聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 16時。

 桑園さんが宿泊しているホテルへ移動しているところだ。後部座席を片づけておいたから、すぐに桑園さんが乗り込める。今日の荷物が多いそうだ。

 もうすぐで到着する。車が湾沿いを離れて車線変更をした。近道を走っているようだ。時間まで余裕があるのに。早瀬は笑顔を浮かべているが、妙にイラついている気がする。どうしてだろう?するとその時だ。ラインの着信が鳴った。島川さんからだ。

「あ、ラインだ。島川さんから……」
「何て書いてある?」
「えーっとね……。忘れ物だー。俺のペンだよ」

 いつでも楽曲のフレーズを書けるように、ノートとペンを持ち歩いている。パズルを解いたときに使った。早めに取りに行った方がいい。向こうが気にするだろう。

(気にするタイプだと思う。グイグイくるけど……)

 今日話して分かった。失敗するのを怖がっているようだ。俺と似ているから、そう感じるだけか?モデル起用のことに絡めて母の話をしたときには、沈んだ顔をされた。モデルを引き受けるのは、お母さんのためか?と呟いていた。もちろんそれも理由だと、正直に答えた。

 島川さんはお母さんと上手くいっておらず、俺のことを心配していた。いい距離を保っているから、今は平気だと説明してあるのに。

(まだ大学生だからかな?裕理さんが説明すれば、納得するかな?)

 骨折したことは、お母さんには黙っているそうだ。出来るだけ関わり合いになりたくないようだ。それを聞いた時には胸が痛くなった。

 ああまで話してくれるのは、俺と似ているからだ。20歳と44歳という年齢差がある者同士だが、不思議と気が合う。早瀬とも仲が良いから安心できる。危ない人には近づかさないからだ。

「悠人。俺が仕事帰りにペンを取りに行く。明日でも構わないだろう?」
「うん。今日みたいに話してきてよ。退屈していると思うから」
「えらく気を遣っているな」
「それはそうだよ。お母さんの取引先だし、裕理さんとも仲がいいもん。俺も好きだし」
「そうか……」
「え……?」

 一瞬で空気が変わった。ヒヤッとするものだ。嫉妬されたのか?どうすればいいのか、加減が分からない。友達になれないのか?機嫌を悪くされるのは理不尽だ。失礼のないように振舞った結果だ。手を繋いだり、二人だけで出かける約束をしたりすれば問題だ。

「裕理さーん。イラつくのはやめろ……。もう……」

 さらに車が右折して、広場のそばに停車した。先に文句を口にした。早瀬はハンドルにもたれ掛かるようにして、前方を見ていた。”落ち込んでいるスタイル”といえる。

 俺の方が慰めるパターンになった。ポンポンと背中を叩いて、撫でてやった。ついでに頭も。全く動かないから心配になってきた。こっちが妬いた時には素早くフォローされる。今は反対の立場だが、やり方が思い浮かばない。謝りたくもない。

「もう……」
「モウモウ言ってくれたのか。よかった」
「もうーっ。落ち込むなら文句を言えよー、んん……。人がいるから……」

 だったらこうしようと、ダッシュボードからファイルを取り出した。俺たちの前に覆って、フロントガラス越しに見えないようにされた。

 顔が傾き、キスの角度になった。片手で押さえているから、逃げ出すことはできるが、今はそうしたくない。そっと目を閉じて待った。仲直りしようと囁かれて、触れ合った。

 啄むようなキスから深く変わり、濡れた音が聴こえ始めた。これに弱くて、背中がゾクゾクする。半袖の腕には鳥肌が立った。見えていないはずなのに、腕に触れられた。

「鳥肌が気持ちいいよ。ごめんね。余裕のない男で……」
「もう……。どうしてだよー?」
「愛しているからだ。捨てられたくないし、盗られたくない。どうすれば、俺のことだけ見てもらえる?君は人気者で、誰かに連れて行かれている」
「しかたないなー」

 抱きつかれたから、ファイルが落ちてしまった。これで丸見えになった。今は緊急事態ということにしよう。人工呼吸のようなものだ。早瀬の頬を両手で包み込み、自分の方からキスをした。濃厚なものは難易度が高いため、優しく触れるだけだ。

「悠人、愛している」
「俺もだよ。んん……んん……」

 何度か繰り返していると、両手首を掴まれて、シートに押し付けられた。すごく優しい時間と、唇の触れあいが始まった。

 心が頑なになっていたのは、俺も同じだ。身体がぽかぽかと温かくなり、車内に漂っていた空気さえも変化した。そっと離れた後、お互いに照れ笑いをした。ごめんなさいと、声を合わせて謝りあった。
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