聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 22時。

 一時間前から楽器部屋に籠っている状況だ。早瀬は書斎で仕事をしている。一緒に居ろと捕獲されたが、ギターを弾きたいから逃げてきた。

 もしも島川さんから連絡が入れば教えると言っているのに、晩御飯の後も張り付かれた。しかも、拗ねた顔までしていた。もちろん喧嘩になり、距離を置いて怒りを冷却している。あくまでも俺だけがだ。
 
「ゆうとー、おいで」
「やだー。まだ弾くから……」

 早瀬は気にしていない。楽器部屋を覗きに来ては、こうして呼ばれている。謝れば行くというのに、それはしないと言われた。頑固な人で困っている。

 来月のコンサートまで一か月だ。練習を重ねておきたい。総観客数は7500人だ。チケットは完売した。今回のスポンサー企業には、プラセルの名前が加わった。

 夏樹もモデルに起用されるかもしれない。島川さんが話していた理由は、桑園さんが新しくデザインした、”赤い着物” を着せたいということだ。

「着物が好きなんだなーー」

 俺達のデビューステージの動画を観て、感動したそうだ。自分も生まれ変われたらいいなと。ふとした時に出てきた言葉だった。島川さんとは、短い時間の中で、色んな話をした。色々と溜まっているようだ。黒崎家の中では馴染めないのだろうか。

 ラインを開き、島川さんとのやり取りを眺めた。高校時代の200メートル走の話をした時が面白かった。ぶっちぎりのトップでゴールした直後、フライングが発覚してやり直しになった話をすると、島川さんが笑っていた。その反応を見て、彼の性格が出ていると思えた。

(……スタートを切った後、ライバルがつまづいたことがある。ラッキーだと思った。そういう自分が嫌いだった)
(……同じ経験があります。かっこ悪いなって。自分のことを)

 思い出していると、黒崎さんのことが思い浮かんだ。メールでのやり取りが大半だ。長文になりつつ、何度も送り合っている。島川さんと同じ感覚だ。

 早瀬は妬かない。可愛がって貰えと言って、笑っていた。本音では妬いてほしくて、独占欲が嬉しかった。度を過ぎれば釘を刺せばいい。そうでないと、心おきなく妬けないからだ。俺の前では余裕を無くすというが、そうだろうか?手のひらで転がされている気がする。

「あ、島川さんからラインだ。え?食事にって……」

 島川さんとは連絡を取らない約束をした。さっきの件も、早瀬が話しておくと言っていた。まだなのかな?もちろん返信しない。早瀬に見せに行こうとすると、また入った。読んだ瞬間、驚いた。立て続けに3通も入ったからだ。

「送信ミス?ふむふむ?違うなー。文章を変えてあるから、送信ミスじゃないよね。食事の誘いだなー。え?『君のことが好きになった。早瀬君がいても構わない。見ているだけ』……って。どうしよう。俺が余計なことをしたんだ……」

 佐久弥からの忠告が、頭の中で再現された。早瀬との方が仲がいいと思い、警戒していなかった。実際に会ったのは数回だ。二人で歩く程度はあった。しかし、この文面を読むと、俺の勘違いとは思えない。どうすればいいのか。

「夏樹に話そう。引っかかるって……」

 島川さんには、居心地の悪い思いをさせたくない。現実として世話になっているから、不義理なことは出来ない。早瀬との件は別問題だと思う。

 黒崎さんに伝わるのは間違いない。かえってその方がいい。黒崎家のことだから、いい方法を取ってもらえそうだ。この時間は起きていると思う。

 まず先にラインを送った。電話で話したいとシンプルに。返事を待っていようとスマホを床に置いたところで、電話が掛かってきて驚いた。

 背中や肩がずしっと重くなった。早瀬に黙って動いている罪悪感と、穏便な方向で進んでほしいという思いからだ。プレッシャーを感じている。

「……もしもし。こんな時間にごめんね」
「まだ大丈夫だよ。いつも話しているじゃん。ゆうとー。どうしたんだよ?」
「いきなり話すけど……。島川社長から聞いたモデルの話だよ。やらせてもらいたいけど、なるべく社長には会いたくないんだ」
「何かあった?まだ数えるぐらいしか会ってないよね?」
「会ったのは5回ぐらいだよ。ちょっと引っかかるんだよ……」

 夏樹がため息をついた。早瀬さんに内緒にしているだろう?と。もちろん正直に答えた。好意で食事に誘ってもらったが、二人きりというのが引っかかることも正直に伝えた。
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