夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 早瀬の方は相変わらずの忙しさだ。悠人という存在がいながらも、デートの誘いを受けている。彼のデスクにあるメモが目に入った。昨日の終業時間後に貼りつけられたものだろう。3枚全てがデートの誘いだ。

「それはメッセージか?」
「そうだよ。圭一さんは結婚指輪をしているから、寄り付かなくなったね」
「お前もそうしろ。いくら断っても誘いが絶えないぞ」
「悠人がOKしない」
「強引に指輪を用意しろ。後に引けなくなる状況をつくれ」
「あのねえ、俺は追い込むことはしたくないから」
「責任を取ると決めているんだろう。何が悪い?」
「あんたねえ……」

 早瀬がため息をついた。悠人の考えを優先したいのだと言っている。俺とは反対だと思った。俺は夏樹のことを追い込んだからだ。

 話題を変えて、会議の内容を話した。新聞記事や新規路線の市場調査などだ。

「証券アナリスト向けの決算説明会のデータによると……」
「助かった。この資料は今日の会議で……」

 するとその時だ。夏樹からのラインが入った。そろそろ大学へ行く時間だ。家を出る前に連絡させるようにしている。メッセージを確認しようと思い、デスクに戻った。

「『今から家を出るよ。早めに行って、悠人達とカフェに行くよ』」
「いつもの学食か?」
「『今日は違う店だよ。今日から新メニューなんだ。俺は珈琲だけ』」
「駅に着いたら連絡して来い。後ろから付けられたら立ち止まらずに走れ」
「『……りょーかい!……ウサギのスタンプ』」

 夏樹には家を出る前、大学へ到着後、学食、帰る前、帰宅後のうち、最低4回は、必ず連絡させている。アンの散歩は、家の庭だけにさせている。散歩に出る前には、父の家のお手伝いの山崎さんへ連絡させている。転んで花壇に頭をぶつけて、大怪我をしたことがあるからだ。俺が帰るまでに何かあるといけない。

 パソコンの画面に向かった。本日のスケジュール表が秘書から届いていた。本日は30分~1時間単位で、4本の会議に参加する。

「13時からランチミーティングがある。学食の時間に連絡が出来そうだ……」

 昼食の休憩時間も何かしら仕事をすることは多い。今日のランチミーティングは、営業企画部の部下とのものだ。さらにスケジュール調整のメールを確認していると、オフィスへ入ってきた社員達の声が聞こえてきた。

「いきなり降ってきたんだよ」
「雷がすごかったわよ」
「わあ~、これで拭くといいわ」
「ありがとう」

 社員の方へ向くと、腕に持っているベージュ色のコートが濡れていた。窓の方を見ると、強い雨が打ち付け始めた。遠くの方では黒い雲が掛かっている。

「夏樹のことが心配だ……」

 黒い雲がかかっている方向は、我が家の最寄り駅がある。今頃は夏樹が駅へ歩いて向かっている頃だ。スマホの雨雲レーダーを表示させると、まさに夏樹のいる場所が雨が降っている様子だ。雷が大の苦手だから、泣いているかもしれない。心配になり、夏樹に電話をかけた。 

 プルルル……、プルルル……。

「出ないか……」

 しつこく鳴らすのをやめた。後で折り返しがあるはずだ。 

「8:55か。まだ来ない……」

 デジタル時計の表示が3分経過しても、折り返しがない。こうしている間に何かが起きているかもしれない。会議がある以上、迎えに行くことは諦めた。

「さて、どうするか……」

 こういう事態を想定していなかったのが失敗だ。いくら何でも大学生の子だ。ここまで心配をするのはやりすぎだと自覚しているが、夏樹の場合は話が別だ。一人で出歩いてはロクなことが起きない。父に頼もうと思い、社長室へ電話を掛けると、秘書が出た。

「常務の黒崎です。社長は?」
「……まだいらっしゃいません。10時の出社予定です」
「ありがとう」

 これで助かった。すぐに父の携帯へ電話を掛けた。何度目かのコールで、今では耳に馴染んでいる声が聞こえてきた。
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