夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 かつて自分にとっては、父との間には壁が存在していた。夏樹が黒崎家の養子になることが決まった時には急に壁が無くなっていた。あの日、夏樹の病室で泣いていた父が身近に感じられ、俺のことでも泣いたのか?と想像して、胸が痛んだからだ。人知れず涙を流して、平気なふり、何もなかったふりという仮面を着けて、黒崎家の当主、黒崎製菓グループのトップとして、数多くのドアを開いて出ている父だ。少しは好きになってきた。早速電話で話した。

「……圭一、どうした?」
「ああ、すまない。まだ家にいるか?夏樹が駅へ向かっているはずだが、この雨だ。様子を見に行ってほしい」
「一緒に乗っている。出る前に乗せた」
「はあ……」

 安堵のため息をついた。椅子の背へ深くもたれ掛かり、天井を仰いで頭を押さえた。フロアへ視線を向けると、社員達から注目された。誤解を与えたようだ。何でもないと、手を振って伝えた。

 父の車に乗っているなら心配はないが、夏樹の声を聞かないと落ち着きそうもない。電話をかわるように頼んだ。するとすぐに中性的な綺麗な声が聞こえてきて、肩の力が抜けた。

「出る間際に、親父から声を掛けられたのか?」
「うん、そうだよ。雨が降りそうだったから駅までと思って。ごめんね、電話を掛けてきてくれたとき、スマホを落としてバタバタしていたんだ」
「そうだったのか。大学まで送ってもらえ。今日は甘えろ」
「うん。お願いしたところだよ」
「そうか。……ん?」

 電話を終えかけた時に、早瀬の声が聞こえてきた。焦っている表情も分かった。携帯で話している。どうやら相手は悠人のようだ。なにか心配になることが起きたらしい。

「悠人君、ちゃんと病院へ行け!怪我をしたなら……、していない?」

 夏樹にこのまま待つように伝えて、早瀬の元へと行った。そこで簡単に聞いた話では、悠人が駅の階段で転んだということだった。父に彼のことを迎えに行ってもらおうと思った。

「親父に代わってくれ」
「うん」
「もしもし、どうした?」
「すまない。 悠人君が駅の階段で転んだそうだ。迎えに行ってほしい」
「かまわないぞ。彼は動けるのか?」
「大丈夫だそうだ。夏樹から彼に連絡を取るようにしてくれ」

 電話を切った後、早瀬から礼を言われた。

「圭一さん、助かったよ。ありがとう」
「お互い様だ。スケジュール調整表を作成してもらえないか?お前が作ったものが分かりやすい」
「黒崎常務、秘書室はあちらです」
「承知の上だ。悠人君が無事に大学へ行ける。デスクに貼られていたメモのことも忘れるぞ?」
「あのねえ……」
「俺は脅していない。ただ言っただけだ。それとも、ここで寝転がって駄々をこねれば作ってもらえるのか?」
「分かったよ。見たくないから作る。面倒くさい作業だけど」
「ありがとう。再来月も頼めないか?」
「悠人に悪い虫がつかないように、手伝ってもらえるなら」
「もちろんかまわないぞ」
「よかった、実は……」

 ちょうどいい流れが起きたことで、使いやすいスケジュール調整表を手に入れることが出来た。そして、お互いに仕事に戻り、業務に入った。
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