの」
その言葉を聞き、息をついた。母の声の軽やかさが、胸の奥を苛立たせた。母は、過去の出来事を“恋”という言葉で上書きしてしまう。どんな裏切りも、美談に変えてしまうのだろう。
「あんたは後悔していないのか」
「ええ。少しはあるわよ。けれどね、あの頃は倉口とうまくいってなかったの。寂しかったのよ」
「寂しさで自分の家庭を壊そうとしたのか。谷本さんにも壊させようとしたんだぞ」
「壊していないわ。私はただ、ほんの少し息をしてみたかっただけ」
俺が沈黙すると、母がかすかに笑う気配がした。その笑いは自嘲ではなく、思い出を懐かしむような音だった。
「あなた、本当にお父さんに似てきたわね。そういう冷たい言い方をするところ」
「冷たいのはあんたの方だ。朝陽に真実を伏せたまま、22年も過ごした」
「でも、倉口は良いお父さんだったわ。私が黙っていたからこそ、平和だったのよ」
「平和、か……」
俺は目を伏せ、机を見つめた。母の言葉の一つひとつが、空虚に響く。母にとって“平和”とは、罪が見えないことを意味している。
「谷本さんは覚悟を決めていたようだ。自分が父親だと確信していたと言っていた」
「そうでしょうね。……あの人、きっと私に似てるのよ。決めたことは曲げないの」
「似てほしくない部分だ」
「ひどい言い方。でも、あなたらしいわ」
俺は自然と笑みが浮かんだ。それは、乾いた笑いだった。この人には怒りをぶつけても無駄だと知っている。母は自分の過去を悲劇にも罪にもできず、“思い出”として抱えてしまう。
「これから谷本さんとも話す。朝陽の将来のことを考えないといけない」
「そうね。あの子が混乱しないようにしてあげて。……私はもう、出しゃばらない方がいいわね」
「その方がいい」
「わかってるわ。私は昔から、後始末が下手だから」
電話の向こうで、母が小さく息をついた。それは反省のため息ではなかった。ただ、懐かしい秘密を思い出して微笑むような、軽い音だった。
「圭一、ありがとう。教えてくれて。……これで、ようやく落ち着けるわ」
「あんたはそれでいいかもしれない。だが、俺は違う。朝陽にも、もう逃げ場はない」
「あなた、その言い方が、お父さんそっくり」
「勝手に谷本さんに連絡を取るな。そうしたいときは復縁したいときだけにしてくれ。俺が動く」
「ええ。わかったわ」
俺は静かに電話を切った。その瞬間、副社長室に静寂が戻った。ブラインドの隙間から光が斜めに差し込み、机の上に伸びた影がゆっくりと動いた。胸の奥には、重たい疲労が残っている。母を責めたいわけではない。母ひとりが悪いわけではない。ただ、母の無自覚な明るさが、どうしようもなく痛かった。
もう、母に任せていては前に進めない。俺は立ち上がり、窓の外の白い空を見上げた。遠くでビルの陰が長く伸び、秋の風が街を撫でていく。スマートフォンを取り上げ、谷本の名前を見つめた。そして、連絡先をタップした。
0
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
黒獅子の愛でる花
なこ
BL
レノアール伯爵家次男のサフィアは、伯爵家の中でもとりわけ浮いた存在だ。
中性的で神秘的なその美しさには、誰しもが息を呑んだ。
深い碧眼はどこか憂いを帯びており、見る者を惑わすと言う。
サフィアは密かに、幼馴染の侯爵家三男リヒトと将来を誓い合っていた。
しかし、その誓いを信じて疑うこともなかったサフィアとは裏腹に、リヒトは公爵家へ婿入りしてしまう。
毎日のように愛を囁き続けてきたリヒトの裏切り行為に、サフィアは困惑する。
そんなある日、複雑な想いを抱えて過ごすサフィアの元に、幼い王太子の世話係を打診する知らせが届く。
王太子は、黒獅子と呼ばれ、前国王を王座から引きずり降ろした現王と、その幼馴染である王妃との一人息子だ。
王妃は現在、病で療養中だという。
幼い王太子と、黒獅子の王、王妃の住まう王城で、サフィアはこれまで知ることのなかった様々な感情と直面する。
サフィアと黒獅子の王ライは、二人を取り巻く愛憎の渦に巻き込まれながらも、密かにゆっくりと心を通わせていくが…
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
守り守られ
ほたる
BL
主治医 望月診療所の双子医師
患者 瀬咲朔
腸疾患・排泄障害・下肢不自由
看護師
ベテラン山添さん
準主人公 成海真幌 腸疾患・排泄障害・てんかん
木島 尚久 真幌の恋人同棲中
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
きっと必ず恋をする~初恋は叶わないっていうけど、この展開を誰が予想した?~
野々乃ぞみ
BL
渡辺 真詞(わたなべ まこと)は小さい頃から人ではないモノが見えた。
残念ながら話もできたし、触ることもできた。
様々なモノに話しかけられ、危ない目にもあってきた。
そんなとき、桜の下で巡(めぐる)に出会った。
厳しいけど優しい巡は特別な存在になった。
きっと初恋だったのに、ある日忽然と巡は消えた。
それから五年。
地元から離れた高校に入った十六歳の誕生日。
真詞の運命が大きく動き出す。
人とは違う力を持つ真詞が能力に翻弄されつつも、やっと再会した巡と恋をするけど別れることになる話。(前半)
別れを受け入れる暇もなくトレーニングが始まり、事件に巻き込まれて岬に好かれる話。(後半)
・前半 巡(人外)×真詞
・後半 岬(人間)×真詞
※ 全くの別人ではありませんが、前半と後半で攻めが変わったと感じるかもしれません。
※ キスを二回程度しかしないです。
※ ホラーではないつもりですが、途中に少し驚かすようなシーンがあります。ホラーのホの字もダメだという方は自己判断でお願いします。
※ 完結しました。遅くなって申し訳ありません。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる