夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 午前10時半。

 8階のA1会議室での会議に参加している。1本目は室長以上の役職を集めた決定事項のもの、引き続き2本目は、第3四半期決算に向けてのものだ。

 黒崎社長、深川副社長、役員のうちの10名、早瀬室長、枝川チーフも出席している。経営企画部からの報告と今後の事業展開についての説明を受けている。

「収支構造面では、海外生産拠点を含めた……、コスト競争力の強化、研究開発費の適正管理、収益の改善を図り……」

 プロジェクターに映し出されたものと、手元の資料を読み進めながら報告を聞いている。全て終わった後、役員や部長からの意見が出される時間になった。

「千川生産本部長の意見では……」
「賛成です」
「経営企画部では……」

 心の中でため息をついた。この意思決定の場において、派閥が存在している。こんなことをしている場合ではないのに。この黒崎製菓は、市場の中では安定した流れを持っている。その為、何も起こさずにいれば問題ないという空気が生まれている。業務の改善案は下の者に任せて、安定した場所から決定だけしようという考えが読み取れる。

(まったく。この船が沈むぞ……)

 黒崎ホールディングスとの合併を期に、役員を半数以上は入れ替えた。役職も入れ替えている。そのことで多少の混乱があったものの、現在は落ち着いている。ただし、誰に取り入れば有利か、新しいレースの競争相手との駆け引きが生まれているのが現状だ。 

 今後の展開の話し合いが続いている。意思決定の前の序奏だ。自分のリーダーに従うために、どういう流れになるのかも予想がついている。

 自分が意見を言う順番が来た。俺は営業企画部部長としての意見を口にした。すると、レースの相手達が眉を動かした。腹の探り合いのスタートだ。相手は経営企画部部長の千川と、デザート事業部室長の山田だ。

「さきほどの経営企画部部長の意見ですが。縮小する国内市場で飽きやすい消費者に対して、華やかな広告・販売合戦を繰り広げるしかないとことですが、輸入菓子に頼るのは反対です」
「多様性があるからです」
「低価格よりも、安全・安心・良質な美味しいものを求めるようになっています。それでは、わが社の強みの反対です」

 千川部長が押し黙った。山田室長が資料を読み、意見を口にした。それでも変わった流れを止めることはできない。空気を読み取った千川の仲間だった者が、俺の方へと旗色を変えた。こちらに付いたと確信した。

 今回は社としての大きな決定だ。それだけではなく、自分自身の立ち位置の決定の場でもある。黒崎社長と深川副社長は、眉ひとつ動かしていない。そこへ、早瀬が彼から指名された。

「マーケティング推進室の意見を聞きたい。早瀬室長」
「……はい」

 すでに流れを読み取っている為、早瀬は慌てる様子もなく、淡々と意見を述べようとしている。誰かに迎合する人間ではない。今の立場としての意見をストレートに出す者だ。

「輸入品は僕も反対です。国内投資の方向性を発表した後の戦略変更は……、難色をしめします」

 早瀬が意見を出した後、山田室長が食いついた。レースの始まりが告げられた。

「それでは現行と変化がない。マーケティング推進室としては、新規路線を考えているんですか?」

 早瀬が軽く頷いた後、微笑んだ。

「我が社のチャネル力があるからこその、コンビニにそれだけのスペースが確保できています。特徴的なパッケージのアイデアがあります。今週、開発部の試作を経て、来週の会議で提案予定です」

 深川副社長が興味を示した素振りを見せて、先を促した。それを受けて、早瀬がさらに続けた。

「チョコレート専門店の手づくり感をイメージしたものです。スイーツ男子の傾向によると……、コンビニ、洋菓子店の行き来……、それにより大学生の購買層を……」
「ほう……」

 一気に新しい波が生まれた。活気づいた会議室内の空気の中、もうひと押しの時を迎えた。ちょうどいいタイミングで早瀬からの視線を受け、彼の意見を支持する旨を口にした。さらに、その新規路線の方向性を発表することも伝えた。

「営業企画部として国内市場への……、方向性はそう考えています」

 方向性の意思決定の意見がまとまり、時間通りに終了することができた。慌ただしく次の業務へ向かう部長の後ろ姿を見送りながら、俺と早瀬も会議室を出た。
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