聖なる雫の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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16-6(悠人視点)

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 19時。

 俺達の居住区である8810号室のキッチンに立ち、筑前煮を温めている。さっきまで父が訪ねて来ていた。宮田さんが作った料理を差し入れするために。

 これが毎週の恒例になった。うちは洋食が多いからと、和食を作ってくれている。早瀬の手作りのドレッシングや、スパニッシュオムレツと物々交換している。

 2年前と比べると父が変化した。俺の世話を焼きたがり、いい意味で口出しするようになった。遠藤さん夫妻、黒崎家、佐伯家という、いい人達に囲まれている。

「島川さんは黒崎家が嫌いなのかな……」

 早瀬から、島川さんは悪い人だと聞いたが、全てがそうではないと思う。優しいところを知っている。あの温かな家で暮らしているのに、楽しそうでない。少しは気持ちが解れるかと思ったのだが。急に人は変わらないし、元からの相性もある。俺のことがネックになって、関係が壊れてほしくない。

「もうすぐで泊まる日が来るのか……」

 早瀬の出張中に、夏樹たちの家に泊まる予定だ。早瀬が断るかと思っていたのに、予定通りにすると言われた。ただし、島川さんが約束を守ることが条件だと早瀬が言った。俺と直接連絡を取らないというものだ。

 ガタガタ……。

 キッチンの壁に取り付けてあるモニターから、早瀬の声が聞こえてきた。バスルームと繋がっているから便利だ。何か欲しいものがあるようだ。

「どうしたのー?」
「……ゆうとくーーん。ボディーソープを取ってくれ」
「はーい。仲直りはしないからねー」

 これは仲直りをする口実に決まっている。朝のような怖いオーラは纏っていない。それ以上続けると、実家に帰ると告げてやった。遠藤さん家か、父の家という意味だ。恥を忍んで迎えに来いとも言ってやった。

「……悠人君。まだ怒っているのか?」
「怒っていないよ。持って行くからねーー」

 パタパタ……。

 8810号室のフロアの奥にバスルームがある。廊下が広いから道のりが長い。コンパクトにまとまっていない。改築したのだろう。よっぽどのことがないと、こういう間取りにしない。

 ガラス扉の向こうでは、湯船に浸かっている様子が見えた。ボディーソープを取り出していると、扉が開かれた。出て来られるじゃないかと思った。そして、早瀬が扉を開けた時に、ぱっと手首を掴まれた。さらに、引きずるように捕獲されて、抱きつかれた。湯気の立った肌と濡れた感触がある。

「もうーーーっ」
「メエメエさん。カブトムシが襲ってくるぞ」
「きいいいいっ」

 逃げ出そうとすると捕まえられて、腹が立ってきた。何とか抜け出すと、笑われてしまった。そこで、洗面所のコップに水を汲み、何度も掛けてやった。佐久弥が理久にやっている悪戯の一つだ。

「冷たい。やめてくれ」
「湯冷め防止だよー。ご飯が出来たからね」

 キッチンへ戻ると、島川さんからラインが入っていた。”泊まりに来るな”というものだった。

「……ふむふむ。『自分の嫌な面を見せたくない。あの家は温かいが、作り出している人が嫌いだ。苛立ってしまう』か……」

 それを作り出しているのは、誰のことだろう?あの家に住んでいるのは、お父さん、黒崎さん、夏樹、島川さんの4人しかいない。遊びに来るお兄さんの晴海さんのことだろうか。相性が悪いのなら引っ越せばいい。経済力があり、親から指図されない。怪我が良くなり次第のことだが。

 打ち明けてもらえたのは嬉しいが、どうして俺に話すのか?何かの罠だろうか?考えたくないのに。悪い人だと聞いたからだ。具体的には知らない。もしかしてSOSなのか?

(俺には話せるのかな?似ているし……)

 恥ずかしい一面を見せたくないのは、誰でも同じだ。上手くいかずにモヤモヤしているのか?島川さんには子供っぽい面がある。言い出せないのか?

 早瀬には教えておくべきか?内緒には出来ない。そう考えて踏みとどまった。このままの話を黒崎家へ知られると、家族関係が悪化するかもしれない。今晩、夏樹に連絡しよう。仲が悪いのかと聞いてみることにした。話を聞いてもらえるだろう。

 ガタガタ……。

 料理を並べ終えたところで、早瀬がキッチンへ入って来た。もう怒っていないか?と。ここにも悪い人になれない人がいる。

 ラインの返信はしない。届いたことを報告して、メッセージを見せた。早瀬が眉一つ動かさずに読んでいた。約束が違うと言った。連絡しておくという。あっさり終わったから、拍子抜けした。

「怒っていない?」
「向こうから送ってきたものだろう。君のことは怒らないよ」
「束縛は続ける?」
「やめない。……お母さんからは連絡があったか?」

 ないよ。短く答えた。母のことを冷たく感じている。俺よりも捕まった恋人のことが気に掛かっているのか。それとも仕事のことか。モデルの仕事は喜ばれた。打ち合わせの時は、社員と手を取り合っていた。俺には無かった。

 父と比較するのは筋違いか?俺が元気にしているからか?早瀬がいるから平気だ。そう思って、ブーブーと文句を言い返しながら、食事を続けた。
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